03年07月06日(日)

 十時間待って十五分撮影して、帰宅。撮影現場が我家の近くだったので、石神井川に沿って歩いて帰ることにする。こちら側から石神井川を歩くのは初めて。それほど大きな川ではないのに、堀がやたらと深くなっているのは、雨が降るとその高さまで増水するということなのだろうか?自宅まで、ゆっくりと寄り道をしながら歩いていたら、二時間以上かかってしまった。帰宅後、すぐ寝る。

 十七時起床。そのまま映画館へ行き『デッドコースター』を観る。「デッドコースター」というタイトルはもちろん邦題であり、原題は『Final Destination 2』、『Final Destination』の続編になる。監督は、『マトリックス・リローデッド』でアクション監督をつとめたデヴィッド・エリス。おそらくは、冒頭の高速道路の事故シーンと、それぞれの登場人物の死に方だけを描くために作られたこの映画、ストーリー的に穴だらけで、ここまで強引で開き直った理論を展開されると、逆に感心してしまう。中途半端にストーリーを成立させようと悪あがきする映画よりは、こちらの方が潔くて観ていておもしろい。とはいえ、思うところもいくつかあった。自ら恐怖を生み出し、「恐るべき他者(映画の中では死神)」にその因果関係をこじつけて、どんどん深みに嵌まっていく登場人物たちは、まさしく典型的なアメリカン。死神は、時にはインディアンになり、時には黒人になり、時には移民者になり、時には異教徒になる。彼らにとって、恐怖は常に「他」のもとにある。

 もともとCGは、映画のストーリーのための表現手段(フォーム)に過ぎなかった。しかしここ数年、ことハリウッドにおける映画のストーリーに関して言えば、それはCGを使用するための方便的な役割に成り果ててしまい、手段と目的が完全に入れ替わってしまっている。もちろん、そのことを嘆くつもりはない。主役の三人をかわいらしく撮るためだけのストーリーとCGで構成された『チャーリーズ・エンジェル』があれだけ面白いのだし、『マトリックス・リローデッド』で多くの観客が楽しんだのは、ストーリではなくてCGアクションであったこと(少なくともぼくの周りからは、あの作品の好意的な意見としてアクションシーン以外の感想を聞いた記憶がない)を考えれば、悪い方向へ進んでいるとは思えないからだ。もちろん、それらの映画にとってストーリーが重要な役割を果たしていることは否定しないが、適度なスリルと適度なユーモア、適度な道徳と適度な不道徳、そして適度なアメリカ的価値観をちりばめたような陳腐なストーリーが、むしろ邪魔に感じることさえある。フォームはもはや分離寸前であり、技術はすでに分離可能なところまで来ている。「すべての芸術は形態の関係の発展であり、形態のあるところには感情移入があり得る。(ハーバード・リード『芸術の意味』)


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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