02年06月16日(日)
明治三十六年五月二十二日の寺田寅彦の日記には、日光の華厳の滝で自殺した藤村操の事が書かれています。

藤村操は、当時十九歳の第一高等学校の学生で、自殺の直前まで夏目漱石に師事されていましたが、ひとり日光に赴き、「巌頭之感」という遺文を木に彫り残し、華厳の滝から身を投じました。
世を儚んだためとも、失恋が原因だとも言われています。
巌頭之感
悠々たる哉天壌、遼遼たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす、ホレーシヨの哲学竟に何等のオーソリチイーに値するものぞ、万有の真実は唯た一言に悉す、曰く「不可解」、我この恨みを抱いて煩悶終に死を決するに至る。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを
藤村が「ホレーシヨの哲学」と読んだのは、シェイクスピアのハムレットのセリフ「ホレイショー、この天地の間にはな、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ。」の「人智」を差していると言われています。(坪内逍遙訳の「ハムレット」では「哲学」と訳されています。)

藤村の自殺のその哲学的(っていうか自己陶酔的)な遺言が話題になったこともあり、「人生は不可解」という言葉が流行語になり、その後四年間で二百名近くが華厳の滝から身を投げました。
華厳の滝から身を投げて人生に終止符を打つことが、一種のブームになったのです。

以前日記で書いた「奇ッ怪建築見聞」には、「高層建築に纏わる自殺と怪談を追う」という章があります。
明治以降の投身自殺を追ったこの章によると、日本で初めての高層ビルからの飛び降り自殺は、正十五年五月九日び銀座百貨店「松屋」八階から飛び降りた池野富蔵によるものであるとされています。
遺書には以下のようにかかれていました。
僕の身は死しても心霊は藤江の身を離れない、そして藤江の兄を恨む、母も恨む、終りに藤江も裏みたい気もする、しかし愛が勝っているようだ、お願いだから一緒の所に葬ってくれ、藤江もそう思ってくれ、僕は今酒を飲む
ようするに、藤江という女性に捨てられた果ての投身自殺であり、高層ビルを選んだのも、彼女と彼女の家族に対する当てつけだったようです。

池野の自殺をきっかけに、その後高層ビルからの飛び降り自殺が頻発し、手を焼いた警察は死体を一時放置するなどの見せしめ的行動を起こしたようです。

昭和七年、慶応大学生調所五郎と湯山八重子は坂田山で心中をします。
この二人の悲哀は、後に映画化され、坂田山での心中事件はその年だけで二十件を越えたと言います。
また、その映画を見ながら服毒自殺をするカップルまで現れました。

その翌年の昭和八年一月九日、自らの死体が人目にさらされることを拒んだ当時二十一歳の実践女子専門学校の学生、松本貴代子は、富田昌子と共に三原山に赴き、富田昌子に見守られながら火口に投身自殺をします。
遺書には一言「左様なら」と書かれていました。
それ以前にも三原山から身を投じる自殺者はいましたが、彼女の自殺をきっかけに、その後三ヶ月で八十人、その年だけで九百四十四人が三原山で投身自殺をしています。
富田昌子はひとり下山、後に新聞や世論に責められ、ノイローゼで病死しています。

昭和に入ると、華厳の滝での投身自殺は「華厳病患者」と呼ばれ、時代遅れのものとなりました。
しかしそれでも尚、華厳の滝に身を投じる若者はいたようで、昭和七年六月二十九日には、一日で六人が飛び降りています。

上記に挙げたすべての自殺ブームに関して、そのきっかけとなった人の自殺の動機はだいたい明確になっていますが、その後に後追い自殺をした人たち、特に三原山から火口に飛び降りた千人近い人々の自殺の動機に関しては、記録がほとんど残っていません。(もしかしたら残っているのかもしれませんが、今のところ僕は発見できていません。)
ぼくには、耽美主義者でナルシストだった松本貴代子の火口への投身自殺は理解できても、後に続く大勢の人々の自殺には釈然としないものがあります。
自殺という行為は、一部の例外を除く大抵の人々にとって究極的な行為のはずですから、三原山に身を投げた千人の人々それぞれには、その行為に及ばらるを得なかった、よんどころのない理由があったのだと思います。
ぼくは、ひとりひとりのその理由を知りたい。

と、ふと思いました。

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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