
02年04月27日(土)
どうも最近やたらとグリズリーと縁がありまして、頭からグリズリーのことが離れることが殆ど無いのですが、先日起き抜けにふとテレビに目をやると、いつの間にか電源が入っていて、グリズリー特集がやっていました。
いんちき臭い外人の案内で、グリズリーの生息地帯やグリズリーの生態を紹介してくれる海外の番組だったのですが、これがなかなか面白くて。
日本では、熊と出会ったら死んだ振りをせよ、などと言われておりますが、その番組では、グリズリーと出会った場合、とにかくこちらが人間であることを示すために、大きく手を振って「ベアー!私よ!ベアー!私よ!」と呼びかけなさいと言っていました。
グリズリーは基本的に臆病なので、大抵の場合はそれで逃げていってしまうそうです。
ただし、そのグリズリーが母親で、子供のグリズリーが近くにいた場合はかなり気が荒くなっているので、ぶっ飛ばされるかもしれないと言っておりました。
そして、ぶっ飛ばされて命からがら逃げてきた人たちがたくさんインタビューを受けていて、みんな顔が半分吹っ飛ばされたりしているのに、「いやああの時は参ったよ、ハッハッハッ」「いやあ、気付いたら目玉が飛び出ていてさ、ハッハッハッ」「いやあ、目の前でパートナーがずたずたにされていてさ、ハッハッハッ」などと陽気に話していました。
しかし、僕の大好きなエッセイスト兼最近では小説家として有名なリック・バスの「心に野生を」の中のエッセイ「グリズリー・カウボーイズ」に、こんな一節があります。
(グリズリーが)きみを見かけても、君が横たわっているか、身動きひとつせずに立っていれば、立ち去るだろう。あるい攻撃の素振りを見せるかもしれない。あるいは戻っていかずに追ってきて、咀嚼するように口をもぐもぐさせたり、地面を打ったりするかもしれない。じっと静かにして、しゃがみ込んで生殖器を守り片手を首の後ろに回す。そうすれば逃げおおせる者もいるし、そうでないものもいる。
ぼくは、死に際して見苦しい真似だけはするまいと思いながら日々生きておりますが、何かに食われて死ぬのだけは嫌(だって死んでからうんこになるんですよ)なので、グリズリーと出会った時にどうすれば助かるのかを心の底から知りたいと思っているのですが、ちんちんを押さえて死んだ真似をするのが有効なのか、大声でグリズリーに話しかけるべきなのか、一体どうすれば良いのだろう。
ちんちんを押さえて食われても、大声で話しかけて食われても、どちらにしても格好悪いじゃん。
そんなことを考えながら、春も終わりの石神井公園を散歩して、空を見上げりゃ五月晴れ。
いんちき臭い外人の案内で、グリズリーの生息地帯やグリズリーの生態を紹介してくれる海外の番組だったのですが、これがなかなか面白くて。
日本では、熊と出会ったら死んだ振りをせよ、などと言われておりますが、その番組では、グリズリーと出会った場合、とにかくこちらが人間であることを示すために、大きく手を振って「ベアー!私よ!ベアー!私よ!」と呼びかけなさいと言っていました。
グリズリーは基本的に臆病なので、大抵の場合はそれで逃げていってしまうそうです。
ただし、そのグリズリーが母親で、子供のグリズリーが近くにいた場合はかなり気が荒くなっているので、ぶっ飛ばされるかもしれないと言っておりました。
そして、ぶっ飛ばされて命からがら逃げてきた人たちがたくさんインタビューを受けていて、みんな顔が半分吹っ飛ばされたりしているのに、「いやああの時は参ったよ、ハッハッハッ」「いやあ、気付いたら目玉が飛び出ていてさ、ハッハッハッ」「いやあ、目の前でパートナーがずたずたにされていてさ、ハッハッハッ」などと陽気に話していました。
しかし、僕の大好きなエッセイスト兼最近では小説家として有名なリック・バスの「心に野生を」の中のエッセイ「グリズリー・カウボーイズ」に、こんな一節があります。
(グリズリーが)きみを見かけても、君が横たわっているか、身動きひとつせずに立っていれば、立ち去るだろう。あるい攻撃の素振りを見せるかもしれない。あるいは戻っていかずに追ってきて、咀嚼するように口をもぐもぐさせたり、地面を打ったりするかもしれない。じっと静かにして、しゃがみ込んで生殖器を守り片手を首の後ろに回す。そうすれば逃げおおせる者もいるし、そうでないものもいる。
ぼくは、死に際して見苦しい真似だけはするまいと思いながら日々生きておりますが、何かに食われて死ぬのだけは嫌(だって死んでからうんこになるんですよ)なので、グリズリーと出会った時にどうすれば助かるのかを心の底から知りたいと思っているのですが、ちんちんを押さえて死んだ真似をするのが有効なのか、大声でグリズリーに話しかけるべきなのか、一体どうすれば良いのだろう。
ちんちんを押さえて食われても、大声で話しかけて食われても、どちらにしても格好悪いじゃん。
そんなことを考えながら、春も終わりの石神井公園を散歩して、空を見上げりゃ五月晴れ。