
04年05月11日(火)

先週以来、林芙美子さんにすっかりはまってしまい、さっそくに本屋さんで『下駄で歩いた巴里』と『林芙美子随筆集
』を購入して読んでみたのですが、これがもう素敵すぎて、うっかり寝る前などに読もうものなら、とても良い夢を見てしまうので、次の日は確実に寝坊をしてしまうほどです。特に『下駄で歩いた巴里』に収録されている隨筆群は、もし身近にこのようなものを書く女性が存在したら、とりあえず求婚をしてしまうだろうというような素敵な文章ばかり。たとえば『文学・旅・その他』は、次のような書き出しで始まります。
年歳三十歳の若さで侘味をもとめる気持ちはおかしい話だけれども、山川の妙を慕い、段々世事を厭じる気持ちである。頃日、私は寒山詩を愛唱している。逃避文学にうつつをぬかしているかたちかもしれない。世に多事の人有り。広く諸の知見を学ぶも、本真の性を識らず。道と転た懸遠なり、若し能く実相を明らかにせば、豈に用って虚願を陳べんや。一念に自心を了せば、仏の知見を開かん。と云うこの詩が好きで、私は多事多才のひとを見ると、意地悪くこの詩を思い出すのだ。私はこの頃、ひまさえあると一人で旅をしている。
うう、かわいい。かわいすぎる。そういうわけで本日、放置しておいてとんでもないことになってしまった奥歯を治療しに歯医者さんへ、結構な処置を施されることになったのですが、芙美子さんの隨筆を思い出して、歯医者への恐怖を打ち消していたわけです。好きな人がいれば、麻酔の注射もドリルの音も恐くはありません。問題は、この人が五十年以上昔に他界しているということです。