

遅い起床の日曜日。お給料をもらって初めての休日なので、どこかへ遊びに行こうかしらとも思ったけれど、天気が悪かったので一日を読書して過ごします。カフェイン飲んで、集中して。
ここのところ、ギャング映画ばかり観ていてなんだか男気を刺激されてしまったので、垣芝折多著『偽書百撰』を読んで心をおちつけましょう。『偽書百撰』は「明治・大正・昭和の奇書・珍書・偽書百冊を総覧する奇想天外の書」でありまして、もしかしたらぼくにとって世界で一番面白い本かもしれません。
例えば第六十九書『ホラや』。昭和十五年に慎重社より刊行、著者は家葉一軒。家葉氏の家に住み着いた犬でも猫でもないホラ噺をする「ホラ」。百けんさんの『ノラや』と同様に、楽しげな著者と妻とホラとの暮らしが綴られています。始まりも内容も『ノラや』にそっくりで、普通に考えればこの書は『ノラや』のパロディかと思いますが、選者である垣芝折多氏は次のように書いています。
だが、あらためて考えれば奇妙なことに気づく。百けんの『ノラや』は昭和三十二年の作品。本書はそれよりもずっと古い、昭和十五年の話だ。だとすると、これは『ノラや』のパロディではあり得ない。むしろ『ノラや』が本書のパロディということになる。
百けんさんの『ノラや』と同様に、ホラも突然に姿を消してしまいます。もちろん著者は熱心にホラ探しをします。ホラが見つかったという情報を得て著者が出かけて行くと、「贅沢は敵だ」「八紘一宇」「臣道実践」「南進日本」「一億一心」「報国産業」などといった立派なシンジツ(この書は昭和十五年のもの)ばかり、中にはウソやデマもおりましたが、ホラは「どこにでもゐるありふれた駄ホラ」であり、夢の様に小さいもの。
『ノラや』と大きく異なるのはその結末です。最終的にホラは帰ってきますが、以前のようにすばやく動くことはありません。
ホラは以前の様に独り言も吐かない。只黙つてゐるばかりだ。
ホラやホラやと呼んでも返事もしない。このまま生きのびるだらうと考へると、切なくて仕方ない『ホラや』より
タネを明かせば、垣芝折多氏の正体はぼくの大好きな方の偽名でありまして、さらにタネを明かせば、ここで紹介されている百冊はすべてその氏による創作であります。こんな素敵な偽書百撰を創作してくれた氏に、心より敬意を。偽のない世の中なんて、ちーっとも面白くありません。