02年12月04日(水)

 皆さんフェラチオは好きですか?などと書くと、まるでぼく自身がちんちんをくわえることが好きであると勘違いをされてしまいそうですが、そうではなくて、まあ何度かくわえたことはありますが好きではありません、とか書くと本気にされそうなので訂正をしておくと、くわえたことはあります。嘘です。いえ、本当です。実際くわえたことはありますが好きではありません。愛の無いフェラチオだったから。と書いてもまさか本気にする人はいないと思いますが、本当です。というのは嘘です。それではどうしてこんなことを書くのかというと、ある尊敬する友人に勧められて、舞城王太郎さんという作家の作品を読破したからでして。

■舞城王太郎氏私設ファンサイト ケムリズム

煙か土か食い物 舞城王太郎さんという作家を、皆さん御存知でしょうか。『煙か土か食い物 Smoke,Soil or Sactifices』でメフィスト賞を受賞してデビュー、その後『暗闇の中で子供 The Childish Darkness』『世界は密室でできている The World is Made out of closed rooms』と続けざまにサスペンス小説(?)を発表したのち、いきなり短編『熊の場所』で群像デビュー。群像の先先月号にも『鼻くそご飯』という短編を発表していたので、今後は文学の世界?で活動をするつもりなのか、っていうかそれ以前に群像に作品を発表すること自体、舞城王太郎氏にとってはお遊びなのでは?と思ってしまうような、ふざけた、というかなんとも言い難い作家でして、とにかく作品が面白すぎてびっくりしました。

 デビュー作である『煙か土か食い物 Smoke,Soil or Sactifices』は、福井県の西暁町が舞台のサスペンス小説で、主婦を狙った連続殴打事件の被害者の息子である奈津川四郎が主人公となって犯人を探しだして復讐するという物語なのですが、この小説の中で「犯人探し」ははっきり言ってしまえばおまけのようなもので、物語の本題は奈津川家の血族物語なのです。ドイツ人である曾祖父の奈津川ハンス。その息子、政治家の奈津川大介。さらにその息子であり、これまた政治家の奈津川丸雄。そして丸雄の息子たち、政治家の一郎、行方不明の二郎、作家の三郎、そしてアメリカでERに勤める四郎。まるで呪われたかのような奈津川家の血筋(ファミリーサーガ)が、暴力と死の描写の中で語られていきます。

暗闇の中で子供 初期の三作、といっても全部で四作しか出ていませんが、この三作はサスペンスというか推理物というか、そのようなエンターテイメントの形式をとっているので、とにかく人が死ぬ死ぬ。特に『暗闇の中で子供』『世界は密室でできている』なんかは、まとめてばんばん死にまくります。死体としてしか登場しない人もたくさんいるし、名前すらない死体も登場します。けれども、それよりも気を魅かれるのが暴力の描写で、奈津川家四兄弟の暴力描写がとにかく凄まじいのです。特に、行方不明となっている次男の二郎の暴力の話は激しいもので、小学生四年生まで苛められっ子だった二郎は、ある日突然に自分を苛めていたひとりひとりに復讐をはじめ、相手が二度と立ち上がれなくなるまで、肉体的だけではなく精神的に攻撃を繰り返します。たとえば、あるいじめっ子はぼこぼこにされたあとに青ガエルを生きたまま食べることを強要されたり、別のいじめっこは自分の目玉を指で引っこ抜くことを命令されたり、また別の子は自分の指を強引に食わされたり、野良犬のちんちんをなめさせて最後は犬のちんちんを咬み切らせて食わせたり。

世界は密室でできている それでも舞城王太郎さんが憎たらしいのは、そんな暴力的な物語なのに、必ず最後は読者を感動させるのです。カータールーシースってヤツです。激しい暴力と死の中に生きながら、登場人物、とくに各物語の主人公はみなさんいたってまともな人間で、臭すぎるような発言や行為によって、読者をきっちりと泣かせてくれるのです。『世界は密室でできている』なんかは、完全な青春小説ですもの。スタンドバイミーよりずっと泣けましたよ。

 そのように、それら初期の三作もとても優れた作品だと思うのですが、ぼくがここで書きたいのは、舞城王太郎初の短編集『熊の場所』についてでして、この短編集は主に文芸誌に掲載された作品を収録したものなのですが、カバーが死ぬほどかわいくて、触るとふわふわしているのです。しかも全体黄色だし。うーたまらん。この『熊の場所』には全部で三作品収められていて、そのいずれについても書きたいことはたくさんあるのですが、書き下ろしの『ピコーン!』について少しかかせて下さい。この『ピコーン!』を読んで以来、ぼくの頭からこの話が離れず、ずーっとフェラチオのことばかり考えているのです。

 主人公は、チャコという女の子。暴走族「婆逝句麺(バイクメン)」の一員である哲也の恋人です。ヤンキーではあるものの頭の良いチャコは、大検を受けてまともな生活をしようとし、哲也にも更生を迫るのですが、哲也が更生の条件として提示したのがフェラチオ一万本ノック、っていうか要するに一万回フェラチオをするという約束で、チャコはそれを承諾します。哲也は土方のバイトを始め、チャコもクリニックでバイトをしながら勉強をし、毎日きっちりとフェラチオで哲也をいかせます。チャコの口の中はすりきれてまともにしゃべれなくなったりしますが、それでは約束通り毎日フェラチオを続けます。

わたしはバイトと勉強とフェラチオにより一層熱が入る。すると「もうフェラチオはいいよ」と哲也が言い出してわたしはびっくり。「なんで?」。まさか他に女ができたとか言い出すんじゃないだろうな。握りこぶし。「フェラチオのために頑張ってるみたいな感じであれやで」。えっ?あはは。握りこぶし弛緩。「何言ってるんや。フェラチオのために頑張ってるんやないの」「違うわボケ」「あはは。冗談やあ。哲也偉くなったもんなあ」「おう」「だからもうフェラチオはいらんの?」「おう」「嘘つけ」「あっやめろ」「いや」「ああっ」「・・・・好きなくせに」「うおー」とか言っちゃって哲也かわいい。わたしもすっかりフェラチオ大好きっ子だ。テクに情熱までこもってもうびっくりするほど早く哲也をイかせることができる。哲也はわたしを抱いて抱きしめて「愛してる」なんて口走る。わたしも愛してる哲也!

 しかし、五ヶ月経ってフェラチオを八百回したところで、チャコを愛しフェラチオを愛し愛のためにまともになろうと頑張っていた哲也は、神社の境内で死体となって発見されます。死因は脳挫傷で、頭にはロウソクをたらされた短い木の枝が二本突き立てれ、上半身は裸、額には星が描かれ、両手はチョキをつくり、左手には「COAGLLA」右手には「SOLVE」と書かれて発見されるのです。さらにちんちんは勃起していて、ガムテープをよじってできた長いこよりでタスキ掛けされている。そして顔は笑っている。

 紆余曲折を経て、チャコは犯人を発見し、少し頭のおかしげな犯人は警察に逮捕されます。その後しばらく経って、哲也の死から少しずつ回復してきたチャコは、ある日一本のビデオを借りてきます。それは90年代中頃の、ダウンタウンが一番面白かった時期の「松本人志の一人ごっつ その壱 炎無の念」で、チャコは松本が「<<フェラチオ>>を出世させよう」というコーナーでフェラチオを少しずつ出世させていくのを観ます。

まったく男ってマジで皆してフェラチオが大好きなの?ふう。でも見ていてわたしは思う。このころの松本人志は本当に天才だったのだ。松本は一枚一枚フリップをめくって「フェラチオ」の出世名を挙げていく。「フェラチオ」ー「フェラレディー」ー「フェラレディーZ」ー「フェラガモ」ー「ハンティング・フェラワールド」ー「チンポハンティング」ー「チンポリタンジャーニ」ー「チンポリタンジャニーズ」ー「しゃぶしゃぶ夢中組」ー「尺八」ー「尺なで声」ー「巻尺」ー「八田尺子女史」ー「尺八物語」ー「尺八ぶらり旅」ー「尺八流れ者」ー「フリー尺八」ー「尺八楽器店」ー「尺八味の名店街」ー「おしゃぶりどころ尺ちゃん」ー「スナック尺のママ」ー「かっぽう尺のママ」ー「あんた飲みすぎよ」ー「うるせえ」ー「なに荒れてんのよ」ー「ボタンとれかかってるじゃないの」ー「上着かしてごらんなさい」ー「いい体してるわね」ー「フェラチオしてあげようか」ー「ああ頼む」
わたしはゲラゲラ笑って哲也にしてあげたフェラチオを懐かしく思う。ちょうど自転車のハンドルみたいに硬かった哲也のあの長細いチンポ。あの頃わたしは「ああ頼む」にどれだけ近づいていたのだろうか?まあ確かに「尺八」くらいまでは自信があるのだが「尺八味の名店街」とまでいくとさすがにちょっと判らない。

 その時、チャコはピコーンと閃きます。「哲也が笑っていたのは、瀕死の哲也が意識が朦朧とした中で、露出したチンポにわたしのフェラチオを期待したのではないだろうか?ということは、きっと死ぬ直前の哲也の頭は股間に顔を近づけるわたしの口のことで占められていたはずだ。つまり最後にわたしのことを思って哲也は死んだのだ。」

 チャコは、少し泣いて、そして思います。

わたしはまた少し泣いていつもよりももう少し幸せな気分で眠る。わたしにはこれからまだ長い人生がある。(中略)まだ現実感など全然ないけれど、またいつか新しく好きな人ができたらわたしの凄いフェラテクを披露してやろう。その人のびっくりする顔が早く見たいような気がちょっとしないでもない。

 なんかもう、この感動は作品全体を通して読んでもらわないとわからないと思うのですが、ぼくはわんわんわんわん泣いてしまいましたよ。哲也を思い出して「自分のフェラチオはどこまで「ああ頼む」に近づいただろうか」と考えるチャコ。「死の瞬間に、哲也は私のことを思って死んだのだ。だから勃起していたのだ」と考えるチャコ。そして「少し」泣く。この「少し」というのがやばい。やばすぎます。死んだ恋人を思いだして、自分が彼にしてあげたことを想って、少し泣く。少しだけ、泣く。そして、少し幸せな気分で眠る。少し、幸せな気分で、眠る。少し。この「少し」というところに、ぼくは感動しているのです。

熊の場所 舞城王太郎氏の作品全体を通して共通するテーマは、暴力や性などさまざまな形をとって表現されていますが、とにかく突き詰めると「愛」なのだと思います。そして僕が感動するのは、その愛を表現する手段としてフェラチオをもってきたところで、ぼくはこの小説を読んで、フェラチオが愛であるという確信を得ました。セックスじゃなくてフェラチオっていうのが良いのです。なんかねー、前々から思っていたのですけど、フェラチオってもっと評価されても良くないですか?って何を書いているのか自分でも良くわからなくなってきましたが、クレオパトラのフェラチオがもっと下手だったら世界の歴史は変わっていたと言いますし、坂本龍馬が姉乙女に送った手紙には「おりょうのふぇらちおは絶妙なれば、幕府を倒さんと欲す」などと書かれていたというし、高杉晋作は死に際して「おもしろきことなきこのよにフェラチオを」などと詠んだというし、ジョンとヨーコのフェラチオパフォーマンスは有名だし、キング牧師は「アイハブアドリーム!プリーズフェラチオ!」と叫んでいたし、ゲーテの最後の言葉は「もっとフェラッチョ!」だったというのは全部嘘ですけど、キスと比べてフェラチオはいまいちエロいイメージがあって、公言しづらいところがあると思います。以前、友人(内倉君)に「Kiss」という、いろいろな人がキスをしている所を写した写真集を頂いたことがあるのですが、「Fellatio」という写真集は多分存在しないでしょう。存在したとしても、エロ本でしょう。それは何かが間違っている。いや、もちろんぼくもエロ本は好きですよ。むしろ大好きです。でも、そのような性的な意味でのフェラチオももちろんフェラチオですが、本当の意味でのフェラチオは、キスと同じか、あるいはそれ以上に愛の行為なのです。何を書いているのでしょうかぼくは。今日はお友達とたらふくお酒を飲んでしまったので、少し勢いづいているということもありますが、これを機会に声を大にして言いたい。色を変えて文字も大きくして書きたい。

フェラチオは愛である。

 フェラチオが愛であるということを、もっと世間の皆さまに認識して欲しいのです。

 それからもうひとつ、舞城王太郎氏の小説の素晴らしいところは、女の子の書き方がとてもうまいところで、『暗闇の中で子供』のユリオ、『世界は密室でできてる』のエノキ、そして『ピコーン!』のチャコ。みんなとても魅力的に書かれていて、女性の一人称で書かれているのは『ピコーン!』だけだと思うのですが、このチャコの語り口とか行動とかが、ぼくの大好きな友人のひとりである女性を思い描かせるのです。その方もフェラチオ一万本ノックとかやってしまいそうだし、自転車に乗って殺人犯人探しをしてしまいそうだし、『一人ごっつ』を観て死んだ恋人を思い出して泣いたりしそうな人なので、『ピコーン!』を読みながらぼくはずっとその人のことを考えていて、だからすっかり感情移入して読んでしまったのですが、書き手が下手くそだったら、自分の身近な人を当てはめて読んだり、感情移入したりすることは絶対にできませんからね。ぼくはその友人のことが更に好きになったし、これから彼女を見かけたら、多分フェラチオのことを心で考えると思います。

くまのいばしょ

 そういうわけで、フェラチオは愛です。愛。いいかげん、ぼくも少しやけくそになってきているのですが、みなさん、もっとたくさんフェラチオしましょう。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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