02年12月19日(木)

 柳田国男の『妖怪談義』を読んだのが今年の夏の始めぐらいで、それから民俗学としての妖怪の研究書のようなものを何冊か読んでみましたが、いやはや、民俗学がこんなに面白い学問だとは思いませんでした。といっても、民俗学を専門にされている方に言ったら怒られてしまいそうな阿呆な読み方しかしかしておりませんが。

 以前にもちょいと触れましたが、現代の都市伝説などを丹念に研究している民族学者に宮田登さんという方がいます。この方、2000年に逝去されてしまったのですが、著書である『妖怪の民俗学』が今年の夏始め、偶然にもちょうどぼくが『妖怪談義』を読み終えた頃に文庫化されました。以前から読みたいとは思っていたものの、文庫が1000円とはちょいと高いよう、といまいち納得できず、購入を控えていたのですが、先日本屋でほんの少し立ち読みしたところ、やたらと面白くて思わず購入、速攻で読み終えました。

 『妖怪の民俗学』は、柳田が説く「神の零落した存在としての妖怪」の概念に疑問を呈する小松和彦の主張の紹介から始まり、更に『妖怪談義』に書かれている「妖怪とお化けの違い」に言及します。詳しい内容は、ぼくが説明するよりも本書を読んでいただければ良いと思いますが、宮田氏はお化けと妖怪に抱く人間の畏怖の感情について、以下のように書いています。

 妖怪と幽霊を現象面で完全に分けて説明することは柳田のいうように有る程度は可能である。しかし、この怖いという内容については、十分に区別がついているのかどうかは問題である。むしろ怖いと思っている内容を比較してみる必要があるのではなかろうか。そこで、妖怪の古くからの存在と、妖怪の新しい存在とを、もう少し細かく分けて検討してみる必要があると思われる。

 宮田氏はこの本の中で、日本における「恐怖心」や、場所が人々に与える影響、さらにそのような現象に関わる「女性」の存在などを、さまざまな逸話や言い伝え、現代に起こった事件や現象などをとりあげ、分析します。柳田の著作と比べると、書き方に若干の超常主義的な匂いがしないでもないですが、それはまあ、各個人がフォークロアに接する際の態度の違いに過ぎませんね。

都市のなかを歩くときに、その点につねに注意していく必要がある。追いつめられていた霊力が、どういう場所に出現してくるのか、言い伝えを残している場所には、いったいどういう経緯があって、超自然的な力が発揮すると考えられていたのかというような観点で、フォークロアを探っていくと、そこには古来日本人の抱いているカミあるいは聖地、あるいはまた妖怪とか怨霊という表現が生きてくるのである。そしてそういうものを生み出してきた日本人の精神構造をとらえることも可能になってくるということだろう。

 この本では、おばけのQ太郎から口裂け女まで、かなり広範囲にわたって多くの民俗を取り上げています。その中で、妖怪について語るときには必ず名前が出てくる井上円了という学者さんについても言及しています。

 井上円了という人は、民俗学の世界ではお化けや超常現象を科学的に解明しようとした人ということで有名ですが、実はばりばりの哲学者で、仏教を西洋哲学を基盤とした再解釈を試みようとしたとても偉い学者さんなのです。ちなみに、中野にある哲学堂公園は、この円了さんが創ったほとんど冗談みたいな公園です。

 円了さんは、日本が西欧の文明に追いつくためには、妖怪や超常現象等、迷信のたぐいをすべて客体化しなくてはならないという信念のもと、日本全国のお化け話を収集し、ひとつひとつその原因を解き明かそうとしました。『妖怪の民俗学』の中でも、円了さんが暴いた超常現象の実例がいくつか紹介されています。現代で言えば、ちょうど大槻教授がやっていることと同じようなことですね。

 日本中のおばけ話を収集していたという点では柳田さんと共通するものの、円了さんはそれらの妖怪や幽霊、迷信の中に人間の精神を読み取ろうとはしませんでした。そのような迷信や妖怪は「民衆が自己の心鏡に照して知るべからざるもの」であり、それを解明することが学者の使命であると信じており、そこが柳田さんと相容れないところでした。しかし、円了さんが超常現象・怪奇現象のすべてを否定してかといえばそんなことはなくて、収集した怪奇現象を「偽怪」「誤怪」「仮怪」「真怪」の四つに分類し、どうしても説明できない現象を「真怪」とし、それは「人智をもって知るべからざること」であり、その領域に関しては解明が不可能であると定義しました。そこらへんが大槻教授とは違うところでしょうか。

 円了さんが迷信を撲滅しようとしたのが明治二十年代。それから百年経った現在に置いて、日本から迷信が撲滅したかといえば、言うまでもありませんがそんなことはなくて、妖怪話は形を変えて存在しています。『妖怪の民俗学』の中でも取り上げていますが、いわゆる「都市伝説」がそれで、おそらく一般的には真実だと思われているような事でも、調べてみると都市伝説だったということは珍しくありません。けれども、都市伝説は真実ではないのだからそれを排せよ、と言う考え方は、人間の精神の面白さを完全に無視した意見であり、その都市伝説の下に人間の精神の面白さを見るほうが、よほど学問的にも有意義だし、あるいは都市伝説に惑わされるのも、なかなか楽しい生き方なのではないか、と。

 先日読んだ唐沢俊一唐沢なをきの『脳天気教養図鑑』の中に、都市伝説を扱った『噂の噂』という章がありました。これなんかを読むと、「北朝鮮は海辺の日本人を海底戦車でさらいスパイにしたてあげる」ということが都市伝説として取り上げられていて、まあ、海底戦車とか、スパイとかは誇張だとしても、今にして思うとあながち「伝説」でもないわけで、都市伝説と言われているものの中には、隠された事実も身を潜めているのではないか、などと思っちまいました。まあ、海外で発見されるだるまの日本人女性の話は、100%都市伝説だと思いますけど。

 『妖怪の民俗学』のことを書こうとしてすっかり話がそれてしまいましたが、この本は妖怪好きの人にはいまいち物足りないかも知れませんが、とにかく取り上げる実例が広範囲かつ膨大であり、そのような実例の多くに女性が関わっていることや、場所の関連性、都市空間の持つ魔性などを「現代」の事例を元に論じているため、非常に読みやすくかつ興味深い内容になっていると思います。特に個人的には辻や橋、境など、人が異界へと足を踏み入れる「境界」、七不思議、怪音などに焦点を当てて論じた第三章『妖怪のトポロジー』が非常に興味深く読むことが出来ました。

ごすふぉーど

 しかし円了さん、鬼門にトイレを作ってはいけないという迷信を打破するために、わざと自分の学校の鬼門にトイレをつくったり、寝るときは必ず北まくらで寝たりして、小さいところからこつこつと、なかなかかわいらしいところもあるのです。ちなみに鬼門にトイレを作った学校は火事で全焼してしまいましたとさ。

妄雲を払て真月を見、偽怪を排して真怪を顕さんと欲す - 井上円了

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大根雄
栃木生まれ。
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いたりいなかったりする。

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