

本日も昼はカフェで読書。水野稔著『黄表紙・洒落本の世界』を読む。目的は山東京伝
の黄表紙に関する章だったけれど、前半の洒落本に関する章がとても面白かった。洒落本が誕生したのは享保のなかば過ぎというから、江戸時代も中盤にさしかかった頃。洒落本の「しゃれ」は、お洒落のしゃれ、つまり「気のきいたユーモラスな言葉のおかしさのほかに、身なり・よそおいについても言い、もっと広く、洒脱なさっぱりとした態度」であり、「人間の日常の風姿・言語・行動すべてが都会風な洗練と技功を経て、いかにも軽快明朗な気分をあたえることを基本とする」ような、おしゃれたことを意味する。洒落本の原本を読んでいないのでなんとも言えませんが、この本で紹介されている洒落本の説明を読む限り、めちゃくちゃ興味を魅かれる。『聖遊廓』という作品は、「李白の湯屋に孔子・老子・釈迦の三聖が来合わせ、白楽天を幇間として遊ぶ」というお話。『遊子方言
』という作品は、「我より外に色男はなし」とうぬぼれる通人きどりの男が、若者に遊廓での遊び方を教えてやろうとして、逆に恥をかくというお話。冒頭に、登場人物の外貌・衣裳・持物などが細かく説明されていて、いきなり物語に引きこまれる。うー、オリジナルを読みたい。近いうちに図書館に行って、『洒落本大成
』をあさろう。
夕方、ちゃりで多摩湖・狭山湖へ。新青梅街道をひたすら埼玉方向へ走り、東村山のあたりで少し迷って、お巡りさんに方向を聞いて五時半ぐらいに多摩湖に到着。あまり面白くない多摩湖サイクリングロードを走り抜け、狭山湖へ。突然に目の前に現われたとても美しい落日に、自転車を降りて呆然。まわりには、カップルと、おじいさんとおばあさんと、犬を散歩している人がいる。みんな沈んでいく太陽を見ている。近所のコンビニで、スニッカーズとホモソーセージと缶コーヒーを買って来て、湖に映る夕日を眺めながら食べました。好きな人ができたらここへ連れて来て、このすばらしい光景を見せてあげようと思いました。
帰り道、道沿いに素敵な緑地があったので入ってみたところ集合墓地でした。こわくねえさと強がって走り続けたのですが、まわりをみたら大勢のおばあさんやらおじいさんやら娘さんやらが墓石に座っていました。とても怖かったのですが、今となっては良い思い出です。