
04年07月02日(金)

先月、京都から奈良へ向かう移動途中に読むために、昭の字から借りたままになって結局読んでいなかった車谷長吉の『武蔵丸』を改めて読みました。あまりにも不快。そもそも、車谷氏の文学の信条が、「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な、維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい」という漱石の言葉だというのだから、漁夫の利を座右の銘とする浮薄なぼくの精神と通じ合うはずがありません。にもかかわらず、おもしろすぎて読みが止まらず、読了してみれば、なんとも言えぬ虚無感、車谷氏の他の作品が読みたくて仕方がない。止むを得ず、昭の字の自宅にあった車谷氏の本をすべてかっぱらってきました。