
『阿弥陀堂だより』を観ました。
劇場に入ったらあらびっくり、じーさんばーさんばかりで、映画館がほとんど病院の待合室と化しておりました。以前に『ピンポン』を観に行ったときは映画館が東京モード学園みたいになっておりましたが、その時も今回も、共に浮いているぼくであります。
主人公は、妻が医師、夫が売れない小説家という一組の夫婦です。病気の妻の療養のために、夫の故郷である信州に帰ってきた夫婦が、阿弥陀堂を守るオウメさんや村の人々との交流の中で、お互いに自分を取り戻していくという、ムシズが走るようなお話なのですが、ぼく、甚く感動してしまいまして。
とにかくもう、登場人物のすべてが善良で、わらっちまうぐらいに素敵な村でして。悪人が一人も出てこないし、村人さんもみんな謙虚で、田舎というものはもっとドロンドロンとしているのではないですか、などと突っ込みを入れたくなりましたが、それでも感動しちまったのです。全編を通して随所に挿入される信州の季節もとても美しく、それだけでも観る価値はあるかもしれません。
物語のキーパーソンでもあるオウメさんは、ほとんど妙好人然として描かれています。「有り難い、なむあみだぶつ」、「あさましい、なむあみだぶつ」、「弥陀の親さまがなむあみだぶつ」、「下さるお慈悲がなむあみだぶつ」、「出入りの息がなむあみだぶつ」、「夜があけてなむあみだぶつ」、「日がくれてなむあみだぶつ」
小西真奈美さんの演じる少女小百合が、オウメさんの話を聞いてまとめたコラムが映画のタイトルにもなっている「阿弥陀堂だより」です。夫妻は、村の広報誌でそのコラムに出会います。
<阿弥陀堂だより>
目先のことにとわられるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に九十六歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿のひけつかも知れません。
物語は、この<阿弥陀堂だより>を随所にちりばめながら、孝夫と美智子の夫婦を中心に、オウメさんや病気で声が出せなくなった少女小百合、孝夫の恩師である幸田夫妻などの関係の中で進行していきます。
『阿弥陀堂だより』には、ぼくが思うところの映画的なおもしろさはほとんどありませんでしたし、この種の都合のよい物語にも、正直辟易します。にもかかわらず感動してしまったのは、途中のオウメさんのこんなセリフのせいかもしれません。
わしゃあこの歳まで生きて来ると、いい話だけを聞きてえであります。たいていのせつねえ話は聞き飽きたもんでありますからなあ
まさしくこの映画、さらに原作である『阿弥陀堂だより』はいい話なのです。こんな話を、オウメさんは聞きたかったのではないでしょうか。
「阿弥陀堂だより」というタイトルを聞いたとき、もっと別の、南無阿弥陀仏を唱えて浄土を想い焦がれている人々の話を勝手に想像していました。実際には映画中に浄土教を意識するような科白はほとんどなかったので、オウメさんの浄土に対する態度が不鮮明だったのですが、原作を読んでみたところ、次のような阿弥陀堂だよりが載っていました。
<阿弥陀堂だより>
南無阿弥陀仏さえ唱えていりゃあ極楽浄土へ行けるだと子供の頃にお祖母さんから教わりましたがな、わしゃあ極楽浄土なんぞなくてもいいと思っているでありますよ。南無阿弥陀仏を唱えりゃあ、木だの草だの風だのになっちまった気がして、そういうもんとおなじに生かされているだと感じて、落ち着くでありますよ。だから死ぬのも安心で、ちっともおっかなくねえでありますよ
やっぱ妙好人だ。
夫婦が渓流で釣り上げた一匹のイワナを囲炉裏で焼いて食べ、その残りをお椀に入れて熱燗を注ぎ「骨酒だ」と言って飲むシーンがあるのですが、それが絵に描いたような幸せに映りまして。酒もうまそうだし、今どき囲炉裏のある家で、妻と二人で釣った魚を焼いて食べるって。おいおい、って感じでしょう。羨ましすぎる。
そのように幸せの映画であるにも関わらず、映画を観終えてぼくの心に残っていたのは、孝夫が感じていた惑いについてです。映画自体は最終的にはハッピーエンドですから、そこらへんのところはうやむやになっているというか、解消されている形になっているのですが、不惑を過ぎて尚惑いを感じる孝夫を見ていると、将来の自分を見ているようで、不安になります。
ぼくはまだまだ若いですし、孝夫の年齢の惑いをそのままリアルに実感することは出来ません。しかし、現在ぼくが感じているこの惑いも、年と共に消えていくだろうという漠然とした期待があるからこそ耐えられるわけで、この惑いが永遠に続くとなると、そこに残るのは人生に対する絶望だけです。ちょいと大げさではありますが。
あるいは現在のこの惑いも、いつかは別の惑いによって消え去る時が来るのかと思えば、それはそれで安心ではありますけれど、その後にまた別の惑いに苦しむことは必定であり、結局惑いが消えることはないわけです。
年齢にも関わらず未だ而立せず、にもかかわらず不惑を望むとは、身の程を知らぬとはこのことかもしれません。惑うこと自体を苦しみと考えなければよいのでしょうが、それも儘ならず、駅から自宅までの帰り道を、惑い、迷い、苦しみながら歩く日々でございます。いつかは不惑を迎えることを夢見て。
<阿弥陀堂だより>
お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。話しているうちに、自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分からなくなります。もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。怖くはありません。夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。