02年10月18日(金)

 京極夏彦の『鉄鼠の檻』読了。

 またまた最高!京極最高!などと手放しで褒めてしまいますが、面白いものは仕方がありません。
 今回の舞台は『姑獲鳥の夏』にも登場した箱根山中の旅館仙石楼から始まり、経歴の不明な禅寺へと移行していきます。いややや、もうわくわくしっ放しでしたよ。

 個人的には、これまでの京極堂シリーズの中で一番推理小説っぽいのではないか、などと思っております。ストーリーは、取り立てて怪異な出来事が起こるわけでもなく、ふつーに殺人が行われて、その犯人と殺害の理由を突き止める、という、まことにシンプルなものでございます。前作の『狂骨の夢』では。その語りの上手さ(それがどれだけ上手いのか、最後まで気づきませんでしたが)にびっくりさせられましたが、今回は説明の上手さに感動しました。登場人物に説明するというお決まりの形式で禅の歴史が説明されていくわけですが、これがとても分かりやすい。下手な禅の本を読むよりも、よほど理解できました。もちろん、禅のうわっつらのさらにうわっつらの部分程度ですが。

 禅宗と一口に言っても、もともとは仏教の分派のひとつであり、禅宗自体も時代と共に分派しています。分派している以上、各々の宗派それぞれに異なる教義を持ち、異なる修業を行います。『鉄鼠の檻』では、釈迦が金毘羅華を指さしたところから始まり、菩提達磨によって現在の禅宗の基礎が固まり、北宗禅と南宗禅に分かれ、南宗禅がさらに青原系と南嶽系に、南嶽系が為仰宗と臨済宗、青原宗が雲門宗と法眼宗、曹洞宗に分かれていく歴史をわかりやすく説明しています。さらに、それらの宗派の相違、例えば曹洞宗は只管打坐、臨済宗は公案、いわゆる禅問答を良しとする、などということにも言及し、しかもそれらのことがすべて物語に関連しています。京極堂や物語に登場する禅僧は、滔々とそれらの歴史と概要を、登場人物に、延いては読者へと説明します。これがすごく面白い。

 たとえば、禅には「魔境」と呼ばれる境涯あります。ひたすらに坐禅を行っていると、突然悟りに似た感覚に落ちることがあるそうです。世界と己が一体になったような感覚。目の前に神や悪魔が現れる感覚。次から次へと不思議な言葉が、今まで考えたこともないような真理が次々と湧いてくる感覚。これは一見悟りであると錯覚しがちであるが、それは悟りではなく、「魔境」であると云います。

「幻覚ですか。仏さんが見えても?」
「そんなモノは幻だよ。一部の新興宗教なんかで、修業中に仏様を感得したとか解脱したとか云って騒いでいる連中がいるが、そんなモノを見て喜んでいるような者は救いがたい大馬鹿なんだよ、益田君」
「大馬鹿ーですか」
「大馬鹿だ。そんなモノは皆、物理的な、或は生物学的な説明のつけられる、所謂生理現象に過ぎない。科学的思考を以て解決できる以上、それは神秘ではあり得ないし、悟りとは神秘的なものですらない。だから禅では、そう云う状態になった時は、それを当たり前のこととして受け流せと、そう云われる」

(以前にちょっとだけ取り上げた山折哲雄さんの『神秘体験』や、禅とドラッグの関係を書いた『ZigZagZen』なんかのこともちょっと書きたいのですが、長くなりそうなのでまた今度)

 ちょっと肩透かしだったのは、言葉で憑き物を落とす京極堂と、不立文字の禅僧の対決が、あまりぱっとしなかったといいますか、いつもの憑き物落としと同じじゃんと感じてしまったところです。あれほどまでに「禅に言葉は通用しない」といって事件に関係するのを拒んでいたのですから、もう少しね、なんか禅そのものをひっくり返すとまでは言わなくても、言葉を使っているのに言葉を使っていないような、そんな憑き物落としを期待していたのですけど。それから、赤い子供・・・。

そちらはまあ、少しはお解りじゃな。ただそう言葉にされてしまうと、矢張り違うとしか云いようがないが、もしかしたらお解りなのかもしれん。いずれにしてもこの臨済大悟のくだりにゃ一切の説明は無用だ。否、凡ての禅の公案に説明は不要なんですわい。意味づけは蛇足、言葉は無用だ。言葉に溺れ知識に振り回されるは黒漫漫地なりきですな

 ところで、物語の冒頭でキーとなる「禅僧の脳波測定」を行おうという試みは、史実として実際にあったことでして、『鉄鼠の檻』では結局行われませんでしたが、史実では1955年に、東京大学の笠松章と平井富雄という二人の精神医学博士によって、東京の青松寺で実際に行われています。この時の結果に関しては、おおむね物語の中で京極堂が予測しているのと同じ結果が出たようです。

 以前の作品でも、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』と比較がされがちであった京極堂シリーズですが、この『鉄鼠の檻』ではよりいっそう物語に『薔薇の名前』的な要素が増しています。『薔薇の名前』との物語の類似も何点か指摘されています。ぼくは匹敵する面白さだと思ってしまうのですが、まだまだ甘いですか。

じゅーぎゅーず

我に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門あり。教外別伝、不立文字、摩訶迦葉に付嘱す(拈華微笑)


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雑記書手紹介

大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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