
02年10月19日(土)
三ヶ月で約三冊というのが読書の量として多いのか少ないのかは分かりませんけど、このレポートを見る限りでは、人々の読書離れはそれほど急激に進行しているわけではなさそうです。むしろ増えているし。人々の、とりわけ若者の本離れが懸念されている昨今ではありますが、このレポートを見る限り、 それほどでもないみたいですね。
今季号の『本とコンピュータ』の雑誌内雑誌『書物再定義』でも、「人はなぜ、本を読まなくなったのか?」という特集を行っています。その中で粉川哲男氏、関川夏央氏、加藤典洋氏による『新しい読書の習慣はうまれるか?』という座談会が収録されているのですが、お約束通りに最近の学生が如何に本を読まなくなったかの説明から始まり、それではどうして若者は本を読まなくなったのか、そして本に変わる情報媒体があるとしたら、それは一体なんなのかを座談しています。関川夏央氏は、授業で学生のほとんどが石川啄木の歌を知らないことに言及して、以下のように述べています。
歌を知らないから、まず「東海の小島の磯の白砂に」を教えなくければならない。これは衝撃だったな。べつにかれらがバカになっているわけじゃなく、知識とか愛着の対象が、私たちとはぜんぜん違うということに、おそまきながら気づいたわけです。
人が本を読まなくなったことを危惧するする人は大勢いますが、上記のサイトを観るかぎり本離れはそれほどでもなさそうだし、たとえ本離れしたとしても、それは関川さんが言うように、人々が本に替わって別の何かに情報の媒介物を発見したからなのでしょう。時代を顧みずに「最近の若者は本を読まない」と嘆いているご老体たちにはそんなことはわからないでしょうけど。
ちなみに鉄割の中では、読書をする人はすげー本を読みますが、しない人は人生で読んだ本が二冊とか、それぐらいの隔たりがございます。