02年10月23日(水)

 今更ですが、『坊ちゃんの時代』を読みました。

『坊ちゃんの時代』は、夏目漱石がロンドン留学から帰国して小説を書き始めた明治37年6月から始まり、修禅寺の大患から一時的に回復し、桜吹雪の神田川沿いを歩く明治44年4月までの7年間を、漱石のほか森鴎外、石川啄木、幸徳秋水などの視点から明治という時代を描いた作品です。日本史の中でもとりわけ特異な時代である明治を、関川夏生さんと谷川ジローさんがとてもいい感じに描き上げています。以前の雑記でもとりあげた高橋源一郎さんの『日本文学盛衰史』は、この漫画に着想を得て書かれたそうです。

 今年の始めから中頃にかけて読んだ明治に関する書籍の中で、印象に残る作品が3冊あります。田山花袋の『東京の三十年』、松山巌の『世紀末の一年』、そして上で挙げた『坊ちゃんの時代』です。偶然ですが、『東京の三十年』は明治の始めから明治40年ぐらいまでを、『世紀末の日本』は1900年、つまり明治33年の一年間を(ただし、その前後の年代も参照として多く取り上げています)、『坊ちゃんの時代』は明治37から明治天皇崩御直前の明治44年までを描いています。要するにこの三冊で、明治という時代を一応は通読できるわけです。もちろん、三冊とも描く対象と視点が異なりますから、この三冊を読んで明治という時代が完全に理解できるというわけではありませんが、視点が異なるからこそ見えてくるものもございます。

 どうしてこんなにも明治という時代に魅かれるのか、自分でもいまいちよく分からないのですが、明治という時代が、世界でも類を見ない「文化の転換」を行った時代であり、そのような動乱の時代に生きた人々の思考や行動に興味があるのかもしれません。文明開化という西欧化の波に呑まれそうになりながらも、その波を日本文化へと融合しようとした彼の人たちの生き方は、ぼくにとってまさしく理想ですもの。

 漱石は西欧を嫌いながらも英語教師に従事し、啄木は女遊びに精を出しつつ借金を重ね、鴎外は愛するドイツ女性との決別の苦しみを生涯胸に秘め、幸徳秋水は抗することのできない己の運命を潔く受け入れ、凛冽たり近代なお生彩あり明治人は、己の苦悩に煩悶しながらも懸命に生きております。

 ところで、『世紀末の一年』を書いた松山巌という方は、実はぼくの人生の中でもっとも好きな作家(あるいは評論家)と言っても良いぐらいの御仁でして、彼の書く小説(二作しかありませんが)、評論、エッセイ、すべてが素晴らしくて、読むたびに感じるところがあります。
 小説『日光』などは、初めて読んだときの衝撃と興奮をいまだに明確に覚えております。読みながら手に汗を書いたのは、あの小説ぐらいじゃないのかな。あまりにも好きすぎて、誰にも教えたくないのです。あまりにも好きすぎて、誰にも読んで欲しくないのです。

そうせき

 ああ、好きなことだけして、小さくなって、懐手をして暮らせんものか。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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