
先日テレビを見ていたところ、タイのある新興宗教の教祖が、自分が無敵であることを証明するために、刀を片手に軍隊へ突入する映像が流れていました。教祖さんは思いっきり銃で蜂の巣にされて、あっというまに死亡しておりました。うわーすげーまじじゃん、こいつマジで自分のこと無敵だと思ってんじゃん!と感心してしまいましたよ。
貧困な想像力しか持ち合わせていないぼくは、「新興宗教」と聞くとどうしても、金もうけ主義の黒幕とその操り人形である教祖、という図式を想像してしまいます。映画『教祖誕生』とか、『マルサの女2』みたいな。けれども、実は大半の新興宗教の教祖さんは、自分のことを本気で神様だと思っているようで、人を生き返らせることができるのよ!などと信じきって死体を何日も放置したり、わけのわからない治療を施して逆に殺してしまったりと、日々を一生懸命に生きているようです。麻原にしてもチャールズ・マンソンにしても、教祖としての自分だけが真実なのですから、いくらぼくたちが違う世界から語りかけても、話が通じるわけがありません。
大正から昭和にかけて、出口王仁三郎という方がいらっしゃいました。このかた、大本教という宗教団体の偉い方で、今も大勢の方の信仰の対象ですから下手なことを書くわけにはいかないのですが、この方、自分のことを弥勒菩薩であると信じきっていて、このような写真を撮っております。
森村泰昌氏に見せてやりたい。
もしこの方がぼくの同級生だったら、絶対に言ってやります。お前は100%弥勒ではないと。それが彼のためにもなると思います。
まあしかし、ぼくの大好きな空海さんにしても、「五十六億七千年後に弥勒と一緒にお前ら助けにくっから」とマジで言って即身仏になってしまったわけだし、宗教史を紐解けば、今のぼくたちの価値観からするとおかしな人はたくさんおります。キリストのちんちんの皮を食ったと言い張る女の子とかもいたし。そういう方々の記録を、心ゆくまで堪能したい。

そんで池袋のジュンク堂の宗教のコーナーに行ったら、王仁三郎っちの本が死ぬほどあってびっくりしました。