
年始というものは、今年は良い年でありますようになどとお祈りをする希望に満ちた時期だと思うのですが、なぜかわたくしは頭をぱっくりと割ってしまいまして、さらに目の回りは内出血でパンダのように真赤に縁取られており、そのような状態で日々はゲームをして過ごし、家を出ることもなく、一日に少々の米を食らい、人と話すこともないような生活を送っていると、今年に対して早くも絶望を感じながらもほんの些細なことに希望を見つけようとし、下手な希望は後に余計に辛くなると頭では解りつつも、それでもまだ世俗に対して幾許かの執着を捨て切れず、町に出れば良いことがあるのやもしれぬなどと思って町を出たら汚い外人とぶさいくな日本人女性がディープキスをしておりました。それでこれは今年は駄目だとあきらめがつくかと言えばそんなこともなく、やはりまだもしかしたら何かしらの幸福に巡り合えるかも知れないなどと阿呆な希望を持ち続けている次第でございます。
で、ゴーギャンのこの絵ですが
絵自体は大好きなのですが、タイトルが良くない。タイトル、「我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?(Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?)」というのですけど。
それで、古本屋に行ったらアイスキュロスの『縛られたプロメーテウス』が売っていて、眠れない夜に良いかしらと思って買ってちょいと読んでみたところ面白すぎて読みが止まらず、読了してみればこれは全能の神ゼウスに刃向かってけちょんけちょんにされてしまう男の話でありまして、今この時期にこんな本に巡り合うとうことは、そうか、ぼくは神様に刃向かわなくてはいけないのかと、軽はずみな決心をいたしました。

そんなわけで、ことしのぼくの目標は、神様に勝つことです。どんなバチを与えられても決してくじけません。かかってこい、神。ぶっとばしてやる。