03年01月13日(月)

 一般に、絵画を描いたり、音楽を作曲あるいは演奏したり、小説を書いたり、パフォーマンスをしたり、そのように制作物やコンセプト、行為など、何らかの媒介を通して自己を表現する人のことを、「芸術家」「アーティスト」、あるいは「作家」と呼びます。それは即ち「芸術を行う人」という意味に帰結すると言ってよいと思うのですが、そのときに問題になるのは、「芸術」とは何か、という、古来より数多の議論を引き起こしながらも、未だに明確な答えの存在しない普遍的な問いです。私たちが誰かを指して「芸術家」と呼ぶとき、少なくともその人は、私たちが漠然と「芸術」と呼ぶ分野に直接、あるいは間接的に影響を受け、且つ意識的に「芸術」を行っている場合がほとんどだと思います。つまり、「芸術」の定義は曖昧であっても、それを行う人にとって、「芸術」を行っているという意識は自覚的ということになります。

 現在ワタリウム美術館で開催されている『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』展に行って考えたのは、そのような従来の「芸術」という概念に関する疑問ではなくて、そもそも表現をするということの意味とは何かということで、これもまた古来より繰り返し議論されてきた、答えのない題目です。人はなぜ表現するのか。繰り返しになりますが、現代においても「芸術」という定義は曖昧であり、そのような状態でヘンリー・ダーガーが「アウトサイダー・アーティスト」と呼ばれるのは、彼が正規の芸術教育を受けていないということが大きいのかも知れませんが、芸術教育を受けていないアーティストは数多く存在するし、逆に教育を受けなくては芸術活動が出来ないということになれば、ある意味で十九世紀以前のサロン芸術に見られるような閉鎖的な空間を作り上げてしまう危険性を伴うわけで、少なくともそれは二十世紀における芸術の活動とは相反する行為だと思われます。そうなれば彼が「アウトサイダー」と呼ばれるのは、彼が創作に自覚的でなかった、つまり彼が全十五巻、百点を越える挿し絵、一万五千ページに及ぶ大著『非現実の王国、あるいはいわゆる非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語、あるいはグランデリニアン大戦争、あるいは子供奴隷の反乱に起因するグラムディコ.アビエニアン戦争』を書き上げたのは、意識された芸術活動ではなく、あくまでも彼自身の欲求によるものである、という点が大きいと思われます。

 いままでもこの雑記の中で何度か取り上げていますが、ヘンリー・ダーガーは、1892年にアメリカ、イリノイ州シカゴに生まれました。幼いうちに養子に出され、8才でカトリックの洗礼を受け、その後知的(感情)障害者と認定され、施設に入ります。しかし17才の時に施設から逃亡、その後病気で入院する71才まで掃除婦、皿洗いなどをして生計をたて、81才(1973年)で亡くなるまでその生活は続きます。死後、四十年に渡ってダーガーがひとりで住んでいた彼の部屋から発見されたのが、彼の唯一の作品『非現実の王国(・・・)』です。その内容は、奴隷少女たち<ヴィヴィアン・ガールズ>の軍隊が、架空の王国の支配権を強奪した凶悪な奴隷主であるグランデリニアン人と戦うというストーリーが骨子になっている非現実的な王国物語であり、幻獣ブレンギグロメニアン・クリーチャーたちが空を飛びかうその王国で、男性器をつけた幼い少女たちが、戦いのなかで拷問、虐殺されていきます。この物語を、ダーガーは19才から71才までの間、ひとり部屋にひきこもり書き続けていたのです。

 ジョン・M・マクレガーによる『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』は、精神医学者であるマクレガー氏が、そんなガーダーの唯一の著書を精査・分析した論文と、『非現実の王国で(・・・)』の抄訳、カラー図版三十九点を加えた、おそらく現在読むことのできる唯一のダーガーに関する書籍です。この本によれば、最初に小説の部分を書き上げたガーダーは、その後に挿し絵の制作にかかったということで、絵を描いたことのなかった彼は、新聞や雑誌などから少女の絵を探しだし、トレースし、コラージュして挿し絵を完成させていったそうです。文字通り人生をかけて作品を作り上げた彼は、その作品の存在を誰に告げることもなく、この世から去っていったのです。

 これらの創作物と創作行為に関して、彼に芸術活動であるという自覚があったのかどうかを、第三者であるぼくたちが判断することはできません。あるいは、『非現実の王国で』と共に残されていた五千ページに及ぶ自伝を読めば、ある程度は明らかになるのかもしれませんが、それが一般に公表されていない以上、そこから推測することもできません(公表されていたとしても、それを読み通すことができるかどうか・・)。しかし、彼がこれらの創作物と創作行為を誰にも伝えずにこの世を去ったという事実を考えれば、かれがこの行為を「芸術」であると意識していたというよりは、自らの欲望を書くことによって、あるいは描くことによって解消していたと見るほうが自然のように思います。自らの欲求を満たす行為であれば、第三者にそのことを伝える必要はありません。だれがマスターベーションの逐一を、他人に伝えるでしょうか。だれがマスターベーションをするときに、他の人のマスターベーションを学ぶでしょうか。

 ここ数年で一気にその名を世界に知らしめたヘンリー・ダーガーのことを語るとき、多くの人が口にするのは「そもそも芸術とは何なのか?」「表現するとはどういうことなのか?」「そもそも人はどうして表現するのか?」という、普遍的な問いです。それらの公開されることを前提としなかった作品群を目の前にするとき、それらの絵画のうちに秘める不思議な魅力に魅かれながらも、ぼくたちがより強く感じるのは、おそらく感動よりも驚異に近い感情でしょう。そしてその驚異は、絵画そのものに対するよりは、ダーガーの内面に対するところが大きいと思います(もちろん、「作品そのもの」に魅かれる人がいるという事実は否定しません)。「アウトサイダー」と名付けられた「外部の」芸術家によって、芸術そのものの存在は激しく揺さぶられ、ぼくたちは根本的な問いに立ち向かわされます。どうして人は表現をするのか、という問いに。


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大根雄
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