03年10月13日(月)

 体調が十全ではないし、雨も降っているようなので自宅で療養。と思っていたら午後から突然に晴天、こんな日に自宅にこもっていては直るものも直りません、さっさと家を出てお散歩しましょう。最初に寄った古本屋さんで『寸心日記』を発見、ほら、さっそく良いことがあった。

 本屋さんで、茂木健一郎『意識とはなにか—〈私〉を生成する脳』を購入。そのままカフェで読書。同じ著者による『脳とクオリア—なぜ脳に心が生まれるのか』の新書版といった感じ。まだ最初の方しか読んでいないので詳しくは説明できませんが、とりあえず「クオリア(Qualia)」という言葉について軽く説明をすると、ぼくもこの言葉は文藝の保坂和志特集に掲載されていた茂木氏と保坂氏の対談で初めて知ったのですが、一言で言えば「私たちの感覚に伴う鮮明な質感」ということで、たとえば「太陽を見上げた時のまぶしい感じ、チョコレートが舌の上で溶けて広がっていく時のなめらかな甘さ、チョークを握りしめて黒板に文字を書いた時の感触」のような個人的な意識の感覚です。ぼくたちは、世界を区別する際に<あるもの>が<あるもの>であるとして他のものと区別をします。意識の中でとらえる<あるもの>は、他の<あるもの>とは異なり、あくまでもそれでしかない<あるもの>として世界に存在します。この<あるもの>のユニークな感覚、これがクオリアです。多分。きっとそういうことだと思います。間違っていたらごめんなさい。

 茂木氏は問います。

意識の中で<あるもの>が<あるもの>として感じられるのはいかにしてか?
すべてを感じる存在としての<私>は、どのようにして生まれるのか?
<私>は、生まれる前は、どこにいたのか?
そして、<私>の存在は、死んでしまった後はどうなってしまうのか?
私たちの意識の中で、<あるもの>がまさに<あるもの>として感じられること、そして、そのような意識を持つ<私>が<私>であることの不思議さは、すべてを説明しつくすかのようにも見える科学的世界観に開いた穴として、私たちの前に存在している。

 客観的な物質のふるまいの法則を研究の対象としてきたこれまでの科学の方法論は、このような主観的な体験や問題を例外的に特別扱いしてきました。ですからこの種の問題の多くは、哲学や宗教が担当してきたのです。しかし、茂木氏はクオリアという概念を用いて、これまでの科学的なアプローチとは異なった方法でぼくたちの主体的な意識の問題についてアプローチをしようとしているのです。ね、すごく面白そうでしょう。

 さて、とうとう今週末に開館する森美術館ですが、開館記念展の「ハピネス—アートにみる幸福への鍵—モネ、若沖、そしてジェフ・クーンズへ」がとても面白そうで楽しみ。めちゃくちゃ混むだろうから、少し落ち着いてから行きましょう。でも、ひとりで行くのは嫌だなあ。

 この森美術館、平日は22:00(火曜日除く)まで、金土祝日前は24:00まで開館しているそうです。すげー!月曜日も開館しているのが嬉しい。

 夜、体調が少し心配だったけれど、走ってみました。気持ちがとても落ち着いて。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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