
04年11月27日(土)

自転車に乗り始めて数ヵ月、はまっているのはサイクリングだけではありません。同時に知ったのがロードレースの素晴らしさです。こんなにも面白い世界があったとは、人生まだまだ知らないことがたくさんあるものです。中古のロードレースのビデオを買いまくって観まくっているのですが、数百人の選手が一斉に壮大な景色の中を自転車で走っている姿を観ていると、自然とよだれが垂れて意識が遠のきます。何時間観ていても飽きません。あの素晴らしさは、実際に観てもらう他に説明する術がありません。
それで、世界最大のロードレースと言えば、やはりツール・ド・フランスということになりますが、先日、そのツール・ド・フランスの百年の歴史を書いた『丸ごと100年ツール・ド・フランス』と『ツール100話
』という本を読みました。前者はツールの100年を包括的に、後者は、戦争でレースが中断した1940年から1946年をのぞいた全89レースについてのエピソードが書かれているのですが、これが最高におもしろい。たとえば、
- 第一回の優勝者であるモーリス・ガラン、第二回のレースでは、途中で疲れて列車に乗り、出場停止。
- 初期のツールで活躍した名選手ウジェーニュ・クリストフは、走行中に泥まみれになり「アザラシ」と呼ばれ、髭を剃ったら「カバ」と呼ばれ、さらに威厳がなくなったとして「クリクリ」と呼ばれる。
- 第四回大会の優勝者であるルネ・ポッティエ、レースの途中でカフェによりワインを一杯注文、飲み終えた後にレースに戻り、ステージ優勝。その半年後、普段は自分の自転車を吊下げておくフックにロープをかけて首つり自殺。
- 第七回大会の優勝者であるフランソワ・ファベール、ツールの期間中にカツレツを168枚食べる。二年後のツールでは、義弟と16人前のカキを食べて、食中毒になり、レースをリタイア。
- 第十七回大会優勝者であるアンリ・ペリシエ、翌年の大会ではレースをボイコット。理由は、暑くてシャツを脱いだら審判に怒られたから。ボイコット中は、カフェでコーヒー。
- 第十九回から二年連続で優勝したオッタヴィオ・ボッテッキアは、その二年後に道端で頭に重傷を負って倒れているところを発見される。数十年後に、ある農夫が死に際して懺悔をする。曰く、ボッテッキアが自分の畑でブドウを食べていたので、石を投げつけて殺したとのこと。
- 第三十八回大会、マイヨ・ジョーヌを着たヴィム・ファン・エストは、オービスク峠でコースを曲がりきれずにそのまま崖から転落。そのまま700メートルの崖下に転落したと思われたが、幸運にも岩のでっぱりに着地し、助かる。驚いて崖の上からのぞきこんだチームメイト曰く、「おまえはまるで崖の途中に咲いたキンポウゲの花みたいだったぜ」。
などなど。
来年は、日本のテレビで観ることのできるロードレースはすべて観てやろうと、今から意気込んでいるわけであります。