
02年11月09日(土)
最近、16時から16時半ぐらいの間に、こっそりとお仕事場を抜け出して、しばし路上でゆうがたのとろりとした時の夢を見ております。
写真だと良く分からないと思いますが、夕焼けの具合がとてもよろしくて、地面も、木々も、人も、僕自身も、辺り一面がオレンジ色に染まっております。ああ、気持ちいい。
尾崎放哉は「たつた一人になり切つて夕空」などと詠んでおりますが、この句の素晴らしさを、しみじみと感じます。
それにしても、夕日に身をゆだねながら思うのは、あの西日を拝みながら一心に極楽浄土を思い描いていた妙好人のことで、極楽浄土を想念すれば往生できると信じていた彼ら彼女らが、一体どれだけの想像力を働かせて夕日の彼方西方十万億土の阿弥陀如来に想いをはせたのか。より美しい極楽浄土を夢想すれば、死に際して阿弥陀如来が来迎してくれる信じていた彼らが、何年何十年と極楽浄土と彼岸を想い続け、生涯を通して南無阿弥陀仏を唱えていただろうと想像すると、こうしてのほほんと夕日に身をまかせている自分の幸福に、罪悪感を感じると同時に、一生をかけて彼らが思い描いた極楽浄土の、その想像力に心を魅かれてしまいます。
今日も夕陽となり部屋に座つてゐる - 尾崎放哉