今週末から映画『ぼくんち』が公開になりますね。
西原理恵子ファンとしては期待半分不安半分の気持ちでして、予告編は何度も観ているのですが、果たしてどんな感じなんでしょうねえ。映画と原作は、異なる作品として考えなさいとはよく言われることでありますが、どんなに頑張っても鉄割の人を役者としては評価できないように、原作と映画をわけて考えるのって、けっこう難しいのよねえ。
ぼくの一番すきなお話は、第三巻第二十二話。ねえちゃんが二太に、死んだはずのおばあちゃんがやってきたと言います。おばあちゃんがやってきたので、うどんを作ってあげたら、どこかへ行ってしまったと言います。二太は、ねえちゃんが大好きなので、そのうそっぽい話につきあいます。その後、裏庭に草むしりに行ったねえちゃんのところに、再びおばあちゃんが現れます。
「おばあちゃん、おうどん何で食べてってくれへんのよ。せっかく作ったのに、もう。」
「おばあちゃん死んでるもん。うどん食われへん。」
「あははは。そうゆうたらそうやなあ。」
ねえちゃんとおばあちゃんは、一緒に草むしりをします。
「なあ、おばあちゃん。人は生きててな、どこまでがしんどくて、どこまでがしあわせなんやろか。」
「そらカンタンや。食わせてもろてるうちがシアワセで、くわせなならんなったらしんどい。
そのうちええ天気で空が高うて、
風がように通る、
死ぬのにちょうどええ日がくる。それまでしんどい。」
ねえちゃんは草むらにねっころがります。そんなねえちゃんを見て、二太は思います。
「『今ばあちゃんが空にのぼっていった』
ねえちゃんがまたウソをつく。
草むらにねっころがったねえちゃんは、ぼくが昔読んだ絵本のおやゆび姫みたいにちいさく見えた。」
何度読んでも、涙があふれてとまりましぇん。うぐぐ。西原さんの漫画は全部好きだけど、やっぱり『ぼくんち』は特別です。
『ぼくんち』に出てくる家族は、みんなろくでなしばかりです。けれども、先に生まれた者は、後に生まれてきた者たちを、必死で育てようとします。ねえちゃんは一太と二太を育てようとするし、一太は二太を育てようとするし、こういちくんは二太を育てようとするし、こういちくんのねえちゃんはこういちくんを育てようとします。先に生まれたものは、後に生まれた者に、シアワセになるための生き方を教えようとします。たとえその生き方が、結果的にシアワセになれない生き方だとしても。
最近よく考えるのですが、そこそこの年齢になってしまったぼくは、後から生まれてきた彼ら彼女らに、一体なにを教えてあげることができるのだろう。教えてもらうことはたくさんあるけど、「何かを」教えてあげることなんて出来るのかしらね、ぼく。