
03年04月12日(土)
夕方、バスを降りるときに吹かれた風に、かすかな夏の匂いをみつけました。まだ四月だというのに、夏はすぐそこまできているようです。
清少納言は『枕草子』の中で、春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)が素敵だと書いています。ぼくは、春は昼間、夏は夕暮れ、秋は早朝、冬は夜が一番好きです。特に夏の夕暮れは子供のころから大好きで、日が長くなって夕暮れが青く清涼とし始めると、心が嬉しくなります。
ぼくのよく行く古本屋さんは、営業時間が午前中から日が沈むまでとちょーいいかげんなので、日が沈むのが早い冬などは、一日の仕事を終えてから行くと閉まっていることが多いのですが、最近は空気が暖かくなるにつれ、日が沈むのが遅くなったおかげで、営業時間が長くなり、帰りに寄ってもまだ開いております。開いていれば毎日寄ってしまうのがぼくですから、春から秋にかけては読みもしない本がどんどんと増えてしまうのですが、先日その古本屋さんで購入した藤枝静男氏の小説は、ぼくの心を完全に捉えてしまったわけです。
今、ぼくの前にその藤枝静男氏の小説が二冊あります。一冊は『田紳有楽;空気頭』、もう一冊は『悲しいだけ;欣求浄土』。この小説について語るには、まだ十分な精読ができておりませんので、もうしばらく時間をいただきたいと思いますが、なんと申されても藤枝静男さん、生涯のつきあいになることはまちがいありませんから、今後ともよろしく。もう死んでるけど。
私は池の底に住む一個の志野筒形グイ呑みである。高さ約五センチ、美濃の千山という陶工の作で、三年半ばかりまえに私の主人が仕事で多治見へ行ったとき裸のままもらってポケットに入れてきた品である。『田紳有楽』より