03年04月23日(水)

 『小さな中国のお針子』を観ました。

 1971年の中国。医者を親に持つ二人の少年が、文化大革命の嵐に巻き込まれ、チベットとの国境境の村へと「再教育」のために送り込まれます。それまでの生活とは正反対の、屈辱的で過酷な労働を強いられ、労働階級の生活を送ることになるのですが、そこで彼らは仕立屋の孫娘である美しいお針子と出会います。彼らは、彼女を無知から救うために、当時の中国ではご法度だった外国小説(フロベール、ユーゴー、トルストイ、ディケンズ、ロマン・ロラン、デュマ、ルソー、そしてバルザックなどなど)を読み聞かせます。(もっと詳しいストーリーを知りたい方は、公式サイトをごらんください)

 お話自体は普通に面白かったし、映像も美しかったし、役者さんたちもとても上手で、映画としてはなかなか良い映画だったと思うのですが、なぜか釈然としない気持ちが残るのは、何となく映画全体に漂う嘘臭さ(というと言葉が悪いですが)、例えばマーが初めてバルザックを読んで世界観が変わったシーンとかが、なぜか心に響かなかったからかももしれません。小説を読んで世界が変わるということは、小説が好きな人であれば誰もが一度は経験することだと思うし、中国の知的階級に育ったマーが、バルザックを読んで世界観を変えてしまうというのも、言葉にすると理解できるのですが、映画を観ていて思ったのは、うっそっくっせーということで、同様にラストのシーン(これは物語に関係するので詳しくは言えないのですが)にも、おいおいとつっこみを入れたくなりました。ぼくが意地悪なのかしら。

 ぼくの大好きな映画評論家の川本三郎さんがパンフレットの冒頭で紹介文を書いていて、それを読むと「この映画は、リアリズムというより、どちらかといえば寓話的な作り方をしている」と書いています。そう、寓話的な物語として考えれば、この映画はとても素晴らしい映画だと思うし、ステレオタイプな「都会の若者と村の少女」像も、「進歩的な西洋文明と保守的なアジア文明」像も受け入れることが出来るのですが、ぼくはただ単に心を落ち着かせてくれる映画を観たかったわけではなくて、かと言ってカルチュラル・スタディーズ系の馬鹿学者が喜ぶような映画を観たかったわけでもなくて、文化大革命の時代と、文明から取り残された村と、禁じられた西洋文学というテーマから、もっと刺激的な映画を想像していたわけであります。少なくとも、西洋の「個人」という概念を、たやすく受け入れる田舎の少女(あ、言っちゃった)を観たかったわけではないのね。

 だいたい、この映画、皆さん誤解しているかもしれませんが、フランス映画なんですよ。そこがまた、ね。

 などとちょいと批判的なことを書いてしまいましたが、実は相当楽しんでしまいました。二時間あっという間で、くそつまんねーとかは全く思わなかったし、普通に面白い映画でしたよ。この手の映画が好きな方には、とてもお勧めです。

 この映画を観た人の感想を聞きたい。ぼくのまわりで、誰か観た人いないかしら。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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