
生誕百年ということで、最近やたらと耳にする北園克衛さんですが、ふと気がつけば北園克衛.comなんてものまで出来ており、詩集「若いコロニイ」と「黒い火」が公開されております。
さらに生誕百年を記念して、なにやらイベントも開催される様子。キットカットがプチブームです。
北園克衛や西脇順三郎というと、前衛詩人として知られているので、「ああああわわわたしししししはここここことばばばばのうみみみみみみみみ」とか「ちんちんちんこちんこちんちちんこ」とか、訳のわからない詩を書いているのでしょうという誤解を受けていることがありますが、実験的な作品の他にも、皆さんとても素敵な詩を残しているのです。ぼくは学生時代から彼らの詩の大ファンでして、今でも五年に一度ぐらいは詩集を開いて愛読しております。
風が
さはやかな午後のアヴェニュをふいてゐた
あなたの眉は細く
アラビヤの地平線のやうに
かなしかつた
そして
あなたの日日は
僕たちの泪に縁取られた
ゲンスボロオの美しい一枚のミニアチュルでした
ね
ではさやうなら
あなたの優しい皮肉なわらひ
そしてわたしの嘘のセンチメンタルを
いま
なつかしく思い出しながら
秋風の街を僕はあるいてゐる
すこし哀しく
疲れて『ELEGIA』 詩集『砂の鶯』より
この詩なんか、すごく良くないですか。昔、この詩を手紙に書き写して恋人に送ったら、字が汚くてうざいということを言われたことがあるのですが、字の汚さよりも内容を読んで欲しかった。1900年前後に生まれて、戦前のシュールリアリズムやダダに洗礼を受けた前衛詩人さんたちは、みなさんとても良い詩を書いているのです。
たとえば西脇順三郎なんかはこんな詩を。
黄色い菫が咲く頃の昔
海豚は天にも海にも頭をもたげ
尖った船に花が飾られ
ディオニソスは夢見つつ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた
麗らかな忘却の朝
西脇順三郎『皿』
学生の頃にある先生が、西脇順三郎の詩を楽しむには、「(覆された宝石)のような朝」という一文を読んだときに、「覆された宝石」のような「朝」をイメージ出来ないと駄目だ、と言っていました。さらに、覆された宝石が括弧に入ることによって朝のイメージが変わってしまう、そのような絶妙な機微を味わうことだ、とも言っていました。
高橋新吉さんは、ちょっと男らしいので北園さんや西脇さんほどにははまりませんでしたが、それでもやはり好きな詩人のひとりであります。
留守と言へ
ここには誰も居らぬと言へ
五億年たったら帰ってくる
高橋新吉『るす』
この詩はとても有名なので、ご存知のかたもいらっしゃると思います。素敵でしょう。
この方達、書く詩も素敵ですけど、見た目もとても良いのですよ。やっぱり詩人です。文学者って、なんだかんだ言ってもやっぱり滑稽さが漂うじゃないですか。こいつらは本当にむかつくほどにダンディなのね。
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右から、西脇順三郎、北園克衛、高橋新吉なんですけど、カッコつけてるでしょう。高橋さんのしかめ面とか。もう。
ではさやうなら