02年08月13日(火)

ぶー

 朝、寝坊をして八時起床。パクセ行きの飛行機のチェックインが八時半なので、急いで着替えてゲストハウスを出る。トゥクトゥクで空港まで向かう。急いでチェックインカウンターに行くと、航空券に書いているチェックインの時間は間違いで、実際のチェックインは九時ということが判明。

 九時にチェックインする。日本人の観光客がひとりいて、話しかけてくる。ぼくよりもかなり年上で、甲高い声で早口でぺらぺらと話す。一目で気が合わないのがわかったので、無視。十時に離陸。飛行機は思ったよりも小さい。外務省から注意喚起が出ている飛行機ではないので、墜落はしないと思うが、良い噂を聞かないラオス航空だけに少し緊張する。ぼくの隣には、英語が話せるラオス人の男性が座った。それほど流暢な英語ではないが、ぼくも同じようなものなので、片言同士でちょうど良い。話してみると、ぼくよりも年下なのになかなかの実業家らしく、パクセにセカンドハウスがあるという。パクセに着くまで、一時間ほど雑談をする。歳が近いこともあって、楽しかった。名前を聞いたが、すぐに忘れた。

 十一時過ぎ、パクセに到着。雨がぱらぱらと降っている。空港を出ると、トゥクトゥクが一台しかいない。日本人の男性が、なにかにつけて気持ちの悪い声で笑い、しゃべり、それが癇に障る。トゥクトゥクに乗り込むと、フランス人の女性二人が先に乗っている。女性と言っても、二人とも十代に見える。長いこと待たされているのか、この町が気にくわないのか、二人ともむすっとしている。

 ぼくたちが乗り込んでも、トゥクトゥクは一向に走り出す気配がない。見ると、運転手が観光客の外国人のおばさん相手に何か話し込んでいる。おそらく値段の交渉をしているのだろう。「早く行こうよ!」と怒鳴ると、「もうちょっと待って!」と怒鳴り返してくる。フランス人の女の子が「まだ来ないの?」と聞くので、「なんかおばさんと交渉しているんだけど」というと、二人はトゥクトゥクの天井をどんどんと叩き出した。ぼくも一緒に叩く。トゥクトゥクが揺れる。それから五分ほどして、ようやく運転手が戻ってきた。やっと走り出したと思ったら、いきなり給油所に立ち寄る。いい加減頭にきたので文句を言おうとしたら、日本人のおやじが甲高い声で笑いだした。その声の方にいらいらして、なにも言う気がなくなる。

 パクセの市内に到着する前に、女の子達がゲストハウスの前でトゥクトゥクを降りる。このおやじとこれ以上一緒にいたくないので、ぼくもそこで降りる。雨が激しを増してきた。ここは一体どこなのだろう?ちょうど良くサムローのような乗り物が来たので、停めて、「チャンパーサックに行きたいのだけど」と言うと、英語は通じないようだが、乗れ、乗れ、と後部座席を指さす。「チャンパーサック?」と聞くと、「バス、バス」と言う。バス停まで連れていってくれるらしい。雨に濡れながら、バス停へ向かう。

 バス停には、十分ほどで到着。サムローのおやじさんが、チャンパーサックへ行くソンテウを教えてくれる。ソンテウとは、小型トラックの後部の荷台に席があるようなもの。ぼくが着いたときには、席はすでに満席で、ぼくの顔をみると強引に詰めて席を作ってくれた。両手を合わせて、乗っている皆さんに「サヴァーイディー」と挨拶をする。しかしこれ、本当にチャンパーサックに行くのだろうか。聞きたくても、英語がまったく通じない。

わかもの 出発直後に、数人のラオスの若者がソンテウに乗り込んできた。そのうちのひとりが、少しだけ英語を話せるみたいだ。このソンテウは、確かにチャンパーサックへ行くとのこと。ほっと一安心。青年の名前を聞くが、一秒後に忘れる。しかしこの青年、英語を習い始めてまだ半年ということで、なにかにつけて英語を話したがる。ぼくは風景でも見ながら静かにソンテウに揺られたかったのだが、次から次へと話を続ける。最初は楽しかったけど、途中からうざくなって無視をすると、たばこを吸いながら友人たちの方へ戻っていった。

わかもの パクセを出てから、延々と一本道を進む。この距離だとさすがに歩くことはできないが、一度も道を曲がらず、ひたすらに一本道を走り続ける。ぼくは一本道が大好きなので、直接に風を受け、ラオスの人々に押しつぶされそうになりながら走るこのソンテウが楽しくて仕方がない。周りには田んぼが広がっている。田んぼの中に、高床式の家がまばらに建っている。ソンテウは、数キロごとに村に止まる。村の物売りの子供たちが一斉にソンテウを取り囲み、飲み物やら食べ物やらを売ろうとするが、ぼくに気づくとはっと固まってしまう。が、両手を合わせて挨拶をすると、ニコッと笑ってくれる。歩くことも楽しいけれど、こうやってただ風景を眺めながら移動するのも、とても楽しい。

 約二時間ほどで、メコン川沿いの船着き場に到着。巨大な筏にソンテウを乗せて、メコン川を渡る。雄大なメコンの川上を、ソンテウとぼくを乗せた筏がゆっくりと流れる。雨も、いつの間にかやんでいる。

ちゃんぱーさっく 川を渡ると、小さな村に到着。英語を話せる若者が、「ここがチャンパーサックだ」と言う。うっわー、何もねー!!と思いながら、ソンテウを降りる。ガイドブックに、何件かゲストハウスが紹介されていたけど、そんなものはどこにも見当たらない。若者に、「このへんにゲストハウスは・・・」と聞くと、周りの人と何かぼそぼそと話し、「この道をずっと先に行ったところにあるから、サムローで行け」とのこと。歩いては行けないか?と聞くと、二キロぐらいだという。それならば歩こうと思って歩き出すと、若者が後ろから追っかけてきて、ゲストハウスまでソンテウで送ってくれるという。お言葉に甘えて、再びソンテウに乗る。

 五分ほどで、ソンテウを降りる。今度こそ本当にお別れなので、乗っているすべての人に丁寧にお礼を言って別れる。ソンテウが去り、周りを見回すと、何もない。こんなところに本当にゲストハウスがあるのかな、と思って少し歩くと、「ハロー」と何処からか声をかけられる。振り向くと、家の中から女性がぼくを呼んでいる。よく見ると、ゲストハウスと書いてある。部屋を見せてもらって、値段を聞くと一万キープ(140円)だという。時間もないことだし、ここに泊まることにする。

うしさん ゲストハウスにはレストランが併設しているので、レストランで昼食をとる。ラープという挽肉を香草で炒めたものと、もち米のようなライス。うまい。食後、外に出ると観光客と思しき欧米人四人組が、トゥクトゥクとなにやら言い争っている。言い争っているというか、おそらく値段の交渉なのだろう。ワット・プーに行くのであれば、ぼくも一緒に乗っていこうかと思い、「ワット・プーに行くの?」と外国人に聞くと、「そうだけど、一緒に行く?」と誘ってくれた。渡りに船ですから、お言葉に甘えて参加することにして、値段の交渉は彼らに任せる。

けしき 値段の折り合いがついて、トゥクトゥクに乗る。話を聞くと、四人は一緒に旅をしているわけではなく、お互いにカップルで旅をしていて、ぼくと同様にさっき出会ったばかりだという。四人の名前をそれぞれ聞くが、速攻で忘れる。一組のカップルに、どこから来たの?と聞くと、アイルランドとのこと。アイルランドと言えば、今回の旅行に持ってきた本の中に、「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」があるので、「今、ゲバラの本を読んでいるのです」と言うと、二人は不思議そうな顔をした。あれ?ゲバラって、アイルランドじゃなくてアルゼンチンじゃん、とすぐに思い出し、ごめんごめん、勘違いしちった!と言おうしたが、英語力の不足でなかなか通じず、気がついたらぼくはアイルランドに二年間暮らしていたということになっていた。面倒くさいので否定をせずに、子供のころ住んでいたから、街の名前とか覚えていないとか適当な嘘をつく。コミュニケーションとは難しいものです。

 猛スピードで走るトゥクトゥクから外を眺める。こうして見ると、ヴィエンチャンはやはり首都だったのだなと感じる。チャンパーサックは、まさしく田舎!という感じで、のどかな田園風景がひたすら続く。途中、木に寄り掛かるようにして座っている巨大な仏像を発見。道路に背を向けているため、顔が見えない。正面から見たかったけど、トゥクトゥクは猛スピードで通り過ぎる。帰りは歩いて帰ろう、と心に決める。

 三十分ほどでワット・プーに到着。遠くに、遺跡が広がっているのが見える。うおおおお!と感動する。時計を見ると、三時を過ぎている。受付で、何時まで見れます?と聞くと、五時までとのこと。カップルのうち一組は、受付の傍にあるレストランで食事をしてから行くという。もう一組のカップルは、受付を済ませてさっさと入っていった。ぼくはひとりで歩きたかったので、少し時間差で中に入る。

 ワット・プーは、十二世紀ごろに建てられたとされるクメールの寺院の大遺跡で、自然災害や戦乱などによる人為的な被害のために、全体に損傷が激しい。それでも、クメールの遺跡を初めて観たということもあって、そのあまりの壮麗さ、そして、時間と共に正しく朽ちていくその姿に圧倒される。泥と草で荒れ果てた地面のあちこちには、寺院内に飾られていたであろう像たちが散乱している。寺院は、ところどころ補強されてはいるものの、かろうじて残っているかのように脆い印象を受ける。雨が降った後のため、地面はぬかるみ、足場が悪い。寺院に入ると、歩けるところがほとんどないぐらいに荒れ果てている。その荒れ具合が、とてもいい。ぼくは、不意に京極堂の台詞を思い出す。

「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」

 ぼくは、クメールの歴史に対して憧憬というものを持ち合わせていない。そのためか、この遺跡に対して「強者どもが夢の跡」のような感傷的な感想は全く持たない。ただ、この朽ちていく姿が美しいと思うだけだ。けれども、何百年か前にはさぞや絢爛であったであろうこれらの建物が、長年の風雨や、人為的あるいは自然現象により腐食しているこの状態を見れば、ぼくが生まれるずっと以前からこの場所にこの寺院が存在していたであろうことは容易に想像できる。この目の前に広がる風景や遺跡群が、ぼくがここに来てそれらを観察する以前からここに存在していたことは間違いない。けれども、京極堂の台詞がどうしても頭から離れない。この目の前の世界は、ぼくがここに来る以前から、あるいは観察をする以前から本当にここに存在していたのだろうか?

わっと わっと
わっと わっと
わっと わっと

 正面の、勾配の急な階段を上って本殿に向かう。途中、人程の大きさの仏像があり、そばでお線香を売っている親子(?)がいる。汗をかきながら階段を登り終えると、本殿がある。ヒンドゥー様式の浮彫で装飾された寺院は、思ったよりも小さい。中に入ると、あとから持ち込まれたという仏像が四体、静かに座っている。皆、右手を膝にのせ、左手の掌を上に向ける例のポーズをとっている。たくさんのお供え物がある。今にも崩れ落ちそうな壇に座る仏像を、ゆっくりと眺める。

 結局、五時ぎりぎりまで粘ってワット・プーを後にする。ふたたび欧米人カップルたちと合流し、トゥクトゥクで帰る。十分ほど進んだところで、トゥクトゥクを停めてもらい、そこから歩くことにする。

よいぶつぞう  しばらく歩くと、先ほどの木々の間に座っている仏像のところへ着いた。これだー!と駆け寄ると、そばで子供たちが遊んでいる。挨拶をすると、笑顔で応えてくれる。仏像を正面から見るために回り込むと、子供たちもついてくる。仏像は、凛々しい顔つきをしている。この仏像は、特に観光されるわけでもなく、昔からただここにあるものとしてここに座っているのだろう。臼杵の磨崖仏のことを思い出す。それらの石仏群は、何百年もの間、村人たちにただそこにあるものとして扱われ、子供たちの遊び場となっていたが、今では完全に修復され、国宝にも指定されて立派に保護されている。こどもたち文化財を保護することに対して異議を唱えるつもりはないけれど、ぼくがより心を惹かれるのは、今ぼくの目の前にあるような、雨や風にさらされながら蕭々とそこにある仏像で、そこには何とも言えない寂しさと、ただあるだけで放たれるような神々しさがある。子供たちは、恥ずかしそうにぼくの方を見ている。ガイドブックを片手に話しかける。お姉さんが、三人の弟の子守をしているらしい。とても頭の良い子で、ぼくがたどたどしいラオス語で言おうとすることを、すぐに汲んで答えてくれる。お姉さんの年齢を聞くと、十一歳だという。お礼を言って、その場を去る。

とてもかわいいの 歩いてみると、想像以上に素晴らしい風景に出会う。右手にはメコン川が流れ、左手には田園が広がる。道には動物が悠然と闊歩し、道路の左右にある高床式の家からは、子供の声、親の声、音楽、様々な音が聞こえてくる。道を歩く子供も大人も、ぼくに気づくと怪訝そうな顔でじっと見つめるが、両手を合わせて挨拶をするととても優しい笑顔で応えてくれる。日が落ちてきた。田んぼから、蛙の声が聞こえる。日本の田舎で聞いた蛙の声よりも、良い声で鳴いている。トンボが群れをなして飛んでいる。数が半端じゃない。大気の色が、夕方に移り行く過程の、とても良い色に変化している。周りを見渡しても街灯なんてものは見当たらない。このままでは、ゲストハウスに辿り着く前に真っ暗になってしまいそうだ。少し歩く速度を早めよう。

 ふと左手を見ると、メコン川に向かって座っている仏像がある。夕刻と重なって、仏像の背中がやけに寂しそうに見える。仏像の方へ行きたいが、バリケードが張ってあって、向こう側へ行けないようになっている。近くに牛を連れているおじさんがいたので、入っていいか?と聞くと、全然問題ないようなので、バリケードをくぐって仏像の方へ行く。地面がぬかるんでいて、サンダルがずぶずぶと地面に埋まる。もつれる足をどうにか動かして、仏像のもとへ。正面へ周り、仏像を御顔を拝む。仏像は、静かにメコンの流れを眺めている。ただ、メコンの流れを眺めている。メコンを眺めることを強いられた仏像に、ちょっとだけ哀れみを感じる。

めこんにたたずむぶつぞうさん

 結局、ゲストハウスに着いた頃には辺りは真っ暗になっていた。昼と同じレストランで、夕食をとる。あまりおなかが空いていなかったので、フライドポテトと、スクランブルエッグ、それからラオス特製のアイスコーヒーを注文する。アイスコーヒーは、まるでチョコレートを飲んでいるのかと思うぐらい濃く、甘い。レストランには壁がないので、すべての食べ物に満遍なく虫が集っている。食べながら、読書をする。突然、スコールのように激しい雨が降りだす。

 食事を終えて、走って部屋に戻る。ほんの数メートルしか離れていないのに、全身びしょ濡れになる。シャワーを浴びたいが、シャワーは部屋から少し離れたところにある。ふたたびダッシュ。どうにかシャワー室に入るが、電気がつかない。辺りは真っ暗で、ドアを閉じると完全に何も見えなくなる。仕方がないので、ドアを開けたままシャワーを浴びる。雨音が、どんどん激しさを増す。雷が鳴りだす。風が室内まで吹き込んでくる。幽霊や妖怪の類はそれほど信じてはいないけれど、さすがに怖くなり、さっさとシャワーを浴びてほとんど半裸のまま部屋に駆け込む。

 部屋に戻っても、雨は一向に止む気配を見せない。風が窓とドアをがんがん叩いている。横になり、MDでテレビジョン・パーソナリティの一番好きなアルバムを聞きながら、さっきの読書の続きをする。MDから、"I Know Where Syd Barrett Lives"が流れる。

There's a little man
In a little house
With a little pet dog
And a little pet mouse
I know where he lives
And I'll visit him
We have Sunday tea
Sausages and beans

I know where he lives....
ahhhhhhhhhhh
'Cause I know where Syd Barrett lives

くめーる

 大好きな国で、大好きな音楽を聞きながら、大好きな書物を読む。
 外の嵐がその幸せをよりいっそう引き立たせる。
 それにしても、雨はぼくの予定に合わせて降ったりやんだりしているようだ。
 ありがとうございます。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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