02年08月14日(水)
 私は日の出とともに起きて、幸せだった。私は散歩をして、幸せだった。私はママンに会い、幸せだった。私は彼女のもとを離れ、幸せだった。私は森や丘を巡り、谷間をさまよい、読書をし、何もせず、庭仕事をし、果物を採り、家事を手伝い、幸せがいたるところ私についてきた。幸せは何か特定のものの中にあったのではなく、それはそっくり私の中にあり、一瞬も私から離れることはできなかった。
ジャン=ジャック・ルソー『告白』

どっぐ 朝六時起床。雨は小雨に変わっている。昨日、シャワーをきちんと浴びることができなかったので、シャ ワーを浴びる。朝は、さすがにシャワーの水が冷たくてきつい。水を浴びながら考える。昨日、ワット・プーに行った。今回の旅行の一応の目的は果たした。今日は十四日だ。明後日の十六日にバンコクに戻る列車を予約している。今日、明日、明後日をどうやって過ごそうか。そういえば、飛行機のリコンファームをするのを忘れていた。とりあえずパクセに戻ってリコンファームをし、その先のことは後で考えよう。

 部屋の外に出ると、空気がさわやかでとても気持ちがいい。ゲストハウスの前を、托鉢の僧侶たちが通り過ぎていく。僧侶と言っても大半がまだ子供と言って良い少年で、全員が裸足で歩いている。明らかに歩くのを嫌がって、仏頂面で付いていく少年が最後に続く。どこから来てどこへ行くのかは分からないが、裸足で歩く彼らを少し羨ましく思う。

 ゲストハウスをチェックアウトするときに、パクセに戻るにはどうすれば良いか聞くと、とりあえず船着き場に行って、渡し舟でメコン川を渡り、向こう岸の村からソンテウでパクセに行くことができるとのこと。昨日ソンテウで到着した船着き場まで、歩いて二キロ程度なので、そこまで歩くことにする。

 歩き始めると、雨が止んだ。やはり天候はぼくの味方をしている。昨日、泥溜まりを歩いたせいで、サンダルの革の部分がぶよぶよに伸びていて歩きにくい。足を引きずるようにして歩く。どこかで新しいサンダルを買わないと駄目だな。雨はやんだものの、空はどんよりと曇っている。昨日聞いた"I Know Where Syd Barrett Lives"を頭の中で繰り返す。向こう側から僧侶の托鉢の列が来る。待っていた女性が、僧侶のひとりひとりに御飯を施している。大乗である日本では、出家という宗教的修業はそれほど浸透していない(どころか、新興宗教のせいで偏見すら持たれている)が、南伝系では出家することは宗教に生きる人々にとっては当たり前のことなので、歩いているとこのように托鉢する僧侶達をよく見かける。ラオスはタイに比べて一般家庭への仏教の浸透がいまいちであるということを聞いたことがあるが、こうして食べ物を施してもらっている僧侶の一団を見ると、実際のところはどうなのだろうかと気になる。

どっぐ 船着き場に着く。ここから渡し舟でメコン川を渡らなくてならない。とりあえず、適当な店に入って「パクセ、パクセ」と言うと、最初はきょとんとしているが、どうにか分かってくれたようで、船の乗り場まで連れていってくれた。昨日とは大型船とは異なり、人を運ぶための小さめの渡し舟に乗り込む。ソンテウに乗って渡し舟で川を渡ったときは、メコンを渡っている実感がそれほどなかったが、こうして直に風を浴びて渡し舟に揺られて川を進むと、如何にも川を渡っているという気がして嬉しい。それにしても、メコン川は本当に広い。四年前に行ったインドのガンジス川の川幅を思いだそうとするが、思い出せない。おそらく、メコン川の方が広いと思う。川は茶色に濁っている。この川の底には何が棲んでいるのだろう。川の半分を過ぎたぐらいで、小雨が降り出してきた。対岸に着くと、岸から少し離れたところで渡し舟が止まる。ここから歩いていけと言う。これ以上渡し舟では進めないらしい。仕方がないので、水に足を入れると、腰までは届かないものの、それに近い深さで、思いっきりズボンが水に浸る。リュックを濡らすのだけは避けたかったので、転ばないように慎重に歩く。

 川を渡ると、昨日ソンテウで渡った川向かいの村に着く。さて、ここからパクセ行くのソンテウは、いつ出るのだろうか?船着き場に隣接している店で聞くと、ここで待っていろ、と言うのでペプシを飲みながら待つ。三十分もすると、ソンテウがやって来た。パクセ行きであることを確認して、乗り込む。

 ソンテウは、昨日よりは乗客も少なく、ゆったりと座れる。雨がどんどん激しさを増してくる。昨日と同じように一本道をひたすら突き進む。

 パクセに到着後、サムローで国際電話をかけられる店に連れていってもらい、無事にリコンファーム完了。さてこれからどうしようか。時計を見ると、九時を少し過ぎたところだ。今からバス停に向かえば、コーン島に行けるだろうか?とりあえず、バス停まで歩いてみようと思い、バス停の方向へ歩き出す。サンダルがぶよぶよで、歩きにくい。足に変なふうに力を入れるので、指が痛くなってくる。三十分ほど過ぎたところで、市場にようなところに出る。入り口に、警察官のような服装の男達がたむろっているので、「コーン島に行きたいのだけど」と英語で言うと、「おまえは、英語を話しているのか?」と逆に聞かれる。どうにか意志を伝えると、コーン島行きのバスは、ここから七キロほど先にあるバス停から乗れるという。七キロはさすがに歩けないので、適当なサムローをとめて交渉をしていると、別の小型ソンテウが止まって、バス停まで送ってくれるという。

 バス停に到着。ソンテウの運転手が、コーン島行きのバスの前まで連れていってくれた。バスは、日本のバスが百倍ぐらいボロくなったようなバスだった。そういえば、ラオスに来て初めてバスに乗る。乗り込むと、満席を通り越してすし詰め状態。強引に乗り込み、乗客に両手を合わせて挨拶をする。見ると、観光客らしき外国人も数人乗っている。

 バスは、その後も乗客を乗せて十時過ぎに出発。ガイドブックには、コーン島まで二時間と書いてある。二時間、立ちっぱなしなのだろうか、とちょっと不安になる。ラオス人は、皆うまい具合に席をつくって床に座っている。バスだと、直接風を浴びることができないのが残念だが、窓の外の風景はやはり面白いし、車内の人々の様子も、見ているだけで興味深い。バスは、ソンテウと同様に時々の村に停車する。物売りの女の子が大量にバスに乗り込み、あるいはバスを取り囲み、物を売ろうとする。昨日は何も買えなかったが、ジュースと焼き鳥のようなもの、もち米のビニール詰めを買う。うまい。

 一時間を過ぎたあたりから、乗客が徐々に減り、ようやく席に座ることが出来た。さらに一時間ほど進むと、船着き場に到着。バスを運ぶフェリーを待っていると、日本人が話しかけてきた。聞くと、最初からバスに乗り込んでいたという。全然気づかなかった。話してみるととても面白い人で、ラオス語を話せるらしく、ラオス人ともどうにか会話をしている。コーン島に行くというので、向こうで一緒になったら嫌だな、と思いながらも、面白い人なので別にかまわないか、とも思う。

 船着き場で一時間程待ち、バスを載せたフェリーでメコン川を渡る。川を渡るとコーン島に到着。フェリーの着いた村が、ゲストハウスがあるムアンコーンという村かと思ったが、見回してもそれらしきものは何もない。乗っている欧米人も降りない。仕方がないのでそのままバスに乗る。バスが島を走る。今まで以上に一面の田園風景が広がっている。雨が降っているせいか、道を歩く人はあまりいない。とても静かな島だ。さらに三十分ほど走り、終点に到着。どうやらここがムアンコーンらしく、ゲストハウスらしき建物が何件か建っている。結局四時間以上かかった。とりあえず、目の前にある雑貨店兼レストランのような店に入る。バスで話しかけてきた日本人が寄ってきて、「どこに泊まります?」と聞いてきた。二人でイスに座ってガイドブックを見ていると、雨が突然激しさを増す。ゲストハウスを決めないと何もすることが出来ないので、メコン川に面するポーン・ゲストハウスに泊まることにする。雨の中、二人で走っていくと、ポーン・ゲストハウスの隣に、結構きれいなゲストハウスがあるのを発見。ガイドブックには出ていないので、最近建てられたものかもしれない。値段を聞くと、二万キープとのこと。部屋を見せてもらうと、十分すぎるぐらい広くてきれい。シャワーは水しか出ないが、ここに泊まることにする。

 部屋に入って荷物を置いた後、日本人のなんとかさん(名前失念)とゲストハウスのレストランで食事をとる。話を聞くと、埼玉の高校の非常勤講師をしていて、暇を見つけては南米やアジアによく旅行に行くとのこと。性格が適当で、話も面白いので、一緒にいて疲れない。ラオビールを飲み、つまみにラープともち米を食べる。この人は、九時前からバスに乗って待機していたらしい。本来であれば、バスは九時出発の予定だったらしい。もし、予定通りに九時に出発していたら、ぼくはここにこれなかったかもしれないわけだ。良かった。

 一時間程雑談をしていると、雨が小降りになってきた。なんとかさんは、体調が思わしくないというので、一人で散歩に出る。一緒に行くと言われたらどうしようかと心配だったので、一人で歩けることがとても嬉しい。この旅行始まって以来の、雨の中の散歩だ。

めこんであそぼう ゲストハウスの前の道を、来た方向と逆に進む。橋を渡って少し行くと、男の子たちがメコン川で遊んでいる。声をかけると、とてもノリが良い。さらに進むと、寺院が現れる。入っていいのかな、と躊躇するが、中から御経のようなものが聞こえてきたので、我慢できずに敷地内に入る。御経は、僧侶全員で読経する日本のやりかたとは異なり、一人が経を唱えると、輪唱のように残りの僧が経を反復する。経を唱えているのは、どうやら女性らしい。雨音の中に経が響く。暫し聞き惚れ、佇む。

 寺院を越えると、道が急に狭くなり、民家のようなところに入ってしまった。道は、完全に水没している。ぼくのサンダルはもうぐっちょぐっちょで使い物にならないので、躊躇なく水の中をじゃぶじゃぶと進む。しばらく進むと、完全に住居の敷地に迷い込んでしまった。と、家の軒下で、ハンモックのようなものに座っているおばさんを発見。挨拶をして、ジェスチャーでどこへ行けばよいのか聞くと、座っている軒の先の方を指す。向こうと言うことらしい。おばさんの隣を通って、御礼を言って先へ進む。

 軒先をくぐると、田んぼの畦道に出た。田に落ちないように慎重に進むが、いかんせんサンダルが履物としての機能をはたしていないため、足への負担がすごい。指が打撲したように痛む。田んぼを越えると、広い道路に出た。雨のせいか、チャンパーサックと比べると人の通りはかなり少ない。時折、自転車に乗った人が通りすぎる程度で、歩いている人にはほとんど会わない。静かだ。

田圃 ヴィエンチャンも、チャンパーサックも、何もないと言われているけれど、実際に行ってみると何かしらあった。けれども、このコーン島には本当に何もないようだ。一本道が視界の先まで続き、道の両わきには田圃が広がる。道の左先には山が聳え、右先にはメコン川が流れる。一本道がとても気持ち良い。ぼろぼろのサンダルを引きずりながら、一歩一歩、踏みしめて歩く。この道がどこに続くのか、ぼくは知らない。散歩好きなある友人が、歩いていると必ず目的地に到着するのが良いよね、と言っていたが、こうやって目的地の分からない散歩もとても楽しい。歩きながら思う。いつか、歩くだけの旅行をしてみたい。どこの国でも良いので、バスも、電車も、飛行機も使わずに、一年ぐらい歩き続けたい。もちろん、それがどれだけ困難なことであるか、散歩程度の歩行しかしたことがないぼくにでも想像は出来る。けれども、人間はもともと歩くことによって移動を行なってきたわけだし、歴史を見れば多くの人々が徒歩で国々を渡り歩いていたこともわかる。人にもよるとは思うが、歩くことはそれだけで人間を成長させると思う。十年後でも、二十年後でも良いので、徒歩による旅行をしてみたい。

きれいなおと 遠くの方から、カランコロンと風鈴のような奇麗な音色が聞こえてくる。なんだろうと思って歩み進むと、田圃の中で水牛が草を食み、その先にはまるで水墨画のように霞がかかっている山々の風景が広がる。カラン、コロンと不思議な音色が八方から聞こえてくる。この音は、何の音なのだろうか?水牛のいるほうへ行ってみようかと思うが、田圃が水に埋まっていて行くことが出来ない。道を過ぎる人は誰もいない。なんだかあの世に来てしまったような錯覚を覚え、通り過ぎる。カラン、コロンと音が背後から聞こえる。

おとこのこ 自転車に乗った男の子達が三人、後ろから走って来て、すれ違いざまに険しい顔をしてぼくを一瞥する。両手を合わせて挨拶をすると、険しい顔が急に笑顔になる。二人はそのまま先へ走るが、一人は自転車を停めたまま動かない。どうしたのだろうと思って横を通りすぎると、後から付いてくる。何を話すわけでもなく、にこにこしながら付いてくる。ラオス語で話しかけようにも、ガイドブックは宿に置いてきてしまった。英語で話しかけるが、やはり通じない。仕方がないので、そのまま歩く。しばらく歩くと、男の子がいきなりラオス語で何かを言ってきた。が、何を言っているのかさっぱり分からない。わからないよ、とジェスチャーで示すが、男の子はニコニコしているだけ。ぼくもニコニコして、そのまま歩く。

 三十分もそのような状態で歩く。突然、男の子が左手の田圃の中に建っている高床式の家を指さして何かを言った。どうやら、あそこが彼の家らしい。ぼくの部屋よりも小さい家だ。家の下で、水牛の親子が草を食み、犬が男の子を見て尻尾を振っている。男の子が家に向かって何かを叫ぶ。家の中から女性の声が聞こえ、母親らしき人が顔を出す。挨拶をすると、微笑んで応えてくれる。男の子にさようならを言って先へ進む。ぼくは昨日聞いたテレビジョン・パーソナリティの歌を思い出す。

There's a little man
In a little house
With a little pet dog
And a little pet mouse...............

 さらに進むと、今度は道の右手から、美しい蛙の鳴き声が聞こえてくる。「美しい鳴き声」というのは誇張した表現ではなく、本当に美しい声で鳴いている。声は、八方どころかありとあらゆる場所から聞こえてくる。田舎育ちのぼくは、雨の日に田圃で鳴く蛙の声は聞き慣れているはずなのに、こんなに美しい鳴き声を聞くのは初めてだ。蛙の声の他に、鳥の声も聞こえる。蛙も、鳥も、姿は全く見えない。この美しい鳴き声は、どのようなオーディオ技術をもってしても、再現することは不可能だろう。この素晴らしい音響は、今ぼくが立っているこの場所でしか聞くことはできないのだ。この蛙や鳥たちは、いつから鳴いていたのだろう。さっき聞いた御経と同じように、音が心に染み渡る。もし、コーン島に来なかったら、ぼくは人生でこの音を聞きのがしていたかもしれない。来てよかった。目を閉じて、蛙と鳥と風と雨と土の音に耳を傾ける。音以外のすべてから、意識が遠くなる。

 音に身を委ねながら考える。今、ぼくが歩いてきた道も、この場所も、この音も、すべてはぼくがここに来る以前から存在していたし、ぼくがここを去った後も存在し続けるだろう。けれども、ぼくがここに来て、こうやって観察をするまでは、「ぼくに観察されるこの場所」は存在しなかったはずだ。ぼくがここに来て、この場所を観察して初めて、「ぼくに観察された場所」が誕生したのだ。それは、今回の旅行で訪れたすべての場所に対して言えることであり、今まで生きてきて訪れたすべての場所に対しても言えるはずだ。それらの「ぼくに観察された場所」は、あくまでも「ぼくに観察された場所」であって、それ以外の何処でもない。別の人がその場所を観察しても、それはぼくが観察した場所とは大きく異なる。ぼくに観察されるまで、「ぼくに観察された場所」は存在しなかったのだ。

 突然、「観察をする義務」を感じる。世界はぼくに観察されるまで、ぼくに観察されることはない。保坂和志は「私が生まれる前から世界はあり、私が死んだ後も世界はありつづける」と書いている。レヴィ・ストロースは『悲しき熱帯』の中で、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」と書いている。ぼくに観察される場所あるいは物は、ぼくが生まれる前からそこに存在していたし、ぼくが死んだ後もそこに存在を続けるだろう。けれども、「観察された対象」はぼくに観察されるまで、存在することは有り得ない。同時に思う。観察するということは、解釈するということとは全く異なる行為だ。たとえば、発展途上のこの国の人々が、貧しくても先進国の人々が失った幸せの中で生きているのだろうなんてことを考えるのは、自己満足の感傷に過ぎない。あるいは、訪れた異国に対して郷愁を感じることも、逆に憂いを抱くことも、そのような情感を否定するつもりは毛頭ないが、「観察」という観点から見れば、それらはすべて違う世界に住む「他人」による勝手な感情に過ぎない。人は、何かを見れば何かを感じる。何かに触れれば何かを感じる。何かを聞けば何かを感じる。それを避けることはできないし、それがなかったら人生はとても味気ないものになってしまうだろう。けれども、それは「観察」ではない。「観察すること」とは、あくまで「観察すること」に過ぎない。ぼくは「観察をする義務」を強く感じている。「観察すること」を現象学的な意味に取る人もいるかもしれないが、「観察」に「ぼくという人間」が必須である以上、現象学的な考え方では決してない。かといって「ぼくという個人」を「主観」という言葉に置き換えることにも抵抗を感じる。人間は、ひとりひとりが唯一の存在であるが故に、「かけがえのない命」なんて言い方をされるが、全員が唯一ということは、逆に言えば「かけがえのない命」なんてものは存在しないし、個人がかけがえのないものであるとしたら、世界に存在するすべてのものは同様に唯一無二なはずだから、全存在が「かけがえのない」もの、存在自体に意味のあるものということになり、翻して考えれば、全存在は「かけがえのある」ものだということになる。つまり、「かけがえ」の「在る」「無し」は、同じ意味を成すことになる。それと同じ考えで、ぼくという個人がこの世界に生まれた意味は「ない」と思っている。ぼくが生まれてきたのは、必然でも偶然でもなく、あえて言うなら「生まれるべくして、たまたま生まれてきた」のだろう。そして、諸行無常の言説通り、いつの日かは消滅する。そこから生じる結果はあっても、意味はないし、かけがえのないものでもない。こうやって言うと、虚無的な考えに聞こえるかも知れないが、「意味がない」ということは、「死んでも良い」と言うことではないし、「価値がない」ということでもない。ただ単に意味が発生しないというだけだ。生きているということは、意味を発生するものではなくて、「観察すること」に等しいのではないか。対象は、別に異国でなくても良いし、特別なものでなくても良い。いつの間にか生まれてきて、いつの間にか死んでいく(消滅する)すべての生き物にとって、「観察すること」は義務なのではないだろうか。今のぼくには「観察すること」について、これ以上考えること、説明することは出来ない。けれども、強く義務感を感じる。そんなことを考えながら、蛙の音に意識を揺るがせる。

 水浴び時計を見ると、六時を過ぎている。辺りが少し暗くなってきた。ここに来るまで、一度も街灯を見なかったので、暗くなる前に帰らないと、完全に真っ暗になってしまうだろう。名残惜しいが、今来た道を戻り始める。しばらく歩くと、さっき別れた男の子が、大声で歌いながら向こうから歩いてくる。ぼくに気づくと、歌うのをやめてこちらに手を振り、道沿いの川に降りて、水浴びを始めた。家に風呂がないので、毎日ここに来て水浴びをしているのだろう。男の子は、水を浴びながらニコニコとぼくに微笑みかける。ガイドブックを持ってくれば、この子ともう少し話が出来たのに、ととても残念に思う。元気でね。

 足下が覚束ないほど真っ暗になった頃に、ゲストハウスに到着。他の国であれば、こんな真っ暗な時間に外を歩くなんてことは絶対にしないが、ラオスだと気が緩んでしまう。気をつけよう。部屋に戻り、読書をしているとなんとかさんが部屋にやって来たので、レストランで一緒に夕飯を食べる。明日一緒にコン島、デッド島に行かないかと誘われる。さらにその先のカンボジアの国境までも行けるらしい。そうか、もうカンボジアの近くまで来ているのか。旅行の日程はまだ余っているので、それも良いかなとちょっと考えるが、なんとかさんが「その次の日に、一緒にラオスを出ましょうよ」と言い出したので、それはちょっといやだなあと思い、明日の予定も断る。明日だけ一緒に行動するのは構わないが、ラオスを出国するときはひとりでいたい。ソンテウやバスに乗っているときに、話しかけられるのも煩わしい。結局、ぼくは明日コーン島を後にして、パクセに戻ることにする。

 寝る前に、MDで『Routine』を聞きながら、いつものように『日本的霊性』と『姑獲鳥の夏』を読む。他にも数冊持ってきているが、この両書がおもしろすぎて、他の本を読む気がしない。こういうときは、飽きるまで読むに限る。

びんをもって

ここからパクセへ戻るバスは、一番遅くても九時ぐらいに出てしまうらしい。明日は絶対に遅刻できない。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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