
胃痛が一向に治まらず、お医者さんに行って診断を受けたところ、念のために胃カメラを飲んでおいたほうが良いとのことなので、翌日の早朝に診察に向かい、胃カメラを飲むことになりました。
咽の奥に麻酔薬を塗って咽の通りを良くし、さらに筋肉を緩和させるための麻酔を注射されたところまでは記憶にあるのですが、次の瞬間に意識を失い、気付くとベットに寝ておりました。
そんなわけで胃カメラを飲んだ記憶というものは一切無いのですが、ぼくの胃の中の写真はしっかりと撮影されておりまして、暴飲暴食による胃炎であるから心配しなくても良い、という結果でした。ほっと一安心。
しかし、軽い麻酔を打たれた程度で、あっという間に意識を失ってしまうぼくは、愛する女性を守るにはあまりにも柔なのではないかと、ちょっぴり悲しくなりました。
高橋源一郎氏の『日本文学盛衰史』は、明治の日本文学界と現代を、文字通り時空を越えて交差させながら描いた、明治文学好きにはたまらない作品です(逆に言うと、明治文学が好きでない人にはこれは面白いのかしら?と疑問に思ってしまいます)。
その中で、高橋源一郎本人が胃潰瘍を患って原宿の病院に入院した経緯を、夏目漱石の「修禅寺の大患」にならって「原宿の大患」と言うタイトルで、とても素晴らしいオマージュとして高橋氏本人の胃カメラの写真付きで書かれた章があります。
夏目漱石さんも、高橋源一郎さんも、ぼくにとってはとても尊敬する作家でありますし、せっかくぼくも胃カメラで初撮影をしたのですから、ぜひとも拙胃も観てやって下さい。二人とは異なり、ぼくのは単なる胃炎ですが。
ところで、『日本文学盛衰史』に関しては、ご存知の方もいると思いますが、批評空間のWebCritiqueでちょびっと論争になった、というかなりかけました。きっかけは高橋源一郎さんが書いた、スガ秀実さんの『『帝国』の文学』の書評なのですが、全体を通して非難されているのは、『日本文学盛衰史』とそれに対する高橋源一郎さんの態度です。ぼくは『『帝国』の文学』を読んでいないので、どちらが正しいと思うかを明言することはできませんが、明治文学をより深く楽しく読むには、『『帝国』の文学』は読んでおいたほうがよさそうです。今度図書館で借りてこよう。
「超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り」明治四十二年四月二十七日の石川啄木のローマ字日記『日本文学盛衰史』より