

先週以来、林芙美子さんにすっかりはまってしまい、さっそくに本屋さんで『下駄で歩いた巴里』と『林芙美子随筆集
』を購入して読んでみたのですが、これがもう素敵すぎて、うっかり寝る前などに読もうものなら、とても良い夢を見てしまうので、次の日は確実に寝坊をしてしまうほどです。特に『下駄で歩いた巴里』に収録されている隨筆群は、もし身近にこのようなものを書く女性が存在したら、とりあえず求婚をしてしまうだろうというような素敵な文章ばかり。たとえば『文学・旅・その他』は、次のような書き出しで始まります。
年歳三十歳の若さで侘味をもとめる気持ちはおかしい話だけれども、山川の妙を慕い、段々世事を厭じる気持ちである。頃日、私は寒山詩を愛唱している。逃避文学にうつつをぬかしているかたちかもしれない。世に多事の人有り。広く諸の知見を学ぶも、本真の性を識らず。道と転た懸遠なり、若し能く実相を明らかにせば、豈に用って虚願を陳べんや。一念に自心を了せば、仏の知見を開かん。と云うこの詩が好きで、私は多事多才のひとを見ると、意地悪くこの詩を思い出すのだ。私はこの頃、ひまさえあると一人で旅をしている。
うう、かわいい。かわいすぎる。そういうわけで本日、放置しておいてとんでもないことになってしまった奥歯を治療しに歯医者さんへ、結構な処置を施されることになったのですが、芙美子さんの隨筆を思い出して、歯医者への恐怖を打ち消していたわけです。好きな人がいれば、麻酔の注射もドリルの音も恐くはありません。問題は、この人が五十年以上昔に他界しているということです。

昨日観た『パッション』がかなりの衝撃だったのか、地獄に落ちる悪夢を見て起床。精神が落ちつきません。そういうわけで、山下敦弘監督『リアリズムの宿』を観に行きました。とてもまったりとした静かな笑いで、気持ちがほのぼの。すっかり立ち直りました。今まで観てきたつげ義春原作の映画の中では、一番好きかも。脚本も面白かった。うう、旅行に行きたいよう。
ところで、『リアリズムの宿』でつげ氏が描いたのは、生活感がありすぎて、せっかくの旅情を損なうような宿のことでした。1970年代であれば、作品に描かれているような宿は、たしかに現実の生活を思い出させたかもしれませんが、21世紀の現代では、あのような宿ももはや旅情を感じさせるものになっています。しかし、二年前にぼくが京都で宿泊した宿、一泊3800円の安さにつられて泊まった宿は、まさしく現代のリアリズムの宿と呼ぶに相応しい、見た目はただの一戸建ての家、中に入るとただの六畳の部屋、風呂も汚くもなければきれいでもないごく平凡な風呂、一階には宿の家族がそろっているのですが、ごく平凡な中流家族。なんの面白みもない、ただの一般家庭でした。宿に入るのに、普通にチャイムを鳴らして玄関を開けてもらうのですよ。はるばる京都まで来た旅情なんてぶっとびですよ。テレビではスカーフェイスとか放映しているし。あれこそまさしくリアリズムの宿です。ぼくの旅情を返せ。
夜、ゼロ・アワーを聞きながら公園をマラソン。今週の作品は、エドガー・アラン・ポーの短篇集。本日は『黒猫』なのですが、おそろしげな朗読に効果音、めちゃこわい。人影のない深夜の公園、しかも濃い霧がかかっていて、普段ならば幻想的に思えるはずの公園の外灯の光が、とてもおそろしく感じます。いつもは神社前の石段を五往復ほど昇降するのですが、早くこの公園を去りたいので、本日は中止して通りすぎようとしたところ、鳥居の前に猫がうずくまってこちらをじっと見ているではありませんか。まじこえー!!ラジオから聞こえるのは、『黒猫』のラスト、壁がくずれて妻の死体の上に猫がすわっているシーン。ねこさん、ごめんね、今日はちょっと恐いのよ。さらにラジオから『黒猫のタンゴ』が流れ始め、これはやばいです、あまりの恐さに全速力で公園を後にしました。
帰りに汗だくのままビデオレンタルに寄って、『リアリズムの宿』と同じ山下敦弘監督『ばかのハコ船』を借りて、速攻で観賞。面白い。主演の女優さんがとても上手でびっくり。『リアリズムの宿』よりも、こちらのほうが面白かったぞう。

何も予定がない休日。幸せ!
本屋さんを徘徊。サライの今号を購入。特集は『奈良』。来月は鉄割の京都公演があるので、ついでに奈良へ旅行に行きたいなあ。さらに浅羽通明著『ナショナリズム−名著でたどる日本思想入門』を購入。浅羽氏による、筑摩書房刊『現代日本思想体系』のリメイク。読む前からわくわくします。姉妹篇の『アナーキズム
』はとりあえず保留。
その後、古本屋さんへ。ここ数年ですっかり成長して知恵のついてきたおいっこに負けないように、数学の本を何冊か購入。遠山啓著『数学入門』、吉田洋一著『零の発見−数学の生い立ち−
』、『図解雑学算数・数学
』、『小学校の「算数」を5時間で攻略する本
』などなど。お茶を飲みながら、読書。前の二冊が特に面白い。数学を、法則としてではなく、歴史として丁寧に説明してくれる。ぼくたちが今、十進法を当たり前のように使っていることがいかにすごいことか、強く実感。『数学入門』は1959年、『零の発見』は1939年に初版が出ている。今でも版を重ねているのだから、すごいねえ。
夜、話題の映画『パッション』を観に行きました。うわさには聞いておりましたが、すさまじかったです。宗教の心を持たないぼくでさえこれほどまでに強い衝撃をうけたのですから、敬虔な神父さん(あるいはモーパッサンの『女の一生』の中で、子供を生んでいる犬のお腹をマジ蹴りしたような、極端な信仰心を持つおばか神父さん、あるいは映画『クッキー・フォーチューン』でグレン・クローズが演じたような狂信的信仰心を持つおばかクリスチャン)たちがこの映画をみたら、悶絶するのも無理はないかもしれません。一番びっくりしたのは、劇中のキリストさんの演説になんの魅力も感じなかったこと。やはり人を惹きつけるのは、魅力とかカリスマ性などというちっぽけなものではなく、もっと根本的ななにかであるということを、メルのギブソンさんはご存知なのでしょう。とにかくすごい映画でした。もう一度ぐらい観に行ってしまいそう。恐いけど。
誰か、釈迦の最後の十二時間を描いたほのぼのとした映画を作ってくれないかな。