

風が吹き、日本に生まれて良かったなあとしみじみ実感。
古本屋で『西田幾多郎との対話—宗教と哲学をめぐって』を購入。最近は『善の研究
』などを解説と併せて熟読しておりまして、せめて年内中に、西田哲学の入り口ぐらいまではたどりつきたいと思っているわけです。
夜、ヴィンッチェンゾ・ナタリ監督『カンパニーマン』を観ました。『CUBE』と同様に、独特の映像の奇抜な感じがとても良かった。ルーシー・リュー最高。

今年はこれまでになく多く山に登ったような気がしますが、数えてみればほんの四回、しかもそれぞれが近場であるか友人と共でありますから孤独ということもなく、そうしてみるとぼくの今年は未だ孤独な旅を経験していないということになります。これは良くない。年が明ける前に、どこかへひとりで旅行へ行きたい。寺を訪れ仏像を拝したいけれど、あるいは。
吉田健一氏の『金沢』を読んで以来ずっと、金沢という町に心を魅かれているのですが、何度も訪れる機会がありながらも、都度の事情で行くことができずにここ数年、未知の土地でありますので、誰と誰の出身地とかいうことも考えて、最近の個人的なブームである泉鏡花に併せ、尊敬する西田幾多郎・鈴木大拙、彼らを育てた風土というものを感じたく、再び強く金沢に魅かれているわけであります。来月か、あるいは再来月。
これは加賀の金沢である。尤もそれがこの話の舞台になると決める必要もないので、ただ何となく思いがこの町を廻って展開することになるようなので初めにそのことを断って置かねばならない。併しそれで兼六公園とか誰と誰の出身地とかいうことを考えることもなくて町を流れている犀川と浅野川の二つの川、それに挟まれて又二つの谷間に分けられてもいるこの町という一つの丘陵地帯、又それを縫っている無数の路地というものが想像出来ればそれでことは足りる。
吉田健一『金沢』より

最近、お仕事場ではコーヒーをやめてお茶を飲むようにしました。こころなし、精神が落ち着くような。
映画『ガタカ』を観ました。『トゥルーマン・ショー』で世界中に騙される男を描き、『シモーヌ』で世界中を騙す男を描いたアンドリュー・ニコルさん、この『ダカタ』ではシステムを騙す男を描いています。舞台は、デザインベイビー(将来的に優秀な人間に成長するように遺伝子操作された赤ん坊)が日常的に誕生する近未来。主人公は遺伝子操作を受けていない青年。彼の夢は宇宙飛行士になることだったが、遺伝子操作を受けていない彼は、不適合者としてチャンスすら与えられない。そこで事故によって車イスの生活を送っている適合者から、彼の人生を買い取り、適合者になりすまして宇宙飛行士を目指す。というお話。なかなか面白い映画でした。
ひとつだけ気になったことを挙げれば、イーサン・ホーク演じる主人公が、遺伝子操作を受けた適合者と同等の能力を持って描かれているため、デザインベイビーという技術の恐ろしさがいまいち伝わらないこと。デザインベイビーの恐ろしさは、人が遺伝子を操作するという倫理的な問題に加えて、人間の価値が評価によって決定するという、絶対的な能力主義が潜在している点にあると思います。勘違いしてはいけないのは、この映画の主題が、そのような遺伝子技術を非難することではなく、遺伝子操作を受けていないという障害をもった青年が、その障害を乗り越えて夢を叶える(能力主義の世の中で、能力によって成功する)というプロセスにあるということです。
他にもデザインベイビーを扱った映画ってあるのかしら。ちょっと調べてみよう。