ホリー・ハンターの主演ドラマ『アメリカン・ジャスティス(原題:Harlan County War)』を観ました。ケンタッキー州の炭坑夫と、その妻たちによる労働運動を事実に基づいて描いたドラマ。人種差別や性差別の問題を扱った映画やドラマはたくさんあるけれど、労働運動を描いたドラマを観るのはもしかしたら初めてかも。炭坑、かっこいいー。
さてさて明日は待ちに待った穂高登山。本日はさっさと寝て、明日に備えましょう。というわけで、職場の方に教わって購入したリラックス効果抜群のアロマオイル「マージョラム」を、布団にぶっかけてみました。おやすみなさい。
久方ぶりの友人と、少し離れた郊外でお酒を飲みました。
友人は、いやーこの歳のなると人生の先が漠然と見えてきて、生きている意味がよくわからなくなるなあ、と酒を一口、そんな言葉にぼくは心中、先なんて全然みえねーよと思いながらも、昔は良かったなあなどと話を合わせ、実は人生で今が一番楽しいということは胸中に、繰り返しの思い出話に華咲かせ、酒をごくりと。
帰宅後、サム・ライミの出世作『死霊のはらわた』を観ながら酔いをさます。十年以上ぶりに観たけれど、面白過ぎてびっくりした。役者さんたちの演技も紙一重ですごいけれど、まだCG技術がない時代のため、おどろおどろしいシーンでは、画面が突然シュバンクマイエルの作品のようになるのが、恐いというよりもむしろ面白いし、かっこいい。70年代後半から80年代のホラー映画は本当に素晴らしい。
布団に横になり、田部重治著「山と渓谷」を読書。ワーズワースの翻訳などもされている田辺さんの素敵な自然礼賛を読んでいると、やはり山は、気の合う仲間、登り方の同じ仲間たちで行くものであることを実感させられる。登る気持ちは違っても、感じる心が一緒であれば、田部さん曰く、ただ一つの大きな喜びの一致が、他の小さな不一致の不満をかきけして、深い満足の感情をもたらせてくれる。登り方の異なる人と山を登ればストレスがたまるばかり。肝に銘じて。
十月になりました。お庭の彼女にこんにちは。
数年前、ビル・ゲイツが訪問先のブリュッセルでパイを顔面にぶつけられた事件がありました。犯人はパイ・アナーキスト、ノエル・ゴダン率いるチームで、今までに五十人以上の著名人にパイをぶつけてきたパイ投げのプロ集団です。これまでの彼らのパイ投げによる犠牲者は、小説家であるマルグリット・デュラス、映画監督のジャン=リュック・ゴダール、フランスの哲学者であるベルナール・アンリ・レヴィ、映画女優のキャサリン・ドヌーブ、ファッションデザイナーのカール・ラガーフェルト、歌手のケニー・ロジャースなどなど錚々。面白いのはターゲットとなる相手を選ぶときの基準で、ひとつは「Powerful」、ひとつは「Self-Importance」、そして最後のひとつは「Lacking of Humour」。要するに、精力的で自尊心が強くてユーモアのセンスのない野郎はパイでもかぶってろ!ということです。
どうしてこの事件を覚えているのかというと、この「ユーモアの欠如」という基準が気になったからで、常々ユーモアに生きたいとは思っている身ではありますが、うーん、ユーモアに生きるというのは、なかなか大変なことなのです。思うに、ユーモアのセンスというものは、ぼくが誰かに対して示す場合だけではなくて、誰かの行動をぼくが受け止める時にも問われるもので、ユーモアに包まれた発言や行動に対して、そのユーモアの外装をすべて剥ぎ取って意図を判断しようとするのが、Lacking of Humour、けれども、どこからどこまでがユーモアで、どこからどこまでが不謹慎なのか、その境界は非常に微妙なところなので、それを粋に推し量るのが、ユーモアのセンスというもの。
世界のすべてをユーモアに受け止めるには、あまりにも生き難い時代ではありますが、みなさんお元気で。そういうわけで、今月のぼくの生活の目標は、ユーモアに生きるということで。





