今月号のMacPowerに掲載されていた『ShadowBane』の記事を読んでいたら、無性にMMORPGがやりたくなり、ネットカフェに行って歴史のあるMMORPG『リネージュ』をプレイしたところ、見事にはまりました。あっというまに五時間が過ぎ、六時間が過ぎ。
幸いに『リネージュ』はMacintosh版がないため、プレイするにはネットカフェかまんが喫茶に行かねばならず、これなら年始のようにゲームにはまる心配もあるまいと安心していたのですが、自宅に帰ってネットで検索したら、Macintosh版がありやがりまして、ううむとうなりながら早速ダウンロード、日本でプレイするには若干の作業が必要ですので、それらの作業を行って起動いたしました。
幸いにぼくが使用しているのは、五年前のG3の350Mhzという遅いマシンですから、まあ動作が重たくてゲームにならないだろう、これなら年始のようにゲームにはまる心配もあるまいと安心していたのですが、起動してみたらこれがプレイになんの支障もない程にさくさくと動きやがりまして。とはいえ不具合がないわけではなく、MacOS Xのバージョン1.2でプレイをすると、他のユーザとのチャットができないのです。
まあしかし、もともと人見知りのぼくは、ネット上で他人とコミュニケーションを取るのがひどく苦手なので、この不具合はむしろ好都合、いけるところまでひとりでいってみようと思います。そんならMMORPGなんてやらないで、普通のRPGをやれと思われるかもしれませんが、興味があるのはMMORPGの世界なので、まあ、ゆっくりと慣れつつ。
なにやらスタジオで撮影を致しました。その後に、昭の字の宅で先日の新潟公演のビデオや、昔の鉄割のビデオなどを拝見。まるで遠い過去のよう。
帰宅して、夜に昇降運動をしながら『チル CHILL 』を観ました。休暇に訪れた田舎の別荘で、幸せな家族が地元の人間にひどい目に会うという『ファニーゲーム』のような映画かと思っていたら、全然違いました。カナダ原住民の間に伝わるウェンディゴの霊魂と、他人には見えないものが見えてしまう少年、そして両親とその両親に屈折した思いを抱く地元の猟師がそれぞれに絡み合って物語は進行して行くのですが、意外なラストにおったまげました。ええ、これで終わりい?みたいな。でも、このような肩透かしでカタルシス完全無視の燃焼不良映画って、ぼくは結構好きです。
この映画の原題でもある「ウェンディゴ(Wendigo)」の言い伝えというものをまったく知らなかったので、調べてみました。
■ウェンディゴ憑き(WINDIGO PSYCHOSIS)——狂気の一形態——
『チル』では、ウェンディゴはひとつの存在として語られていましたが、上のサイトによるとウェンディゴ憑きというものがあるらしく、ウェンディゴに取りつかれた者は、最終的には人としての理性を失い、人肉を欲しがるそうです。
罹った人物は当初は単に気持ちが塞いでいるだけのように見えるのだが、やがて常軌を逸し通常の食事を拒むようになる。患者は人肉(特に自分の家族の)を食べることで頭が一杯になり、自分の周りの家族たちが動物に見えるような幻覚さえ引き起こす場合もあるという。その後、言語能力も失われ、外見も気にしなくなり、自分の指や唇を噛んだりすることさえある。また、野生的な気分変動(訳注:躁鬱病などに主に見られるもの)を経験し、自分の内臓は凍り付いていると主張する者さえいる。
たんなるシャブ中のように読めなくもないですが、人肉を食べたがるという点が気になります。これらのウェンディゴ憑きに関する民俗学的な成立経緯を調べたいなあ。カナディアン・インディアンの伝統に、カニバリズム的な儀式でもあるのかしら。
今月に入ってから、ずーっと泉の鏡花さんを読んでいるのですが、ちくま版『泉鏡花集成』は大変すばらしい集成ではあるものの、かゆいところに手が届かないと申しますか、どうしても読みたいと思っている作品が収録されておらず、本当に読みたい作品はやはり図書館などに行って全集をあたるしかないのかしら、と思っていたら、岩波から新しく『新編 泉鏡花集』が出るそうで、紹介文などを読むと「鏡花の全作品から短篇を中心に選び,その舞台となった土地別に構成する」と嬉しいことが書いてありまして、収録されている作品は微妙な感じでだぶっていたりだぶっていなかったり、何れにしても一冊5600円は気でも狂わない限り購入することは出来ません、やはり図書館へ行くからあるいは岩波版『鏡花全集』がバラで古本屋に眠っているのを地道に探すことになりそうです。
岩波のサイトを見ていたら、「山の旅 明治・大正篇」という新刊を発見。うおーおもしろそう!買わなくちゃ。
今夜は、破戒僧となって天生峠を越える夢をみたく思います。





