
以前にも少しだけ触れたチャック・パラニュークの『インヴィジブル・モンスターズ 』という小説で、主人公である女性は、交通事故で顔の下半分を失ってしまいます。彼女が事故の後に始めて病院から出た時のことが、以下のように語られています。
わたしが人々を見ると、見えるのは人々の後頭部だけだ。超ハイスピード振り返っても、見えるのは向こうを向きかけている人々の耳だけだ。そして人々は神と何やら小声で話をしている。
「驚いたな」人々は言う。「いまの人、みた?」
または、「あれ、お面だよね?いやはや、ハロウィーンにはちと早すぎないか」
誰もが<フレンチズ・マスタード>や<ライス・ア・ローニ>のラベルを読むのに没頭している。 だからわたしは七面鳥を取る。
理由はわからない。わたしは一セントも持っていない。それなのに七面鳥を取る。冷凍七面鳥の山をかき回す。冷凍庫に詰まった肉色の氷の塊をかき回す。一番大きな七面鳥が見つかるまでかき回し、黄色いビニールネットに包まれた七面鳥を、赤ん坊を抱き上げるみたいに抱き上げる。
重い荷物を抱えて店の裏側に向かう。レジの真ん前を通る。誰も呼び止めない。誰もこっちを見ていない。隠された金塊でも探すみたいに、タブロイド紙を一心に読んでいる。
「Sejgfn di ofo utnbg」わたしは言う。「Nnei wucj iswisn sdnsud」
誰もこっちを見ない。
「ふひはへん」わたしは精一杯の腹話術で言う。
誰一人しゃべってもいない。たぶん、レジ係だけがしゃべっている。身分証明書を二種類見せていただけますか。小切手で支払おうとしている客にそう尋ねている。
「Fgjrn jufnv si vuv」わたしは言う。「Xidi cniwuw sis sacnc!」
そのときだ。そのとき、一人の男の子が言う。「見て!」
見ていない、しゃべっていない人々が息を殺す。
男の子が言う。「見て、ママ。あそこ!あのモンスター、お店のものを盗もうとしている!」
この小説はもちろんフィクションですが、ぼくはこれを読んでJacqueline Saburidoさんのことを思い出しました。飲酒運転追放のキャンペーン等で有名なので、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、1999年の終わり、Jacquelineさんは友人ふたりとドライブの途中、泥酔した十七歳の少年の運転する車に衝突され、全身に大やけどを負いました。友人二人は即死、Jacquelineは奇跡的に助かりました。けれども、彼女が意識を取り戻したとき、彼女は以前の彼女ではなくなっていました。
以下のサイトで、事故に遭う以前と以後の彼女の写真を見ることができます。非常に衝撃的な写真ですが、飲酒運転の恐ろしさを知るためにも、懸命に戦っている彼女の姿を知るためにも、是非とも多くの人に見て欲しいと思います。でも本当に衝撃的なので、そのつもりで。
以下のサイトでは、彼女の生い立ちから事故後の経過までを読むことができます。
■Jacqueline And Amadeo: CHASING HOPE
この記事の冒頭は、次のように始まります。
どこにいても、子どもたちは見ようとする。振り返って、彼女を見ようとする。
叫び出す子供がいれば、母親に尋ねる子供もいる。付いてくる子供も、隠れてしまう子供もいる。
あるスーパーマーケットでは、男の子が寄ってきて、こう言った。
「化け物」
もっと最悪なのは、子どもたちが泣き出すことだ。
「わたしの心は、普通の人と同じように感じるの」ジャックリーン・サブリドは言う。
ちなみに断っておきますが、『インヴィジブル・モンスターズ』が出版されたのはこの事件よりも前ですし、書かれたのはもっとずっと以前(パラニューク氏の処女作)なので、彼がこのJacquelineさんの事件を参考にしたということはありえません。事故でひどい外傷を負った、という点以外は特に共通点もないし。それはともかくとして、自らを飲酒運転の恐ろしさの象徴として世間に訴えかける彼女の勇気に敬意を表して、飲んだら乗るな、飲むなら乗るな。
青に染まった夕方がとても良い感じで、バイクで友達の家に向う途中にカラスの鳴き声などを聞くと、一休宗純が大悟した瞬間を錯覚ながらも感じることができて、まるで自分がちょっとした人物であるかのように、ぼんやりと。
夜は学生の頃の先輩方とお祝いにお酒をしこたま飲んで、そのまま朝方までカラオケに。ぼくも含めて皆さんよいお歳なのに、気はまだまだ若者のようで、酒にふやけた老体が悲しくも歌いまくりまくり。
さて帰ろうとしたところ、べろんへろんはろんになった憲の字がトイレットに籠城。叩けど叫べど反応せず、反応したかと思ったらまたもや籠城、どうにか連れ出したは良いのですが、いつの間にこんなに飲んだのだこいつはという程の為体、是非とも演目で再現して欲しいものでございます。
本日発見の面白いテキスト。ひとつは『蚊の妖精学』。「なぜ蚊は相手をかゆがらせないように進化しなかったのか」という素朴な疑問と、それに対する答え。納得いくような行かないような、でもとても興味深く読ませていただきました。
もうひとつ、『進化論と創造論〜科学と疑似科学の違い〜』というサイト。聖書に記述されている世界創造を、科学的に証明しようとする「創造科学」が、どうして「疑似科学」であるのかを丁寧に説明しています。以前に、スコープス裁判について少しだけ書いたことがありますが、あの事件が起こった二十世紀前半であるならばいざ知らず、二十一世紀の現代においても、ダーウィンの進化論の是非はともかくとして、聖書の世界創造の記述が真実であると主張する人々が多く存在することに驚いてしまうのは、(事実上の)無宗教に生きる日本人であるからなのかしら。ぼくは宗教と科学は対立するものではなく、それぞれの役割において共存するものだと考えていますが、科学が様々な宗教の世界創造の物語を意図的ではないにせよ否定しているのは事実です。そのような科学の時代において、科学よりも遥かに長い歴史をもつ宗教に生きる人たちは、どのような折り合いをつけて生きているのか。全く役割の異なる科学と宗教を、強引に結びつけようとした例を、このサイトで読むことが出来ます。とにかく勉強になるサイトで、多少なりとも進化論や創造論に興味のある方には、一読の価値はあると思います。
ついでに、ついWiredの記事も。
ぼくは進化論よりも、ダーウンという人物の像と、彼の人生と、彼を取り巻く周りの人に興味があったりします。