
今日もお魚を焼きました。お魚と、納豆とお豆腐の夕食。
映画『刑務所の中』を観ました。びっくりするぐらい原作に忠実で、畢竟つまらないはずがなく、とても面白かったです。っていうか、こんな風に刑務所を描いたら、みんな入りたくなってしまうのではないかしらというぐらい平和に穏やかに描かれていて、アダルトビデオを観て性犯罪を犯すやつがいるくらいですから、『刑務所の中』を観て刑務所に入る為に犯罪を犯すやつがいてもおかしくないと思いました。でも、刑務所に入ってしまったら、愛する人と愛し合うことができませんからね。この映画を観て刑務所に入りたくなった人には、そこのところを深く考えて欲しいと思います。
なんとなく、映画というよりはテレビドラマのような感じで、あっという間の九十分でした。日本の刑務所は、本当にこんなに平和なのかしら。まあ、入った本人がこのように書いているわけですから、そうなのかもしれません。だとしたら、刑務所の外よりもよほどに平和な世界だと思います。主人公が、朝方に窓の外を見てこんなふうに思うシーンがあります。「そうだ、思い出した。子供の頃の夏休みの朝がこういうさわやかさだった」。今どき娑婆で生活していて、子供の頃の夏休みの朝の爽やかさを思い出す瞬間なんて、そうそうありませんよ。
でも、ふと思い出したのですが、去年、名古屋の刑務所で、刑務官の受刑者に対する暴力が問題になった事件がありました。ちょっと調べたところ、こんな記事が。こわいよう。
現実の刑務所に入るのは嫌だけれど、外の世界と遮断されて、日々の義務を他者に決められ、それなりにおいしいご飯、陽の当たる風呂、しかも読書までできる、そんな『刑務所の中』で描かれている刑務所は、ぼくにとってまさしく理想の場所でありました。価値というものは相対的なものなので、外の世界にいるとおいしいものもまずくなるし、おもしろいものもつまらなくなるでしょう。
突然に、ものすごい雨と雷に降られ、やむなく駅構内で雨宿りをしました。五分ほどで雨はあがりましたが、外に出ると空が異様に赤く。
夜、吉祥寺で昭の字、憲の字、秀の字、朋の字と登山会議。
お酒を飲みながら、次に登る山についてあーだこーだ。皆の意見では、今回は少し軽めのコースにして、山小屋での飲み会を楽しみましょうということになっていたのですが、貧乏性のぼくとしては、どうせ登るならそれなりのコースにチャレンジしたいのです。上高地から入って奥穂高へ一泊二日で登るすこしきつめのコースなんかが最高なのですが、そのまま言ったら却下されることは間違いないので、とても楽なコースですと嘘をついたところ、きゃつらはこれっぽっちも疑いも抱かず、あっさりとそのコースに決定となっちまいました。そんなおめでたいきゃつらを見ていたら、なんとなく哀れに思えてきて、実はこのコースは結構つらいのですと正直に告白しました。そんで、どこに上るかは未定です。とりあえず、上高地から入ることだけは決定。
夜、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする』を観ました。テーマは今はやり(?)の『記憶』。すごい映画です、これ。観終えたあと、呆然としてしまいました。この映画を語る術をぼくは持ちません、と卑怯な逃げでよろしくお願いします。
験の悪いともだちふたりと、月島にもんじゃを食べに行きました。気のせいか、ふたりの口から一度も「おいしい」という言葉が出なかったのですが、なかなか美味かったですよう。
夜、京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』を読了。ど、どうなんでしょう、これ。あちらこちらの書評やらサイトやらをみると、決して評判は悪くないのですけれど、なんか釈然としないのはぼくだけですか?今回はハイデガーと儒教だというので、相当に期待して読み始めたのが良くなかったのか、それらの要素も事件とうまく絡み合っていないし、犯人なんて物語を半分も読まないうちに分かってしまったし、展開もなんだかだらだらとしているし。基本的にはこういうひとつの家の中で展開する話は好きなので、『塗仏の宴』よりは全然良かったのですけれど、あまりにも期待をし過ぎたのかしら。とはいえ、面白くないはずはなく、とても楽しんで読んでしまったのですけれど。
本当は、いろいろと思うところがあったのですが、それを書くとネタバレになってしまうのです。ちぇっ。
ああ、『鉄鼠の檻』のような作品を、もう一度読みたい。または『狂骨の夢
』。