
起床。ムーミン パペット・アニメーションを観に行こうと思っていたのに、寝坊。朝食にトーストとグレープフルーツ。
午後、図書館へ。今日は一日中ゆっくりたっぷり図書館を満喫しようと思っていたのだけど、図書館というところは本を読んでいる女性がやたらとたくさんいる。以前の日記にも書いたけれど、ぼくは本を読んでいる女性に弱いので、懸命に読書に集中しようと思っていても、本を読んでいる女性がいるとついつい目が向いてしまう。本を読んでいるというだけで、多少ぶさいくでも美しく見えてしまうから恐ろしい。いかんいかん、読書に集中できません。やむを得ず本を十冊借りて退散。
『口語訳古事記 完全版』を購入。以前に文学界で短期連載していた同著者による『古事記講義』を読んで以来、ずっと欲しかった一冊。でも高っかいのですよ、この本。3333円。なので購入を踏みとどまっていたのだけど、本日、古本屋さんで1800円で発見、即購入。
ヘンリー・デイビット・ソローが時について言っていた言葉ってなんだっけと思って調べてみたら、「ときをまなぼう」というセイコーが作っているサイトを発見した。なんだか面白いぞこのサイト。お子さん達に「とき」を説明する。勉強になります。
で、知りたいと思っていたのがこの言葉。
時間とは、私が釣りに行くただの小川にすぎない(H.D.ソロー)
風邪を引いたのかしら。体の節々が痛い。
起床。ムーミン パペット・アニメーションを観に行こうと思っていたのに、寝坊。とても久しぶりにTOEICというものを受けるために、池袋へ。じぇーんじぇん出来なかった。はは。
試験の会場だった千川という町を少し歩く。多分、もう二度とこないであろう町。面白そうなものはなにも見当たらない。でも楽しい。誰が書いた文章か忘れたけれど、ポール・ボウルズのことを書いた文章の中に、「人は、異邦に旅したからといって必ず異邦人になるわけではないが、慣れ親しんだ町であっても異邦人になることはあり得る」というようなことが書いてあったことを思い出す。中途半端に異邦であるこの町を歩きながら、中途半端な異邦人になりきる。ああ、楽し。
夜、『シッピング・ニュース』を観る。監督がラッセ・ハルストレムじゃなかったら絶対に観なかったと思うけれど、いざ観てみるととても面白かった。妻と両親を失った主人公が、ちょっとしたきっかけから叔母と共に自らのルーツである島へ引っ越し、その島で海賊である自分の祖先のことを知る。神秘的な力を持った娘の存在が、軽く流されているのがとても良かった。原作はE・アニー・プルーの同名小説『 港湾(シッピング)ニュース』。こちらもかなり面白そうなので、ぜひ読んでみたい。
うーん。今回の鉄割に出ないことにしたのは良いのだけれど、出なけりゃ出ないで暇だ。週末にひとりでいるのはなんとも言えず孤独だぞう。
先日、古本屋さんで100円で購入した『レイモンド・カーヴァーの子供たち』。全く期待せずに購入したのだけれど、これがとても面白い。まだ半分ぐらいしか読んでいないけれど、いまのところはずれがない。収められている作家のうち、名前を知っているのは約半分、残りの半分は初めて聞く名前ばかり。彼らは現在も作家として活躍しているのかしらと思って調べてみると、例えば、今のところ一番面白かった作品『翻訳家』を書いたミッシェル・ハーマン(Michelle herman)は、二冊の著作を発表しているけれど、作家というよりは大学の教師や編集者として活躍しているらしい。翻訳は一冊もされていない。残念。
夜、『おくのほそ道』を読む。昔はこの良さがわからなかったけれど、今あらためて読むとじんじんくる。冒頭がとくに素晴らしい。
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
表八句を庵の柱に懸け置く。
うーじんじん。
「おくのほそ道」の旅程をFlashムービーでたどるこんなソフトが発売されるらしい。これ、欲しい。安いし。買おう。