
03年05月14日(水)
懐かしの人から電話がきた。用件は特にないが、ふと思い出したのでかけてみた、とのこと。不思議なもので、一年会わないと話すことが山ほどあるのに、五年会わないと話すことがまったくない。ひさしぶりーちょーひさしぶりーまじひさしぶりーやっぱひさしぶりーほんとひさしぶりーなどと連呼して会話のない気まずさをごまかす。でも、とても嬉しかったです。近いうちに本当にお酒を飲みに行きましょう。
稽古をお休みして、図書館へ。十冊ほど借りる。中でも早く読みたいのが『アメリカの若者たち』。坪内祐三氏の『新書百冊』の中で紹介していた本で、南北戦争からビートジェネレーションぐらいまでの近現代アメリカ文学史。発行が1961年になっていて、定価100円。よれよれなので、すぐに破れてしまいそうで読むのに緊張する。他、ドナルド・バーセルミ『シティ・ライフ』やアイリス・マードックの随筆集、小島信夫『うるわしき日々』、由良君美『メタフィクションと脱構築』などなどを借りる。今年の山登りに向けて読もうと、今西錦司氏の『山岳省察』も借りた。が、ちょっと読んだだけで、登山のレベルがじぇんじぇん違うことが判明。でもまあ、拝読させていただいて、少しでも近づけるように頑張ります。
帰りに、久しぶりに中国のお茶屋さんで南岩鉄観音を購入。最近、またコーヒーばかり飲んでいるので、家ではできるだけ中国茶を飲むようにしようと思う。
帰宅後、マラソンをしようと思っていたら、寒気。やばい、風邪をひいたかも。急いでリンゴを食べて風邪薬を飲む。布団に入っておとなしく借りてきた本を読んでいたら、なんとなく直ったような気がしたが、とりあえず今日は汗をかかないほうが良いだろうからマラソンは中止。風呂場で髪の毛を切る。失敗。裸でいたら悪寒が。体調絶不調。おえー
稽古をお休みして、図書館へ。十冊ほど借りる。中でも早く読みたいのが『アメリカの若者たち』。坪内祐三氏の『新書百冊』の中で紹介していた本で、南北戦争からビートジェネレーションぐらいまでの近現代アメリカ文学史。発行が1961年になっていて、定価100円。よれよれなので、すぐに破れてしまいそうで読むのに緊張する。他、ドナルド・バーセルミ『シティ・ライフ』やアイリス・マードックの随筆集、小島信夫『うるわしき日々』、由良君美『メタフィクションと脱構築』などなどを借りる。今年の山登りに向けて読もうと、今西錦司氏の『山岳省察』も借りた。が、ちょっと読んだだけで、登山のレベルがじぇんじぇん違うことが判明。でもまあ、拝読させていただいて、少しでも近づけるように頑張ります。
帰りに、久しぶりに中国のお茶屋さんで南岩鉄観音を購入。最近、またコーヒーばかり飲んでいるので、家ではできるだけ中国茶を飲むようにしようと思う。
帰宅後、マラソンをしようと思っていたら、寒気。やばい、風邪をひいたかも。急いでリンゴを食べて風邪薬を飲む。布団に入っておとなしく借りてきた本を読んでいたら、なんとなく直ったような気がしたが、とりあえず今日は汗をかかないほうが良いだろうからマラソンは中止。風呂場で髪の毛を切る。失敗。裸でいたら悪寒が。体調絶不調。おえー
03年05月13日(火)
『三国志を行く 諸葛孔明篇
』を読んでいたらやっぱり中国に行きたくなってきた。もちろん行くとしても例の病気が落ち着いてからということになるけれど、とりあえず地球の歩き方を買ってきて、いろいろと調べてみたところ、他のアジアの国と比べると旅費がかかりそうだ。四川省や雲南省に行きたいのだけれど、1元が16円として、宿が激安で100元、だいたい200元ぐらいするので、3000円ぐらいかかってしまう。うげー。しかも馬鹿みたいに大陸広いし。交通費もかかりそうだなあ。できれば一日2000円ぐらいで済ませたいのだけれど、中国なめてますか?誰か中国に行った事のある人いないかしら。お話を聞かせて欲しい。
本屋さんを徘徊していたら欲しい本が二冊あった。一冊は、ジョン・バースの翻訳『ストーリーを続けよう』。とても読みたいのだけど、高い。2900円。古本屋さんに並ぶのを待ちましょう。もう一冊は大江健三郎の往復書簡『暴力に逆らって書く』。往復書簡の相手は、バルガス=リョサやソンタグ、チョムスキー、サイードなど。とてもじゃないけど立ち読みできるような内容ではないので、近いうちに買うと思うけど、とりあえず保留。かわりに古本屋さんで『黒人として女として作家として』を購入。アメリカという社会において、黒人であり女性であるというふたつの障壁をもつ彼女たちのインタビュー集。ぼくも含めて、日本でトニ・モリスンとアリス・ウォーカー以外の黒人女性作家の作品を読んだことがある人って、あまりいないのではないかしら。その足掛りとして、このインタビュー集を読んでみようと思います。
最近、勉蔵君のページにGoogleのRobotが頻繁にクロールにきて、しかも二日後にはインデックスに反映されている。これがいわゆるフレッシュクロールというものなのだろうか?勉像君のページをYahooのカテゴリに登録したから?なのかな。
夜、稽古。本番まで一週間を切りました。稽古後、お酒を飲みに。いくら痩せようと思っても、毎晩のようにお酒を飲んで腹いっぱい食べていたら、痩せるはずもございません。
本屋さんを徘徊していたら欲しい本が二冊あった。一冊は、ジョン・バースの翻訳『ストーリーを続けよう』。とても読みたいのだけど、高い。2900円。古本屋さんに並ぶのを待ちましょう。もう一冊は大江健三郎の往復書簡『暴力に逆らって書く』。往復書簡の相手は、バルガス=リョサやソンタグ、チョムスキー、サイードなど。とてもじゃないけど立ち読みできるような内容ではないので、近いうちに買うと思うけど、とりあえず保留。かわりに古本屋さんで『黒人として女として作家として』を購入。アメリカという社会において、黒人であり女性であるというふたつの障壁をもつ彼女たちのインタビュー集。ぼくも含めて、日本でトニ・モリスンとアリス・ウォーカー以外の黒人女性作家の作品を読んだことがある人って、あまりいないのではないかしら。その足掛りとして、このインタビュー集を読んでみようと思います。
最近、勉蔵君のページにGoogleのRobotが頻繁にクロールにきて、しかも二日後にはインデックスに反映されている。これがいわゆるフレッシュクロールというものなのだろうか?勉像君のページをYahooのカテゴリに登録したから?なのかな。
夜、稽古。本番まで一週間を切りました。稽古後、お酒を飲みに。いくら痩せようと思っても、毎晩のようにお酒を飲んで腹いっぱい食べていたら、痩せるはずもございません。
03年05月12日(月)
昼過ぎ起床。休日に遅く起きると、一日が台なしになったような、悲しい気持ちになる。気分を変えるために腕立て伏せを五十回して、外出。
雑誌『Invitation』購入。特集は「戦時下のニューヨーカーたち」。ニューヨークで活躍するアーティストの9.11以後を追う。作家は、ポール・オースターやバリー・ユアグローなどが登場。Salon.comのローラ・ミラーもインタビューを受けている。ローラ・ミラー曰く「作家たちの事件直後の発言には、興味深いものはほとんどなかった。若手作家たちが神と仰いでいるドン・デリーロの発言でさえ、いざ出てきてみたら、どうということはなかった」。これから9.11以後のアメリカの作家たちを追いかけようと思っているぼくには、少し肩透かしのコメント。
心の底から楽しみにしている数少ない雑誌、「recoreco」のVol.6を購入。「島田雅彦の過剰対談」で、関野吉晴氏と対談する島田雅彦氏は、アメリカについて次のように語っている。「たとえばブッシュ。文明の頽廃を最も体現している人間ではないかと思うんですね。ブッシュだけでじゃなくて、ブッシュのようなアメリカ人は、よその土地に行って、その土地の食習慣や宗教、言語に理解を示し、適応する度合いがかなり低い。アメリカ人は英語しか話さない率が高いし、外国のことはいっさい興味を示さない。ともあれアメリカがナンバーワンでいられることがあればあるほど満足するし、「アメリカが全世界である」と思い込んでいる」。島田雅彦氏は、世界中のアンチアメリカに共通するような、典型的なアメリカ像を蕩々と語る。少なくともこの態度は、文学者のとるものではないと思う。ぼくが文学者に求めているのは、紋切り型のアメリカ批判をぶち壊してくれるようなアメリカ論であり、町のおやじたちが飲み屋で語るようなアメリカ論ではない。それを島田氏に求める気はないが、だからこそ、アメリカという国で創作を続ける作家たちの態度と言動が気になるのだ。
夜、稽古。今回のぼくは、座頭市のような役。以前、内倉君が座頭市をやっていたときは、すかした感じの座頭市だったのに、今回のぼくは遊星からの物体Xみたいになっている。どうしてだろう。
帰宅すると、友人である先輩から上戸彩の画像などが大量に届いている。どうやらぼくを危ない世界へ引き込もうとしているらしい。負けないぞ。負けそうだ。
雑誌『Invitation』購入。特集は「戦時下のニューヨーカーたち」。ニューヨークで活躍するアーティストの9.11以後を追う。作家は、ポール・オースターやバリー・ユアグローなどが登場。Salon.comのローラ・ミラーもインタビューを受けている。ローラ・ミラー曰く「作家たちの事件直後の発言には、興味深いものはほとんどなかった。若手作家たちが神と仰いでいるドン・デリーロの発言でさえ、いざ出てきてみたら、どうということはなかった」。これから9.11以後のアメリカの作家たちを追いかけようと思っているぼくには、少し肩透かしのコメント。
心の底から楽しみにしている数少ない雑誌、「recoreco」のVol.6を購入。「島田雅彦の過剰対談」で、関野吉晴氏と対談する島田雅彦氏は、アメリカについて次のように語っている。「たとえばブッシュ。文明の頽廃を最も体現している人間ではないかと思うんですね。ブッシュだけでじゃなくて、ブッシュのようなアメリカ人は、よその土地に行って、その土地の食習慣や宗教、言語に理解を示し、適応する度合いがかなり低い。アメリカ人は英語しか話さない率が高いし、外国のことはいっさい興味を示さない。ともあれアメリカがナンバーワンでいられることがあればあるほど満足するし、「アメリカが全世界である」と思い込んでいる」。島田雅彦氏は、世界中のアンチアメリカに共通するような、典型的なアメリカ像を蕩々と語る。少なくともこの態度は、文学者のとるものではないと思う。ぼくが文学者に求めているのは、紋切り型のアメリカ批判をぶち壊してくれるようなアメリカ論であり、町のおやじたちが飲み屋で語るようなアメリカ論ではない。それを島田氏に求める気はないが、だからこそ、アメリカという国で創作を続ける作家たちの態度と言動が気になるのだ。
夜、稽古。今回のぼくは、座頭市のような役。以前、内倉君が座頭市をやっていたときは、すかした感じの座頭市だったのに、今回のぼくは遊星からの物体Xみたいになっている。どうしてだろう。
帰宅すると、友人である先輩から上戸彩の画像などが大量に届いている。どうやらぼくを危ない世界へ引き込もうとしているらしい。負けないぞ。負けそうだ。