
一般に、絵画を描いたり、音楽を作曲あるいは演奏したり、小説を書いたり、パフォーマンスをしたり、そのように制作物やコンセプト、行為など、何らかの媒介を通して自己を表現する人のことを、「芸術家」「アーティスト」、あるいは「作家」と呼びます。それは即ち「芸術を行う人」という意味に帰結すると言ってよいと思うのですが、そのときに問題になるのは、「芸術」とは何か、という、古来より数多の議論を引き起こしながらも、未だに明確な答えの存在しない普遍的な問いです。私たちが誰かを指して「芸術家」と呼ぶとき、少なくともその人は、私たちが漠然と「芸術」と呼ぶ分野に直接、あるいは間接的に影響を受け、且つ意識的に「芸術」を行っている場合がほとんどだと思います。つまり、「芸術」の定義は曖昧であっても、それを行う人にとって、「芸術」を行っているという意識は自覚的ということになります。
現在ワタリウム美術館で開催されている『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』展に行って考えたのは、そのような従来の「芸術」という概念に関する疑問ではなくて、そもそも表現をするということの意味とは何かということで、これもまた古来より繰り返し議論されてきた、答えのない題目です。人はなぜ表現するのか。繰り返しになりますが、現代においても「芸術」という定義は曖昧であり、そのような状態でヘンリー・ダーガーが「アウトサイダー・アーティスト」と呼ばれるのは、彼が正規の芸術教育を受けていないということが大きいのかも知れませんが、芸術教育を受けていないアーティストは数多く存在するし、逆に教育を受けなくては芸術活動が出来ないということになれば、ある意味で十九世紀以前のサロン芸術に見られるような閉鎖的な空間を作り上げてしまう危険性を伴うわけで、少なくともそれは二十世紀における芸術の活動とは相反する行為だと思われます。そうなれば彼が「アウトサイダー」と呼ばれるのは、彼が創作に自覚的でなかった、つまり彼が全十五巻、百点を越える挿し絵、一万五千ページに及ぶ大著『非現実の王国、あるいはいわゆる非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語、あるいはグランデリニアン大戦争、あるいは子供奴隷の反乱に起因するグラムディコ.アビエニアン戦争』を書き上げたのは、意識された芸術活動ではなく、あくまでも彼自身の欲求によるものである、という点が大きいと思われます。
いままでもこの雑記の中で何度か取り上げていますが、ヘンリー・ダーガーは、1892年にアメリカ、イリノイ州シカゴに生まれました。幼いうちに養子に出され、8才でカトリックの洗礼を受け、その後知的(感情)障害者と認定され、施設に入ります。しかし17才の時に施設から逃亡、その後病気で入院する71才まで掃除婦、皿洗いなどをして生計をたて、81才(1973年)で亡くなるまでその生活は続きます。死後、四十年に渡ってダーガーがひとりで住んでいた彼の部屋から発見されたのが、彼の唯一の作品『非現実の王国(・・・)』です。その内容は、奴隷少女たち<ヴィヴィアン・ガールズ>の軍隊が、架空の王国の支配権を強奪した凶悪な奴隷主であるグランデリニアン人と戦うというストーリーが骨子になっている非現実的な王国物語であり、幻獣ブレンギグロメニアン・クリーチャーたちが空を飛びかうその王国で、男性器をつけた幼い少女たちが、戦いのなかで拷問、虐殺されていきます。この物語を、ダーガーは19才から71才までの間、ひとり部屋にひきこもり書き続けていたのです。
ジョン・M・マクレガーによる『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』は、精神医学者であるマクレガー氏が、そんなガーダーの唯一の著書を精査・分析した論文と、『非現実の王国で(・・・)』の抄訳、カラー図版三十九点を加えた、おそらく現在読むことのできる唯一のダーガーに関する書籍です。この本によれば、最初に小説の部分を書き上げたガーダーは、その後に挿し絵の制作にかかったということで、絵を描いたことのなかった彼は、新聞や雑誌などから少女の絵を探しだし、トレースし、コラージュして挿し絵を完成させていったそうです。文字通り人生をかけて作品を作り上げた彼は、その作品の存在を誰に告げることもなく、この世から去っていったのです。
これらの創作物と創作行為に関して、彼に芸術活動であるという自覚があったのかどうかを、第三者であるぼくたちが判断することはできません。あるいは、『非現実の王国で』と共に残されていた五千ページに及ぶ自伝を読めば、ある程度は明らかになるのかもしれませんが、それが一般に公表されていない以上、そこから推測することもできません(公表されていたとしても、それを読み通すことができるかどうか・・)。しかし、彼がこれらの創作物と創作行為を誰にも伝えずにこの世を去ったという事実を考えれば、かれがこの行為を「芸術」であると意識していたというよりは、自らの欲望を書くことによって、あるいは描くことによって解消していたと見るほうが自然のように思います。自らの欲求を満たす行為であれば、第三者にそのことを伝える必要はありません。だれがマスターベーションの逐一を、他人に伝えるでしょうか。だれがマスターベーションをするときに、他の人のマスターベーションを学ぶでしょうか。
ここ数年で一気にその名を世界に知らしめたヘンリー・ダーガーのことを語るとき、多くの人が口にするのは「そもそも芸術とは何なのか?」「表現するとはどういうことなのか?」「そもそも人はどうして表現するのか?」という、普遍的な問いです。それらの公開されることを前提としなかった作品群を目の前にするとき、それらの絵画のうちに秘める不思議な魅力に魅かれながらも、ぼくたちがより強く感じるのは、おそらく感動よりも驚異に近い感情でしょう。そしてその驚異は、絵画そのものに対するよりは、ダーガーの内面に対するところが大きいと思います(もちろん、「作品そのもの」に魅かれる人がいるという事実は否定しません)。「アウトサイダー」と名付けられた「外部の」芸術家によって、芸術そのものの存在は激しく揺さぶられ、ぼくたちは根本的な問いに立ち向かわされます。どうして人は表現をするのか、という問いに。

鉄割の雑記はあまりにも主観的なものばかりなので、ひとりぐらい客観的に内情を書いてくれる人はいないだろうかと思い、藤井君に稽古場日誌をお願いしたのですが、稽古がない時はとても溌剌と素敵な文章を書き連ねているにもかかわらず、稽古が始まると急に文字数が減り、文章の覇気もなくなるのが個人的にはとても面白くて気に入っております。やはり彼も鉄割であったか、などと再確認と満足しつつ、今後もその調子でよろしくお願いします。
今月号の『東京人』は「大江戸八百八町を歩く」という特集でして、これは買わねばなるまいと迷わず購入いたしました。今年は日本的な文化とは距離をおこうなどと生意気なことを考えていたのですが、やっぱ江戸って最高ね。すべての記事がおもしろすぎて、やっぱりぼくは日本が大好きと再確認しちゃいました。えへ。日本大好き。とくに感動したのが、町田康氏の「すっとこどっこい道中記」で、テレビの時代劇の雰囲気を求めて東京を歩くという、8pほどの短い記事の6pが写真と絵で、文章は2pほどしかないのですが、本当にすばらしかった。書き出しがね、
パソコンやケータイを持ち歩くのではなく、矢立や煙管を持って歩きたい。靴はいて歩くのではなく雪駄ちゃらちゃらいわして色街を流して歩きたい。スターバックスではなくて水茶屋で休息したい。キャバクラではなく廓で遊びたい。
ってかんじなのですけど、面白すぎて何度も読み返しました。ぼく、多分、町田康氏の文章をまともに読むのって生まれて初めてかも。こんなに素敵な方でしたのね。だれか本貸して。
あと、落語の舞台となった場所を紹介してくれる記事とかもあって、文章は死ぬほどつまらなかったのですが、落語のお話がとても良くて、丁度前日に『チェーホフ 短篇と手紙』を読んでやたらと感動してしまったということもあるのですけど、落語って面白いかも。今までさほど興味が無かったのですが、ある意味ミニマリズムでしょ、落語って。チェーホフの短編と、落語と、続けて読んでみたい気がしております。だれか本貸して。
それからねえ、個人的にとても良かったのが北原亞以子さんと森まゆみさんの「貧乏も、洒落で乗り切る江戸っ子気質」という対談で、全然期待しないで読んだらこれまたとても面白かった。「宵越しの銭は持たない」は貧乏人の負け惜しみとか、牛肉が結構食われていたこととか。多摩で降った雨水が濾過されて谷中の井戸に出てくるのに、二百年かかるんですって!ですから、いま谷中の井戸で汲む水は、江戸時代の水なんですよ。あとね、江戸っこは粋だから商売は現金掛け値なしだったのですが、維新のあとに薩摩藩のおいどんたちが江戸にやってきて、すげー値切ったんだって。それでしょうがないから掛け値をするようになると、その店には江戸っ子が来なくなってつぶれてしまったり、どんどん江戸っ子の粋が失われて行ったんですって。それから、めちゃくちゃ気になったのが、森まゆみさんが「最近、江戸の女性の旅行記が続いて出ましたよね」という発言で、なにそれ、読みたい!なんという本か書いていなかったのですけど、有名な本なのかしら。ちょっと調べてみよう。
そんな風に江戸の空気を勝手に感じていたら、いてもたってもいられなくなってしまい、杉浦日向子さんの『江戸アルキ帖』を買ってきました。これ、ちゃこさんが読んだと言っていたのを聞いて、以前から読みたい読みたいとも思っていたのですが、期待を裏切らず素晴らしい本でした。家で夜中に読んでいたら、なんとなく切ない気分になってきて、せっかく東京に住んでいるのにぼくはほとんどの町を歩いていないということが急に悲しくなってしまいました。江戸の空気は東京のどこにいっても味わおうと思えば味わえるのですから、家でゲームなんかやっている場合ではありません。プレステ2叩き壊して、日々お散歩を心がけるように、いえ、心がけるなんて意気込みはいりません。ただ、気の向くままに歩きたい。

江戸の地図を買って、小石川あたりから出発して浅草ぐらいまで、蕎麦でも食いつつ歩いてみましょう。粋な江戸っ子になることを夢見ながら。
年始というものは、今年は良い年でありますようになどとお祈りをする希望に満ちた時期だと思うのですが、なぜかわたくしは頭をぱっくりと割ってしまいまして、さらに目の回りは内出血でパンダのように真赤に縁取られており、そのような状態で日々はゲームをして過ごし、家を出ることもなく、一日に少々の米を食らい、人と話すこともないような生活を送っていると、今年に対して早くも絶望を感じながらもほんの些細なことに希望を見つけようとし、下手な希望は後に余計に辛くなると頭では解りつつも、それでもまだ世俗に対して幾許かの執着を捨て切れず、町に出れば良いことがあるのやもしれぬなどと思って町を出たら汚い外人とぶさいくな日本人女性がディープキスをしておりました。それでこれは今年は駄目だとあきらめがつくかと言えばそんなこともなく、やはりまだもしかしたら何かしらの幸福に巡り合えるかも知れないなどと阿呆な希望を持ち続けている次第でございます。
で、ゴーギャンのこの絵ですが
絵自体は大好きなのですが、タイトルが良くない。タイトル、「我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?(Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?)」というのですけど。
それで、古本屋に行ったらアイスキュロスの『縛られたプロメーテウス』が売っていて、眠れない夜に良いかしらと思って買ってちょいと読んでみたところ面白すぎて読みが止まらず、読了してみればこれは全能の神ゼウスに刃向かってけちょんけちょんにされてしまう男の話でありまして、今この時期にこんな本に巡り合うとうことは、そうか、ぼくは神様に刃向かわなくてはいけないのかと、軽はずみな決心をいたしました。

そんなわけで、ことしのぼくの目標は、神様に勝つことです。どんなバチを与えられても決してくじけません。かかってこい、神。ぶっとばしてやる。