03年01月02日(木)

 東中野で『チェ・ゲバラ -人々のために-』を観てきました。

 今更改めて言うまでもありませんが、チェ・ゲバラ(本名エルネスト・ゲバラ・デラセルナ)はカストロとともにキューバ革命で活躍したアルゼンチン出身の革命家です。この作品は、生前のゲバラを知る人々の証言を集めて彼の実像、一般には知られていない彼の姿を探るという、言ってしまえば有り勝ちなドキュメンタリー映画なのですが、キューバ革命をゲバラと共に生き抜いた証言者たちはひとりひとりの発言はとても力強く、言葉に重みがあり、ゲバラの実像を探ると共に、革命家としての彼らひとりひとりの存在に強く魅かれました。すげーかっこいいんだもん、この人たち。

 映画を観て再確認するのは、ゲバラがどれだけカリスマ性を持った人格者であったか、ということで、サルトルをして「20世紀で最も完璧な人間だった」と言わしめたキューバ革命の英雄は、1997年7月12日にその遺体がキューバに返還されると、国を挙げて迎え入れられました。その様子も映画に収められているのですが、如何に彼がキューバ国民に愛されているかが、映像を通しても伝わってきます。

 映画の中で登場する証言者のひとり、確かオスカー・フェルナンデス・メルという方だったと思うのですが、その方がこんなことを言っていました。

私たち全員がカストロを勇敢だと認めていた。カストロにそのことを言うと、彼は『自分よりもゲバラの方が勇敢だ』と言った。私はチェに尋ねた。貴方は、恐怖を感じることはないのですか?ゲバラは答えた。『もちろんあるさ』

 うろ覚えなので、ところどころ間違っているかも知れませんが、概ねこんな感じの事を言っていたと思います。そして、フェルナンデス・メルは「恐怖」についてこう語ります。

恐怖を克服するためには、より多くの恐怖を経験することです。そうすれば、恐怖の感情は徐々に薄れてくる。

「祖国を守るため」という大義のために戦ってきた革命家たちの、このような言葉を聞きながら、ぼくは恐怖という感情に対して、どれぐらい距離を置いて生きているのだろうか、と考えました。ぼくが最後に恐怖を感じたのは、一体いつのことだろう?

 舞城王太郎氏の始めての短編集『熊の場所』に収められた表題作『熊の場所』という作品の中で、主人公である小学生の沢チンは、同級生のまー君がランドセルの中に切り取られた猫のしっぽを入れていることを知り、まー君の猫殺しに気がつきます。そのことを本人に聞こうとすると、まー君は「あっち行け阿呆、殺すぞ」と沢チンを恫喝し、沢チンは恐怖のあまり逃げ出してしまいます。逃げ出した後に、沢チンは父の話を思い出します。

 沢チンの父が大学生の時の事です。「遠征」と称して訪れたユタの原生林で、父は熊に遭遇しました。恐怖のあまり、一緒にいたオーストラリア人を置いて逃げ出してしまった父は、国道に止めた車の所まで辿り着き、ドアの全てをロックし、前のめりになってハンドルに頭を乗せて、考えます。

「あーこのままやったら、俺もうこの林ん中には二度と入れんなあ。それどころか、下手したら、もうどの山にも林にも、独りでは怖うて絶対入れんようになるやろう」

 そう考えた父は、ダッシュボードの中の銃をとりだし、弾が装填されていることを確かめ、予備の弾丸と、おそらく死んでいるであろうオーストラリア人を埋めるためのスコップを持って、熊の現れた場所へと舞い戻ります。

 最終的に父は、熊をスコップで殴り殺し、自らの恐怖を克服するのですが、その父が沢チンに言った言葉が、「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない」でした。沢チンは父の言葉を思いだし、夕方にちゃりをこいでまー君の家へと向かうことを決心しました。

 と、こんな感じで物語は続くのですが、この小説を最初に読んだときに思ったのが、小学生の頃に感じた、「あの」恐怖心のことです。昔は同級生や先輩に対して時には本気で恐怖心を抱くこともあったのに、あの恐怖心は何処に消えてしまったのだろう?沢チンがまー君に対して感じたような、あの恐怖心は一体どこへ消えてしまったのだろう?人以外にも、夜の森林や、あるいは昼間の墓場など、恐怖を抱く要素は世界に満ちあふれていました。子供の頃は、恐怖を感じ、それを克服することによって、生きているという感触を直に味わっていた気がします。その「恐怖」が転じて「生」に変わるという感覚を忘れてから、どれくらい経つのだろう。そして、ぼくの中から正しい意味での「恐怖」の感情が無くなって、どれくらい経つのだろう。

 この「恐怖」の感覚、小学生から高校生ぐらいにかけてぼくが身近な人間や物、場所に対して抱いていた「恐怖」の感覚を笑う人もいるだろうし、理解してくれない人もいると思います。薄ら笑いを浮かべて「そんなもの感じないでしょう」とかね。そう言う人に対しては、「自分の経験したことだけで世界を見ようとするその狭い視野を死ぬまで持ち続けて下さい」と心の中で願うしかないのですが、それでもぼくは当時の「恐怖」を感じたという記憶を克明に持っているし、その恐怖の感覚を、今でもどこかで感じたいと思っています。と言っても、やくざとかと関わるのは嫌ですけど。

 友人や先輩などに抱いた恐怖の感情は、時には尊敬に転化することもありました。恐怖の感情が薄れている今のぼくには、そのような尊敬の感情すら存在していないようです。っていうか、感情が欠落しているのではないか、と思うことすらあります。なんつーか、生きてるって気がしません。

 ともかく、『チェ・ゲバラ -人々のために-』は良い映画でした。ゲバラのことを知らない人にもお勧めの映画でございます。

03年01月01日(水)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくね。

 1909年の本日、1月1日に、マルセル・プルーストは、紅茶にトーストを浸した瞬間に、頭の中に幼年期の記憶が甦るという体験をしました。

 この体験から彼は、「現実は記憶のなかにのみ形づくられる」という命題を得て、14年をかけて『失われた時を求めて』全七巻を書きあげることになります。当初、第一巻『Swann's Way』はどの出版社からも刊行を拒否され、プルーストは後に二十世紀を代表する作品となるこの小説を、自費で出版をしました。

 モンティ・パイソンの「the All-England Summarize Proust Competition」というコントでは、「全英プルースト要約選手権」に出場した三人の選手が、『失われた時を求めて』を15秒で要約することを競い合います。もちろんそんなこと出来るはずもなく、結局はおっぱいが一番でかい女性が優勝します。

 ということが、文学史上の「今日」を紹介する「Today in Literature」というサイトで紹介されています。このサイト、ぼくもちょくちょくチェックしているのですが、とても面白いですよ。

■Today in Literature

失われた時を求めて』はずーと読みたい読みたいと思いながら読んでいない作品です。入院したり、監禁されたり、無人島に遭難したりとか、とにかく時間が死ぬほど余る機会があったら是非とも読んでみたいのですが、なにかと慌ただしい日々を過ごしているため、なかなか読む機会がございません。余裕のない生活って嫌ね。

02年12月25日(水)

 先日、ビデオレンタルで『イレイザー・ヘッド』を借りて久しぶりに観賞していた折、ふとイワモトケンチさんのことを思い出しました。

 イワモトケンチさんはもともとは漫画家さんでした。というか映画監督を志した漫画家さんで、映画を撮るには金がない、漫画を書けば金になる、ならば漫画をかこうかしらん、ということで漫画を描いていた漫画家さんでした。ぼくが彼の作品に初めて出会ったのは、本屋で『精神安定剤』という作品を立ち読みをしたときなのですが、おそらくはギャグ漫画であろうその作品を読んで、げらげらと人目を憚らず笑い転げ、読後、あまりの衝撃に立ちすくみました。なんなんだ、この漫画は。こんな漫画が存在するはずがない。ぼくは夢でも見ているのかしら。その衝撃は、それまで経験したことがない感覚でした。

せーしんあんてー 本来であれば直ぐにでも購入をしたかったのですが、なにせ金のない学生でありましたから、その時は購入することはできませんでした。仕方がないので、毎日のように学校帰りに本屋に立ち寄り、誰も買うはずのない『精神安定剤』を何度も何度も立ち読みし、その漫画の存在が夢ではないことを確認しました。しかしある日、いつものように本屋に行くと、『精神安定剤』は姿を消していました。あの漫画を買う人間がこの辺りにいるとは思えないので、おそらく出版社に返品されたのだろう、と思いました。

 その後バイトなどを始めて、ある程度金を自由に使えるようになってから、都内に遊びに来た折などに、本屋をあちらこちらと巡って『精神安定剤』を探し求めたのですが、不思議なことにどこに行っても売っておらず、調べてみるとなんと版元が倒産したとか。泣きそうになりながら古本屋を巡っても一向に見つからず、あげげと思ってがっかりしていたところ、なんと『ライフ』というイワモトケンチの新しい単行本が発売されました。喜び勇んで買い求め、貪るように読みあさりました。

『ライフ』の後書きには、漫画家イワモトケンチのファンであったぼくにとって、衝撃的な決意が表明されていました。もうマンガを書くのはやめて、本業である映画撮影を開始する、と。

 そんである朝起きて、テレビでニュースを観ていたら、「元漫画家イワモトケンチさん、ベルリン映画祭で新人賞受賞」などというニュースが放送されており、たいそうたまげたわけであります。有言実行だなイワモトさん、と。

らいふ 受賞したのは、『ライフ』の後書きに書いてあったとおり『菊池』という作品でした。当時まだ地元にいて、且つお受験などを控えていた僕は、東京の単館でのみ上映されていたその映画を観ることは出来ませんでした。今にして思えば、受験なんかよりも『菊池』を優先するべきだったのですが、ぼくもまだ若かったのですね。

 大学に入学して上京し、一年ほど経ったある日、イワモトケンチさんの新作『行楽猿』が公開されました。もちろん、先行ロードショーを観に行きました。それまで僕が観てきた数少ない映画とは、質が全く異なる作品で、終了後もしばらく席から動くことが出来ませんでした。劇場を出ると、奇妙な風貌のイワモトさんが立っていて、勇気を出して話しかけようとしたのですが、あまりにも佇まいが恐ろしくて、話しかけることが出来ませんでした。

 後日、『菊池』と『行楽猿』の両方を観た方から、『菊池』は『行楽猿』の数倍おもしろかったと聞いたとき、やはり『菊池』は観に行くべきだったと、心から後悔しました。

 その翌年、今度はテレビで『CONFIG.SYS』という、複数の監督によるショートドラマのオムニバスが、イワモトさんの総合演出により放映されました。もちろんS-VHSで録画して永久保存版にしました。とても短くて連続性のないお話を連続して放映するという、現在の鉄割と同じようなスタイルのその番組を、当時の大学の同級生や先輩の中で唯一観ていたのが戌井さんで、この番組の話がきっかけで彼とはお友達になりました。あのきっかけがなかったら、友達になったかどうかは怪しいものだと、未だに思っております。

 大学を卒業して都内に引っ越し、イワモトケンチの名前をすっかり忘れていたある日、近所にある小さな古本屋で本をあさっていたところ、あるはずがない本が目の前に現れました。真赤な表紙には、見覚えのある絵が描かれており、その上には白抜きで「TRANQUILIZER KENCHI IWAMOTO」とありました。本を持って手が震えたのは、後にも先にもあのときだけです。上京したての頃に探し求めていた『精神安定剤』が、ようやく手に入ったのです。

 ぼくが人生の中で影響を受けてきたものの中で、イワモトケンチという方はとても特殊な位置にいると思います。中学、高校と、姉の影響もあっていろいろな漫画を読んだし、いろいろな音楽を聴いたし、いろいろな絵を観たし、いろいろな映画を観てきましたが、『精神安定剤』を読んだことによって、その後のぼくの進む道(というと格好悪いけど)が一気に折れ曲がったように感じます。今、ぼくが本を読んだり、映画を観たりすることによって得ようとしている「何か」は、昔本屋で『精神安定剤』を読んだときに感じた、絶対に言葉にすることはできない「あの感覚」なのだと思います。大人になってしまったぼくは、学生だった頃のぼくと同じように本を読むことはできません。「あの感覚」は、おそらくあの時にしか得られない感覚だったのでしょう。けれども、今のぼくにしか感じることの出来ない「あの感覚」は確実にあるはずで、それを探し続けているのです。

 それで、イワモトさんのことを思いだしたついでにYahooで検索をしてみたところ、イワモトさんのサイトを発見しました。

■株式会社イワモケ

 以前に観たときは日記が掲載されていたのですが、現在はリニューアル中とのことです。早く再開しないかしら。一ファンとして、とても楽しみです。

ごすふぉーど

『菊池』を作った時はとにかく全部がノーだったのです。ひとつもイエスはなくて、全ての現状にノーだったのです。パンク少年みたいなものです。(イワモトケンチ)

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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