02年11月25日(月)

 今年に入ってから読んだ本の割合を考えてみたら、日本人の作家の作品が大半を占めていることに気付き、なんとなくアメリカ文学が恋しくなってリチャード・ブローティガン の『愛のゆくえ』を読みました。

 誰でも自分で書いたものを納めることができる図書館に住込みで勤務する主人公が、とてつもなく美しい女性ヴァイダと恋に落ち、図書館で同棲したを始めた結果、しばらくするとヴァイダが妊娠してしまい、その堕胎手術のためにメキシコに旅をするというお話なのですが、ストーリーも文章も、そして翻訳もとても素晴らしい作品でした。本当に最高でした。これが書かれたのは1971年なので、とっくに存在していたこの本を、ぼくは今日まで見逃していたわけで、それがとても悔やまれると同時に、まだまだ(当たり前だけど)面白い本はいくらでも転がっているという幸せに感謝。

 サンフランシスコ、サクラメント通り 3150 番地にある誰でも本を収めることが出来る図書館に勤務し、何年間もそこから一歩も出ずに、自作の本を持ってくる人だけを相手に仕事をする主人公。自分の美しすぎる容貌と完璧すぎる肉体に困惑を感じてノイローゼ気味になっているヴァイダ。収蔵された本で図書館が溢れないように、数ヶ月おきに図書館に来て本を運び出し、洞窟にしまいこむことを仕事としている酔っ払いのフォスター。このフォスターに図書館の番を任せて、主人公とはヴァイダはメキシコへ堕胎の旅へと出発します。堕胎の旅!小説の邦題は『愛のゆくえ』なんてものになっていますが、現代は『The Abortion: An Historical Romance 1966』直訳すると『堕胎、 歴史的ロマンス1966 』ですから。

 とにかくこの主人公の勤務する図書館と、そこに持ち込まれる書籍の魅力的なことは筆舌に尽くしがたく、旅に出てからの話もとても面白いのですが、前半部の図書館と書籍に関するくだりは、何度読んでもたまりません。うう。

 誰でも本を収蔵できる図書館というのは、もちろんブローティガンの想像上の産物ですが、このサイトによると、90年代の始めにブローティガン・ライブラリという同様の図書館が、バーリントン州で設立されたそうです。残念ながら、現在は閉鎖しているようですが、さらに調べてみたらこんなサイトが・・

■Brautigan Virtual Library

 書籍という物理的な制約を受ける図書館を、ブローティガンの想定した形で維持することは難しいと思いますが、ヴァーチャルな空間であれば可能なようです。しかしちょっと覗いた限りでは、サイトの活動はあまり活発的ではないようです。残念。

ぶろーてぃがん

「どういう内容の本なの?その主題は?」
「マスターベーションです」
(『愛のゆくえ』より)
02年11月23日(土)

 なんだかここんとこ風邪を引きやすいし、虫歯も痛いし、おちんちんの皮は日ごと伸びて被ってきているしで、体調ガタガタで精神イライライライラしておりまして、朝の混雑した駅のプラットフォームに並んでいるおやじとかを見ると、ひとりずつ順番に後ろから傘でぶっ叩いてやろうかと思うのですが、気の弱い僕にはそれもママならず、イライラしながら満員電車の中で汗をかいているでぶの肉を掴んでひねり上げていたら余計にストレスがたまり、仕方がないのでジョギングなどをして思いっきりゲロを吐いたり、勉蔵のメガネを二つ折りにしたり、中島の車のアンテナを折ったり、スターバックスのトイレでうんこをして流さなかったり、幸せそうなカップルの隣で般若心経を唱えたり、股間にタオルをつめてもっこりさせて町を歩いたり、フランス人を侮辱したり、そんなことをしてもストレスが解消されるはずもなく、泣きながら歩いていても誰も声をかけてくれないので、またマラソンをしてゲロを吐いて、家に帰ったら電気が消えていてとても寂しい我が家が不憫でなりません。

 私生活上の理由で、次回の鉄割の公演は参加を断念したのですが、出なきゃ出ないで毎日が暇過ぎまして、家に帰って来ても、あれまどうしましょ時間が経つのがとても遅いわなどと困惑してしまい、同棲している友人の家に押しかけて酒を飲んだりしていると、奥村君からメールがきて「ごらん、世界は美しい。生命は蜜のように甘美だ」などと書かれており、あらら奥村君とうとう仏陀晩年の境地に達したのねなんて思いながら分厚いハムを頬張り熱燗を一口、心地よくなって友人にいろいろとお話をしたいこともあったのですが、あとでひとりになったときに悲しくなるのでやめたらもう夜中の二時をすぎていて、お二人は明日デズニーシーでランデブーなので家に帰るのが億劫でも帰らなくてはいけません。こういう時、馬鹿うんこの友人達と共同生活をしたいなあ、いっそのことキブツにでも行って集団生活をしようかしらんなんて考えが頭をよぎるのですが、そんな行動力があればとっくに総理大臣にでもなっているはずで、部屋に干してあったブラジャーをこっそり失敬して雨の中バイクを走らせて帰りました。限界までスピードを出して、遅い車にはパッシング、煽ってくる車には中指を立てて、ルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』を大声で歌いながら信号無視をするとなんだかとても楽しくて、道路を横切る小猫ちゃんに「I think to myself, what a wonderful world」と叫んで大空を見上げたら雨が降っているのに夜空には星が瞬いていて、あれは多分何千年も前に死滅した勉像のメガネが、光の速度の関係で今頃になってようやく地球で見えているのだなと思い、しばらく道路の真ん中で横になって車のクラクションをビージーエムに瞑想し、明日の朝食はトーストにシナモンのパウダーをかけて食べようと思いました。

ゆうじんたく

 暇なのはとても嫌いなので、さっさと鉄割の公演が終わってくれないかなと思っています。そしたらみんなで鍋をやったり温泉に行ったり野球をしたり映画を観に行ったりしましょう。

02年11月22日(金)

 HotWiredから気になる記事をふたつ。

■『究極の延命』会議報告:不死への科学的アプローチ
■永遠の命を求める人々の心理を探る

 自分は自分であり他人ではない以上、個性が別の個性を尊重することは当然のことであり、社会というものは(飽くまでも)その前提の上で成り立っていると思うのですが、それでもやはり他人というものは不思議な存在でして、ある程度までの理解は可能であっても、どうしても理解できない人というものは存在します。例えば卑近な友達の例で言えば

  • 好きな人に好きと言わずにファンという
  • 家以外でうんこをするぐらいであれば、野ぐそをする
  • いまだに演技に松田優作の影響を受けている
  • 部屋のインテリアを無印良品で統一している
  • CMで家を建てた
  • スーツを無印良品で揃える
  • 中島
  • 帰ると行って出ていって、ポン酢を買って戻ってくる

などなど。

 そんな中でも理解できないトップワンは、この「不老不死を願う人」でして、どうしてそこまで死ぬのが嫌なのか。いくら考えても理解できません。僕なんか毎日毎日、早く往生してーなー、あと50年はかかるなー、つーかよ、人生長くない?などと指折り数えているというのに。だって、死後の世界が本当にあるかとか興味あるじゃーん。くれぐれも言っておきますが、生を軽んじているわけでも、自殺したいとか言っているわけではないですよ。あくまでも、人生を生きられる限りきちんと生きて、その上でさっさと往生したい、と。こう申している次第でございます。

 それで思うのは、不老不死を願う方というのは人生が楽しくて楽しくて仕方がないのではないか、と。もう、毎日がパラダイスで、一秒でも長く生きてー!という人たちなのではないか、と。あれ?でも僕も毎日が楽しくてパラダイスだな。でも死にたくないとは思わないし。うーん、わかんねー。

 だってさー、例えば小学生の頃にうんこもらしたら、普通の人は80年ぐらいで死んで終わるけど、不老不死、あるいは驚異的な長寿の世界では、五億年とか経っても、あの人五億年前にうんこもらしたのよ、とか言われるわけでしょう。五億年もえんがちょだなんて、そんなの耐えられないわ。

 その昔、中国を始めて統一した秦の始皇帝は、死の恐怖に駆られ、国を挙げて不老不死の研究に取り掛かりました。徐福伝説なんかもその一端です。始皇帝の場合、中国を統一してしまったり、妾が5000人いたりとかして、現世に欲が出たとしてもおかしくはないとは思いますが、ヒットラー並に被害妄想が強かったらしく、生きていて楽しー!と思っていたとはとても思えません。むしろ晩年にかけては、自分以外の人間のすべてが信じられずに、半分気が狂っていたとも言います。そんな彼でも死ぬのは嫌だった。不老不死を願っていたのです。

 人が不老不死を願う気持ち、あるいは死を願う気持ちというものは、現世の状況が影響するような問題ではないのかもしれません。現世の状態がどうであれ、不老不死を願う人は不老不死を願うし、死を願う人は死を願う。そこに理由を求めれば、おそらく何らかの言葉による説明は得られると思いますが、それはあくまで言葉の理由に過ぎず、その奥にはもっと根源的な原因があるのではないか、などと。簡単に言えば、わたくしの持論である「原因は必ずしも結果を生むわけではない」ということです。

 いずれにしても、もし自殺が罪なのであれば、不老不死も罪なのではないかと。そう思うわけであります。

しこーてー

私は永遠に生きたいとは思わない。永遠に生きるべきではないからだ。われわれが永遠に生きるべき存在だとしたら、永遠に生きることができるはずだ。だが、われわれは永遠には生きられない。だから、私は永遠に生きたいとは思わない。
(1994年のミス・アラバマの言葉)

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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