
渋谷にある素敵な創作和食料理屋さんで、お友達のお誕生日会を行いました。
素敵なお友達のお友達はやはり素敵な方々で、とても素敵な面子でのお食事会となり、素敵の中で浮き足立ったぼくは、お下品な話題は控えめに、ガブガブとお酒を胃の中に流し込み、しこたま酔っぱらっちまいました。それでも気分は悪くならず、なんだぼくはまだまだ若いんじゃん、まだまだ全然いけるじゃん、と調子に乗り、良い気分でカラオケなどを歌い、真夜中に帰宅しました。
しかし、年というものは誤魔化せないものでして、翌日、気がつくといつの間にか目を覚まして天井を見つめておりました。ぼくは一体いつの間に目を覚ましたのだろう。手を動かそうとしても、足を動かそうとしても、思うように動いてくれません。そのままの状態でしばらく天井を見つめ、ようやく体が微妙に動き出した頃にのそりと起きだし、洗面所に向かいました。そして、洗面所の鏡の前に立って驚愕しました。
鏡の中から、五十代とおぼしき七三の初老の男性が僕をじっと見つめていたのです。
よく見ると、それは鏡に映った自分自身でした。お酒を飲んだ翌日というのは、寝起きの顔がひどいものになりがちですが、それにしてもこれはひどすぎる。ああ、ぼくも年を取ったなあ、とつくづく実感いたしました。
そんなことを考えながら顔を洗い、歯を磨いていると、ふと吉田健一の『鬢絲』というエッセイを思い出しました。吉田さんはこんなふうにエッセイを書きだします。
この間、髭を剃っている時に鏡を眺めて、自分も本式に年を取って来たと思った。髪に白髪が混じっていて、その上に二日酔いの朝だったので皮膚から光沢がなくなり、皺も深く刻み込まれて、来年は五十になる人間そのままの顔がそこにあった。年を取るのに、随分掛かったものだという気がする。
エッセイの中で吉田さんは「若い時にうかうかしていると直ぐに年を取ってしまうという種類のお説教も、全く無意味なものに思われた。こっちが早く一人前になろうとあくせくしている際に、何が若いうちが花で、なにがうかうかなのか」と若き日の焦燥を振り返ります。吉田さんのような方でも、五十を前にするまで年を取ったという実感を得ることが出来なかったということを考えると、無為な日々に焦燥も感じることも少ないぼくのような若輩者が、二日酔いの顔を見て年をとったと感じるのはちゃんちゃらおかしい、非常におこがましいことにように思えます。
時間は少しづつしかたって行かなくて、自分がしたいような仕事は大して出来ず、或は、偶に出来ることがあっても、それがすんでしまえばもう別にどうということはなくて、これはもどかしいなどと形容することですむものではなかった。不思議に、今死んでしまったらどうだろうとは考えなかったのを覚えている。いつまでも生きていることになっているようで、それがそう思っていた当時と同じぎくしゃくした月日が無限に未来に向って続いていることを意味したから、その点だけでもうんざりだった。
仕事が出来ずとも大してもどかしさを感じない自分が悲しくなります。精神が成長せずとも、それでも時とともに肉体だけは相応に年をとっていくわけですから。「成長」という言葉は、ぼくにはとても重たく、辛い言葉なのです。果たしてぼくは、五十を前にして、鏡の前で如何に自分の青年期を思うのだろう。
しかしダンディーだな、このおじさん。
先日、古本屋でヴィム.ヴェンダースの『アメリカの友人』の原作である、パトリシア・ハイスミスの『アメリカの友人』を購入しました。ヴェンダースの作品『アメリカの友人』は、登場人物などは原作と同様ですが、ストーリーが原作と大きく異なっていて、それ自体でひとつの独立した作品として完成していましたが、もともとはハイスミスの処女作『リプリー』のシリーズの一作として書かれたもので、映画『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが演じ、映画『リプリー』でマッド・ディモンが演じたトム・リプリーというひとりの人物の物語を描いたものです。
さてそれでは読み始めましょうか、と思っていたらいきなりニュースが。
映画の作品名は『Ripley's Game』で(邦題不明)、原作のタイトルそのまんまです。先にも書いた通り、ヴェンダースの『アメリカの友人』は原作と大きく異なっているので、『Ripley's Game』が『アメリカの友人』のリメイクということにはならないようです。『リプリー』はとてもお気に入りの映画なので、『Ripley's Game』もとても楽しみ。
っていうか、『アメリカの友人』って、僕の周りではとても評判が良いのですが、いまだ観ていないので、そちらを先に観ておきます。
生誕百年ということで、最近やたらと耳にする北園克衛さんですが、ふと気がつけば北園克衛.comなんてものまで出来ており、詩集「若いコロニイ」と「黒い火」が公開されております。
さらに生誕百年を記念して、なにやらイベントも開催される様子。キットカットがプチブームです。
北園克衛や西脇順三郎というと、前衛詩人として知られているので、「ああああわわわたしししししはここここことばばばばのうみみみみみみみみ」とか「ちんちんちんこちんこちんちちんこ」とか、訳のわからない詩を書いているのでしょうという誤解を受けていることがありますが、実験的な作品の他にも、皆さんとても素敵な詩を残しているのです。ぼくは学生時代から彼らの詩の大ファンでして、今でも五年に一度ぐらいは詩集を開いて愛読しております。
風が
さはやかな午後のアヴェニュをふいてゐた
あなたの眉は細く
アラビヤの地平線のやうに
かなしかつた
そして
あなたの日日は
僕たちの泪に縁取られた
ゲンスボロオの美しい一枚のミニアチュルでした
ね
ではさやうなら
あなたの優しい皮肉なわらひ
そしてわたしの嘘のセンチメンタルを
いま
なつかしく思い出しながら
秋風の街を僕はあるいてゐる
すこし哀しく
疲れて『ELEGIA』 詩集『砂の鶯』より
この詩なんか、すごく良くないですか。昔、この詩を手紙に書き写して恋人に送ったら、字が汚くてうざいということを言われたことがあるのですが、字の汚さよりも内容を読んで欲しかった。1900年前後に生まれて、戦前のシュールリアリズムやダダに洗礼を受けた前衛詩人さんたちは、みなさんとても良い詩を書いているのです。
たとえば西脇順三郎なんかはこんな詩を。
黄色い菫が咲く頃の昔
海豚は天にも海にも頭をもたげ
尖った船に花が飾られ
ディオニソスは夢見つつ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた
麗らかな忘却の朝
西脇順三郎『皿』
学生の頃にある先生が、西脇順三郎の詩を楽しむには、「(覆された宝石)のような朝」という一文を読んだときに、「覆された宝石」のような「朝」をイメージ出来ないと駄目だ、と言っていました。さらに、覆された宝石が括弧に入ることによって朝のイメージが変わってしまう、そのような絶妙な機微を味わうことだ、とも言っていました。
高橋新吉さんは、ちょっと男らしいので北園さんや西脇さんほどにははまりませんでしたが、それでもやはり好きな詩人のひとりであります。
留守と言へ
ここには誰も居らぬと言へ
五億年たったら帰ってくる
高橋新吉『るす』
この詩はとても有名なので、ご存知のかたもいらっしゃると思います。素敵でしょう。
この方達、書く詩も素敵ですけど、見た目もとても良いのですよ。やっぱり詩人です。文学者って、なんだかんだ言ってもやっぱり滑稽さが漂うじゃないですか。こいつらは本当にむかつくほどにダンディなのね。
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右から、西脇順三郎、北園克衛、高橋新吉なんですけど、カッコつけてるでしょう。高橋さんのしかめ面とか。もう。
ではさやうなら