
朝、寝坊をして八時起床。パクセ行きの飛行機のチェックインが八時半なので、急いで着替えてゲストハウスを出る。トゥクトゥクで空港まで向かう。急いでチェックインカウンターに行くと、航空券に書いているチェックインの時間は間違いで、実際のチェックインは九時ということが判明。
九時にチェックインする。日本人の観光客がひとりいて、話しかけてくる。ぼくよりもかなり年上で、甲高い声で早口でぺらぺらと話す。一目で気が合わないのがわかったので、無視。十時に離陸。飛行機は思ったよりも小さい。外務省から注意喚起が出ている飛行機ではないので、墜落はしないと思うが、良い噂を聞かないラオス航空だけに少し緊張する。ぼくの隣には、英語が話せるラオス人の男性が座った。それほど流暢な英語ではないが、ぼくも同じようなものなので、片言同士でちょうど良い。話してみると、ぼくよりも年下なのになかなかの実業家らしく、パクセにセカンドハウスがあるという。パクセに着くまで、一時間ほど雑談をする。歳が近いこともあって、楽しかった。名前を聞いたが、すぐに忘れた。
十一時過ぎ、パクセに到着。雨がぱらぱらと降っている。空港を出ると、トゥクトゥクが一台しかいない。日本人の男性が、なにかにつけて気持ちの悪い声で笑い、しゃべり、それが癇に障る。トゥクトゥクに乗り込むと、フランス人の女性二人が先に乗っている。女性と言っても、二人とも十代に見える。長いこと待たされているのか、この町が気にくわないのか、二人ともむすっとしている。
ぼくたちが乗り込んでも、トゥクトゥクは一向に走り出す気配がない。見ると、運転手が観光客の外国人のおばさん相手に何か話し込んでいる。おそらく値段の交渉をしているのだろう。「早く行こうよ!」と怒鳴ると、「もうちょっと待って!」と怒鳴り返してくる。フランス人の女の子が「まだ来ないの?」と聞くので、「なんかおばさんと交渉しているんだけど」というと、二人はトゥクトゥクの天井をどんどんと叩き出した。ぼくも一緒に叩く。トゥクトゥクが揺れる。それから五分ほどして、ようやく運転手が戻ってきた。やっと走り出したと思ったら、いきなり給油所に立ち寄る。いい加減頭にきたので文句を言おうとしたら、日本人のおやじが甲高い声で笑いだした。その声の方にいらいらして、なにも言う気がなくなる。
パクセの市内に到着する前に、女の子達がゲストハウスの前でトゥクトゥクを降りる。このおやじとこれ以上一緒にいたくないので、ぼくもそこで降りる。雨が激しを増してきた。ここは一体どこなのだろう?ちょうど良くサムローのような乗り物が来たので、停めて、「チャンパーサックに行きたいのだけど」と言うと、英語は通じないようだが、乗れ、乗れ、と後部座席を指さす。「チャンパーサック?」と聞くと、「バス、バス」と言う。バス停まで連れていってくれるらしい。雨に濡れながら、バス停へ向かう。
バス停には、十分ほどで到着。サムローのおやじさんが、チャンパーサックへ行くソンテウを教えてくれる。ソンテウとは、小型トラックの後部の荷台に席があるようなもの。ぼくが着いたときには、席はすでに満席で、ぼくの顔をみると強引に詰めて席を作ってくれた。両手を合わせて、乗っている皆さんに「サヴァーイディー」と挨拶をする。しかしこれ、本当にチャンパーサックに行くのだろうか。聞きたくても、英語がまったく通じない。
出発直後に、数人のラオスの若者がソンテウに乗り込んできた。そのうちのひとりが、少しだけ英語を話せるみたいだ。このソンテウは、確かにチャンパーサックへ行くとのこと。ほっと一安心。青年の名前を聞くが、一秒後に忘れる。しかしこの青年、英語を習い始めてまだ半年ということで、なにかにつけて英語を話したがる。ぼくは風景でも見ながら静かにソンテウに揺られたかったのだが、次から次へと話を続ける。最初は楽しかったけど、途中からうざくなって無視をすると、たばこを吸いながら友人たちの方へ戻っていった。
パクセを出てから、延々と一本道を進む。この距離だとさすがに歩くことはできないが、一度も道を曲がらず、ひたすらに一本道を走り続ける。ぼくは一本道が大好きなので、直接に風を受け、ラオスの人々に押しつぶされそうになりながら走るこのソンテウが楽しくて仕方がない。周りには田んぼが広がっている。田んぼの中に、高床式の家がまばらに建っている。ソンテウは、数キロごとに村に止まる。村の物売りの子供たちが一斉にソンテウを取り囲み、飲み物やら食べ物やらを売ろうとするが、ぼくに気づくとはっと固まってしまう。が、両手を合わせて挨拶をすると、ニコッと笑ってくれる。歩くことも楽しいけれど、こうやってただ風景を眺めながら移動するのも、とても楽しい。
約二時間ほどで、メコン川沿いの船着き場に到着。巨大な筏にソンテウを乗せて、メコン川を渡る。雄大なメコンの川上を、ソンテウとぼくを乗せた筏がゆっくりと流れる。雨も、いつの間にかやんでいる。
川を渡ると、小さな村に到着。英語を話せる若者が、「ここがチャンパーサックだ」と言う。うっわー、何もねー!!と思いながら、ソンテウを降りる。ガイドブックに、何件かゲストハウスが紹介されていたけど、そんなものはどこにも見当たらない。若者に、「このへんにゲストハウスは・・・」と聞くと、周りの人と何かぼそぼそと話し、「この道をずっと先に行ったところにあるから、サムローで行け」とのこと。歩いては行けないか?と聞くと、二キロぐらいだという。それならば歩こうと思って歩き出すと、若者が後ろから追っかけてきて、ゲストハウスまでソンテウで送ってくれるという。お言葉に甘えて、再びソンテウに乗る。
五分ほどで、ソンテウを降りる。今度こそ本当にお別れなので、乗っているすべての人に丁寧にお礼を言って別れる。ソンテウが去り、周りを見回すと、何もない。こんなところに本当にゲストハウスがあるのかな、と思って少し歩くと、「ハロー」と何処からか声をかけられる。振り向くと、家の中から女性がぼくを呼んでいる。よく見ると、ゲストハウスと書いてある。部屋を見せてもらって、値段を聞くと一万キープ(140円)だという。時間もないことだし、ここに泊まることにする。
ゲストハウスにはレストランが併設しているので、レストランで昼食をとる。ラープという挽肉を香草で炒めたものと、もち米のようなライス。うまい。食後、外に出ると観光客と思しき欧米人四人組が、トゥクトゥクとなにやら言い争っている。言い争っているというか、おそらく値段の交渉なのだろう。ワット・プーに行くのであれば、ぼくも一緒に乗っていこうかと思い、「ワット・プーに行くの?」と外国人に聞くと、「そうだけど、一緒に行く?」と誘ってくれた。渡りに船ですから、お言葉に甘えて参加することにして、値段の交渉は彼らに任せる。
値段の折り合いがついて、トゥクトゥクに乗る。話を聞くと、四人は一緒に旅をしているわけではなく、お互いにカップルで旅をしていて、ぼくと同様にさっき出会ったばかりだという。四人の名前をそれぞれ聞くが、速攻で忘れる。一組のカップルに、どこから来たの?と聞くと、アイルランドとのこと。アイルランドと言えば、今回の旅行に持ってきた本の中に、「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」があるので、「今、ゲバラの本を読んでいるのです」と言うと、二人は不思議そうな顔をした。あれ?ゲバラって、アイルランドじゃなくてアルゼンチンじゃん、とすぐに思い出し、ごめんごめん、勘違いしちった!と言おうしたが、英語力の不足でなかなか通じず、気がついたらぼくはアイルランドに二年間暮らしていたということになっていた。面倒くさいので否定をせずに、子供のころ住んでいたから、街の名前とか覚えていないとか適当な嘘をつく。コミュニケーションとは難しいものです。
猛スピードで走るトゥクトゥクから外を眺める。こうして見ると、ヴィエンチャンはやはり首都だったのだなと感じる。チャンパーサックは、まさしく田舎!という感じで、のどかな田園風景がひたすら続く。途中、木に寄り掛かるようにして座っている巨大な仏像を発見。道路に背を向けているため、顔が見えない。正面から見たかったけど、トゥクトゥクは猛スピードで通り過ぎる。帰りは歩いて帰ろう、と心に決める。
三十分ほどでワット・プーに到着。遠くに、遺跡が広がっているのが見える。うおおおお!と感動する。時計を見ると、三時を過ぎている。受付で、何時まで見れます?と聞くと、五時までとのこと。カップルのうち一組は、受付の傍にあるレストランで食事をしてから行くという。もう一組のカップルは、受付を済ませてさっさと入っていった。ぼくはひとりで歩きたかったので、少し時間差で中に入る。
ワット・プーは、十二世紀ごろに建てられたとされるクメールの寺院の大遺跡で、自然災害や戦乱などによる人為的な被害のために、全体に損傷が激しい。それでも、クメールの遺跡を初めて観たということもあって、そのあまりの壮麗さ、そして、時間と共に正しく朽ちていくその姿に圧倒される。泥と草で荒れ果てた地面のあちこちには、寺院内に飾られていたであろう像たちが散乱している。寺院は、ところどころ補強されてはいるものの、かろうじて残っているかのように脆い印象を受ける。雨が降った後のため、地面はぬかるみ、足場が悪い。寺院に入ると、歩けるところがほとんどないぐらいに荒れ果てている。その荒れ具合が、とてもいい。ぼくは、不意に京極堂の台詞を思い出す。
「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」
ぼくは、クメールの歴史に対して憧憬というものを持ち合わせていない。そのためか、この遺跡に対して「強者どもが夢の跡」のような感傷的な感想は全く持たない。ただ、この朽ちていく姿が美しいと思うだけだ。けれども、何百年か前にはさぞや絢爛であったであろうこれらの建物が、長年の風雨や、人為的あるいは自然現象により腐食しているこの状態を見れば、ぼくが生まれるずっと以前からこの場所にこの寺院が存在していたであろうことは容易に想像できる。この目の前に広がる風景や遺跡群が、ぼくがここに来てそれらを観察する以前からここに存在していたことは間違いない。けれども、京極堂の台詞がどうしても頭から離れない。この目の前の世界は、ぼくがここに来る以前から、あるいは観察をする以前から本当にここに存在していたのだろうか?
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正面の、勾配の急な階段を上って本殿に向かう。途中、人程の大きさの仏像があり、そばでお線香を売っている親子(?)がいる。汗をかきながら階段を登り終えると、本殿がある。ヒンドゥー様式の浮彫で装飾された寺院は、思ったよりも小さい。中に入ると、あとから持ち込まれたという仏像が四体、静かに座っている。皆、右手を膝にのせ、左手の掌を上に向ける例のポーズをとっている。たくさんのお供え物がある。今にも崩れ落ちそうな壇に座る仏像を、ゆっくりと眺める。
結局、五時ぎりぎりまで粘ってワット・プーを後にする。ふたたび欧米人カップルたちと合流し、トゥクトゥクで帰る。十分ほど進んだところで、トゥクトゥクを停めてもらい、そこから歩くことにする。
しばらく歩くと、先ほどの木々の間に座っている仏像のところへ着いた。これだー!と駆け寄ると、そばで子供たちが遊んでいる。挨拶をすると、笑顔で応えてくれる。仏像を正面から見るために回り込むと、子供たちもついてくる。仏像は、凛々しい顔つきをしている。この仏像は、特に観光されるわけでもなく、昔からただここにあるものとしてここに座っているのだろう。臼杵の磨崖仏のことを思い出す。それらの石仏群は、何百年もの間、村人たちにただそこにあるものとして扱われ、子供たちの遊び場となっていたが、今では完全に修復され、国宝にも指定されて立派に保護されている。
文化財を保護することに対して異議を唱えるつもりはないけれど、ぼくがより心を惹かれるのは、今ぼくの目の前にあるような、雨や風にさらされながら蕭々とそこにある仏像で、そこには何とも言えない寂しさと、ただあるだけで放たれるような神々しさがある。子供たちは、恥ずかしそうにぼくの方を見ている。ガイドブックを片手に話しかける。お姉さんが、三人の弟の子守をしているらしい。とても頭の良い子で、ぼくがたどたどしいラオス語で言おうとすることを、すぐに汲んで答えてくれる。お姉さんの年齢を聞くと、十一歳だという。お礼を言って、その場を去る。
歩いてみると、想像以上に素晴らしい風景に出会う。右手にはメコン川が流れ、左手には田園が広がる。道には動物が悠然と闊歩し、道路の左右にある高床式の家からは、子供の声、親の声、音楽、様々な音が聞こえてくる。道を歩く子供も大人も、ぼくに気づくと怪訝そうな顔でじっと見つめるが、両手を合わせて挨拶をするととても優しい笑顔で応えてくれる。日が落ちてきた。田んぼから、蛙の声が聞こえる。日本の田舎で聞いた蛙の声よりも、良い声で鳴いている。トンボが群れをなして飛んでいる。数が半端じゃない。大気の色が、夕方に移り行く過程の、とても良い色に変化している。周りを見渡しても街灯なんてものは見当たらない。このままでは、ゲストハウスに辿り着く前に真っ暗になってしまいそうだ。少し歩く速度を早めよう。
ふと左手を見ると、メコン川に向かって座っている仏像がある。夕刻と重なって、仏像の背中がやけに寂しそうに見える。仏像の方へ行きたいが、バリケードが張ってあって、向こう側へ行けないようになっている。近くに牛を連れているおじさんがいたので、入っていいか?と聞くと、全然問題ないようなので、バリケードをくぐって仏像の方へ行く。地面がぬかるんでいて、サンダルがずぶずぶと地面に埋まる。もつれる足をどうにか動かして、仏像のもとへ。正面へ周り、仏像を御顔を拝む。仏像は、静かにメコンの流れを眺めている。ただ、メコンの流れを眺めている。メコンを眺めることを強いられた仏像に、ちょっとだけ哀れみを感じる。
結局、ゲストハウスに着いた頃には辺りは真っ暗になっていた。昼と同じレストランで、夕食をとる。あまりおなかが空いていなかったので、フライドポテトと、スクランブルエッグ、それからラオス特製のアイスコーヒーを注文する。アイスコーヒーは、まるでチョコレートを飲んでいるのかと思うぐらい濃く、甘い。レストランには壁がないので、すべての食べ物に満遍なく虫が集っている。食べながら、読書をする。突然、スコールのように激しい雨が降りだす。
食事を終えて、走って部屋に戻る。ほんの数メートルしか離れていないのに、全身びしょ濡れになる。シャワーを浴びたいが、シャワーは部屋から少し離れたところにある。ふたたびダッシュ。どうにかシャワー室に入るが、電気がつかない。辺りは真っ暗で、ドアを閉じると完全に何も見えなくなる。仕方がないので、ドアを開けたままシャワーを浴びる。雨音が、どんどん激しさを増す。雷が鳴りだす。風が室内まで吹き込んでくる。幽霊や妖怪の類はそれほど信じてはいないけれど、さすがに怖くなり、さっさとシャワーを浴びてほとんど半裸のまま部屋に駆け込む。
部屋に戻っても、雨は一向に止む気配を見せない。風が窓とドアをがんがん叩いている。横になり、MDでテレビジョン・パーソナリティの一番好きなアルバムを聞きながら、さっきの読書の続きをする。MDから、"I Know Where Syd Barrett Lives"が流れる。
There's a little man
In a little house
With a little pet dog
And a little pet mouse
I know where he lives
And I'll visit him
We have Sunday tea
Sausages and beans
I know where he lives....
ahhhhhhhhhhh
'Cause I know where Syd Barrett lives
大好きな国で、大好きな音楽を聞きながら、大好きな書物を読む。
外の嵐がその幸せをよりいっそう引き立たせる。
それにしても、雨はぼくの予定に合わせて降ったりやんだりしているようだ。
ありがとうございます。
午前七時、がたがたという音と車掌の声で起床。寝台のカーテンを開けると、ベットの片づけが始まっている。下に降りて窓から外を眺めると、一面に田んぼが広がり、その中に南国系(?)の樹木が生えているのが見える。早朝だというのに、農業に勤しむ人々がすでに作業している。ああ、これがタイの東北部なのね!と感激し、しばし眺めを楽しむ。
九時過ぎにノーンカイ到着。ぼくの他にも、観光客と思しき外国人が何人かいるが、会話から察するに、みんなフランス人のようだ。リュックを背負い、電車を降りる。
駅を出ると、たくさんのトゥクトゥクが待っている。ここからタイのイミグレーションまではトゥクトゥクで行くらしい。イミグレーションへ向かう。
タイの出国管理事務所で出国手続きをして、シャトルバスで友好橋を渡り、メコン川を越える。ああ、メコン川だ!思った以上に巨大な川だ。これから数日間、あなたの傍を離れずに、あなたと共に旅行をするのですよ、と心の中で川に話しかける。
橋を越え、ラオス側のイミグレーションへ向かう。ぼくはラオスのビザを持っていないので、入国手続きをする前に、ビザの申請をしなくてはならない。写真と申請書と金を渡して申請をすると、パスポートを受け取ったまま返してくれない。あれ?これ返してくれないのかしら。でも、他の外国人もパスポートを預けて待っているし、まあいいやと思って待つこと三十分、突然「オネダ!オネダ!」と呼ばれる。パスポートを受け取ると、しっかりとビザのスタンプが押してある。すぐ先にある入国審査の窓口に並び、入国カードを提出。なにやらコンピュータで照合をしている様子。無事に通過し、とうとうラオス入国。外に出ると、またもやトゥクトゥクやタクシーがたくさん待っている。近くにいた日本人の女性に声をかけて、市内までトゥクトゥクをシェアすることにする。
とうとうラオスにやってきた。ビエンチャンの市内に向かうトゥクトゥクの中で、風に吹かれて髪の毛が七三になる。通りゆく道々の風景を眺めていたら、インドの田舎を思いだした。道路はほとんど舗装されていない。間隔を挟んで、木造の家々が並んでいる。牛が平気で道路で寝そべっている。けれども、時々通り過ぎるラオスの人は、こちらを気にする様子は全くない。そこがインドとの大きな違いだ。
ビエンチャンのメイン市場、タラート・サオに到着。女性に丁寧にお礼をして別れる。ビエンチャン!とうとうやって来ました!もちろん、この町に来ることが旅行の第一の目的だから、ここは単なる出発地点に過ぎないのだが、それでもやはり感動してしまう。さて、とりあえず宿を探さなくては。それから、南ラオスの町、パクセーへ行く飛行機のチケットを予約しなくては。
ガイドブックよると、メコン川沿いにゲストハウスが幾つかあるらしい。とりあえず、メコン川に向かって歩くことにしよう。雨期のせいか、道路がぬかるんでいるので、水たまりを避けながら歩く。歩きながら、町を観察する。仮にも首都だというのに、喧騒というものを全く感じない。車も走っているし、人々も歩いているけれど、タイの北部の田舎よりも静かな感じがする。ぼくは、もしかしたらとても素晴らしい国に来てしまったのかもしれない。
地図を見ながら進んでいたら、大きな広場に出た。歩いてきた距離と、周りの風景から察するに、ここはおそらくタートダムなのだろうと思って、近くにいる人に聞くと、ここはナンプ広場だという。地図で見ると、タラート・サオから相当離れているように見えるけれど、もうこんな距離を歩いたのだろうか?というか、町自体がこんなに狭いのか!嬉しくなる。
途中、ラオス航空のオフィスを発見。外国人用のカウンターでパクセー行きのチケットを予約する。飛行機の席数自体が少ないので、チケットを取れるかどうか不安だったが、あっさり予約できた。これで安心してヴィエンチャンを歩くことが出来る。メコン川沿いの道路に出て、川に沿って歩く。川の向こうには、タイが見える。何度ラオスを実感しても、し足りない。ぼくは今、ラオスにいるのか。道路沿いには、レストランやマッサージ屋さんが軒を連ねている。エクスチェンジでバーツをラオスの通貨キープに変える。ラオスでどれぐらい使うか検討がつかないので、とりあえず2000バーツを両替する。日本円にして7000円足らず。ラオス通貨で491500キープ。びっくりするぐらい分厚い札束を受け取る。ラオスでは、自国の通貨に対する信用が低いので、みんなキープよりもバーツやドルを欲しがるらしい。使い切れるだろうか?
川沿いのレストランに入って、昼食を取る。何を頼んだら良いか分からなかったので、適当に注文をしたら、クリスピーヌードルのあんかけに野菜がたっぷり入った、日本で言えばかた焼きそばのようなものが来た。食ってみるとなかなかうまい。
メコン川付近のゲストハウスに部屋をとり、シャワーを浴びて一段落。明日の朝早くにヴィエンチャンを発つので、今日のうちに少しでもぶらつこうと思う。ガイドブックを見ると、市内から少し離れた所にブッダパークという、敷地内に大量の仏像が点在している公園があるらしい。とりあえずそこへ行ってみよう。
パークまでバスで行こうと思っていたら、途中でトゥクトゥクに声をかけられ、値段を交渉してみると意外と安いので、トゥクトゥクで行くことにする。パークに向かいながら、道順を覚える。覚えると言っても、一度左折した後はひたすら一本道。絶対に迷うことはないだろう。ブッダパーク到着。
入園すると、ぼくはすぐに動けなくなった。目の前に阿修羅像のような、三面十二臂の像が立っている。うおー!かっこいいいーー!なんだこの像!!多分阿修羅で間違いないとおもうけど、腕が十二ついてる!日本で一番有名だと思われる、興福寺の国宝館にある阿修羅像は三面六臂で、その腕の華奢な感じがとても好きなのだが、今目の前にあるこの阿修羅は、如何にも力強い。阿修羅という意味で言ったら、こちらの方が本家に近いのかな?悲しみを全く感じさせないその表情が気に入って、しばらくその場から動けなくなる。
その先に行くと、巨大な寝仏がある。涅槃像だ。ガネーシャ像もある。とにかく公園(実際は寺院跡なのだが)の一面に様々な仏像が立っている。いかにも南伝系の仏像らしい、日本では見慣れない少し滑稽な仏像もたくさんある。その他にもヒンドゥーの神なのだろうか、まるで魔王のような像も幾つかある。一つ一つを丹念に見る。仏像好きにはたまらないな、ここは。仏像は、やはり雨ざらしが一番美しい。
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仏像をすっかり楽しんでしまい、写真をばしゃばしゃとアホのように撮り、満足して公園を後にする。トゥクトゥクで帰る途中、やはり歩きたくなって、途中で止めてもらって「ここからは歩くから」と説明して、往復分の金を渡してトゥクトゥクを降りる。運転手のお兄ちゃんは、「ここからなら一時間半ぐらいで市内に着くよ」と教えてくれた。
道は一本道なので、迷うことはない。国境から市内へ来る途中で見た風景と変わらない風景が続く。トゥクトゥクに乗っていると、誰もぼくのことを気にしないけれど、歩いているとさすがにじろじろ見られる。「サヴァーイディー」と手を合わせて挨拶をすると、皆笑顔で応えてくれる。途中、コカコーラの工場や、日本車のディーラーなども見かける。その周りには飲食店が並んでいる。そのうちの一件に入ると、まだ十代と思われる女の子が店番をしていて、ぼくを見ると驚いて慌てている。が、挨拶をするとニコッと笑って応えてくれた。ペプシを買うと、指で二を表して、二千キープであることを教えてくれる。ストローとペプシを受け取ると、そこで飲んで下さい、というように外のベンチを指さす。この子、かわいすぎる。というか、ラオスの子供は皆かわいすぎる。
タイと同様に、ラオスも雨期のせいか太陽の日ざしが少しもきつくない。湿気も思ったほど辛くない。歩いていると汗ばみはするものの、心地良い風のおかげで歩くことが少しも苦痛にならない。皮のサンダルは長距離を歩くのには適してないかとも思ったけれど、それほどでもない。歩きながら、『姑獲鳥の夏』の京極堂の台詞を頭の中で反芻する。
「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」
この台詞を前後の文脈から判断すると、世界はぼくが観察した瞬間にその態度を決める、ということになる。ぼくという個人が観察するまで、その世界は存在しないということだ。今、ぼくがこうやって歩いているこの町は、ぼくがここに来る以前から存在していたはずだ。それは間違いない。しかし、京極堂の言葉によると、この町の存在はぼくの観察後に創られたものということになる。
京極堂は続ける。
「僕等の科学で知り得る宇宙というのは、実に我々の生存に都合良くできているじゃないか。(中略)その理由はただひとつ、観察しているのが人間だからーさ。(中略)我々の内なる世界は言葉という呪によって覚醒したが、外なる世界もまた科学という呪によって覚醒したのさ。」
観察者が対象に影響を与えるのは、人間が「世界を語る」ことができるからだ、と言っているようにぼくには聞こえる。もしそれが正しいとして、それでは、「語られる世界」とは、一体なんなのだろうか?世界は、人間が存在しなければ「語られる」ことはなかった。世界が語られた瞬間、そこに一体どのような影響が及ぼされるのだろうか?ぼくは尊敬する作家のひとりである保坂和志の『世界を肯定する哲学』のことを思いだす。保坂は書いている。「私が生まれる前から世界はあり、私が死んだ後も世界はありつづける。」今、このとてもシンプルな命題が「世界」を考えるときにどれだけ重要な意味を持つか、少しだけ分かったような気がした。そして「観察すること」について、もっと深く考えたいと思ったが、それ以上考えることは出来なかった。
さらに歩く。歩くということは、足を交互に動かすという同じ動作の繰り返しで、それがぼくにはとても心地よい。ポール・オースターは「シティ・オブ・グラス」の冒頭で以下のように書いている。
散歩をするたびに、彼は自分を置き去りにしているように感じた。人の流れに身をまかせることによって、自分がひとつの目になることによって、考える義務から逃れることができた。このことは何よりも彼にある種の平安を、健康な空白をもたらした。世界は彼の外に、彼の周りに、彼の前にあった。刻々と変化するそのスピードが、彼にひとつのことを長く考える余裕を与えなかった。身体を動かすことが肝心だった。一方の足を前に踏み出し、それに合わせて体を動かすことだ。目的もなくさまよい歩いていると、どこへ行っても同じことで、自分がどこにいるかは問題でなくなる。気が乗っているときは、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。
ぼくは、歩きながら色々なことを考える。何も考えないということは絶対にない。くだらないこと、つまらないことを常に考えている。ぼくが上記の主人公に共感するには、「考える義務」から逃れて、「自分を置き去りにしているように感じ」るという点で、「考えること」と「考える義務から逃れること」は、ぼくにとって同義であり、「考える義務」から逃れることによって考えられることを考えることがとても楽しい。などと訳の分からないことを考える。そんなことを考えながら、さらに歩く。
途中、道を左に入った先に塔のようなものを発見。好奇心に駆られて、左に入り坂を上ってその方向へ行ってみると、大きめの寺院がある。中を覗いてみると、大きな仏像が見える。ワクワクしながら中に入る。昨日、バンコク国立博物館でみた釈迦如来像と同じ形をした仏像が四体、互いに背中を合わせて座っている。眺めていると、僧侶が近づいてきた。サヴァーイディー。挨拶をして、勝手に入った無礼を詫びるが、にこにことしていて全然気にしていない様子。「どうしてこの寺に来た?」と聞かれたので、「見かけたら」と応えたら、可笑しそうに笑っている。仏像が好きなので、写真を撮っても良いですか?と聞くと、快く了承してくれた。いろいろと聞きたいことがあったが、英語力の問題で断念。
結局、ヴィエンチャンには六時半過ぎに戻った。三時間以上歩いたことになる。夕方のメコンを散歩する。川岸で、数十人のおばちゃんが全員でダンスを踊っている。屋台でラオビールを買って、メコンを眺めながら飲む。わたくしは、ラオスに来ております。楽しくて嬉しくて、にやにやしてしまう。

明日はとうとう南ラオス。うまくいけば、明日中にはワット・プーに辿り着けるかも知れない。今回の旅行は、予想以上にうまく進んでいる。この調子で最終日までいってほしいものです。

午前十時起床。シャワーを浴び、ホテルをチェックアウトする。今日の夜にバンコクを出るので、それまでの間荷物を預かってくれませんか?と尋ねたところ、それは出来ないとのこと。では、荷物を預かってくれる場所を知りませんか、と聞くと、知らない、 とそっけない答え。

昼間のカオサン通りは、欧米人で溢れてはいるものの、夜のような騒々しさはなく、必要以上の寂しさを感じることもない。雨期だというのに、湿気を全く感じない。気温も丁度よく、風が心地よい。しばらくぶらぶらと歩く。ノーンカイ行きの寝台特急に乗るのは今夜八時四十五分なので、それまでの時間をどうやって過ごすか考える。何度来てもバンコクはやることがない。それはバンコクのせいではなくて、都市に興味を覚えないぼくの性格のせいなのかもしれない。途中、荷物を預かってくれるゲストハウスを発見、荷物を預ける。その後、とりあえず食事をするために、適当なレストランに入る。
一時間ほどレストランで読書をするが、なにをするべきか一向に思いつかない。このままだと一日ここで読書をしてしまいそうなので、とりあえずレストランを出て、適当に歩くことにする。昨日はチャイナタウンに向かったので、今度は逆方向に行ってみることにした。
少し歩くと、サナーム・ルアンにでた。たくさんの屋台が並んでいる。中央には、イベント用の土台らしきものが組み立てられている。近いうちにお祭りでもあるのだろうか?道路の脇で、おっさんたちが輪になってボールを蹴りあっている。ボールを落とさないように、足でキャッチボールをしているらしいが、めちゃくちゃ上手い。落とすのは大抵若いやつで、年をとっているおっさんほど落とさない。
途中、右手に入る道があったので、入ってみる。道の左手には仏教関係の店が、歩道には仏像やレリーフを売っている人たちが並んでいて、一般の人たちや僧侶達が群がっている。どうやらこの通りは、仏教系の方々の通りらしい。店を覗いてみると、仏教だけでなく、ヒンディー関係の書物なんかも置いてある。とても良い仏像も置いてある。CDやテープなんかも置いてある。明らかにトリップ系のCDなんかも置いてある。店を巡回しているだけも面白い。もともとが観光客を相手にしている店ではないためか、あまり英語は通じない。タイは仏像の国外持ち出しが禁止なので、良い仏像があったけど買うのはやめた。
道を進むと、船乗り場に突き当たった。仕方がないので戻ると、途中「National Museum Bangkok」を発見。そういえば、バンコクで美術館や博物館に入ったことがないなと思い、入館してみると、思った以上に広い。敷地内に建物がいくつも建っていて、テーマごとに分類されている。パンフレットを見て、仏像関係のフロアーを探すと、「ASIAN ART」というコーナーがあるので、そこに行ってみる。
ぼくは日本の仏像に関しては興味も手伝って多少の知識は持っているつもりだけど、東南アジア系の仏像に関してはほとんど無知に等しい。前回の北部旅行でも多少は観てまわったが、それ以降で観るのはこれが初めてかもしれない。わくわくしながら展示室に入ると、そこにはたくさんの仏像が並んでいた。
こうして仏像を観ると、どうしても日本の仏像と比べてしまう。この博物館に展示されているだけの仏像で南伝系のすべてを総括するつもりはないけれど、たとえば顔に関して言えば、日本の仏像の顔はやはり美しいと思う。南伝系の仏像には、感情の繊細さを感じることができない。日本の仏像は、たとえば聖徳太子の時代、つまり日本に仏教が伝来してすぐの仏像に関して言っても、表情の微妙な美しさ、繊細さがある。もっとも、あの時代の仏像は、大陸の影響を思いっきり受けているし、あるいは大陸から渡ってきた仏像そのものなので、日本というよりは、大陸の仏像、大乗の仏像と言った方が良いかも知れないけど。
とはいえ、これだけの数の南伝系の仏像を一度に観るのは初めてだし、博物館に納められているだけあって、なかなか良い仏像が揃っているので、さすがに興奮する。ロンパリの仏像がある。体型的にガネーシャっぽいその仏像は、大きなものと、小さなものとふたつあるが、その両方とも素晴らしい。ガネーシャを想像してもらうと分かりやすいが、頭がでかく、目がロンパリなので、多少コミカルな印象を受けるが、じっと目を凝らして観ていると、何とも言えない神々しさがある。これはなんという名前の仏像なのだろう。
進むと、釈迦如来蔵と思われる仏像が続く。それらの両手の形が気になる。日本の仏像は、釈迦如来像に関して言えば、たいていの場合右手はこちらに手のひらを向け(施無畏印)、左手はひざの上において何らかの印を結んでいる。少なくとも、僕が観てきた釈迦如来像に関しては、ほとんどがそのような形をしていた。けれども、ここに並んでいる南伝系の釈迦如来像と思われる仏像は、右手を右膝の上に手のひらを下にして乗せ、左手は腹の下辺りに手のひらを上にしている。すべてがそうだというわけではないけれど、そのような形の仏像が非常に多い。これらの仏像は、釈迦如来像ではないのだろうか?そもそもこの印は、なんという名前の印なのだろうか?そういえば僕は、仏像のリリーフの指輪をひとつ持っているのだが、そこに描かれている仏像も同じような形をしている。特に冠を有するわけでもなく、光背を持つわけでもなく、特徴のある法衣を着ているわけでもない。やはり釈迦如来だとしか思えないのだが、もしかしたら、南伝系特有の如来像、あるいは観音像なのかも知れない。日本に帰ったら、調べてみよう。
別のフロアーでは、手のひらをこちらに向けて、足を一歩後ろに引いている仏像を見つけた。これは一体どのような仏像なのだろうか。日本では、たとえば湖北の十一面観音などは、衆生を救おうと今一歩歩みでんとする姿が描かれている。それと比べると、この仏像は「ちょっと待った!」とまるで一歩引いているように見える。説明がほとんど書かれていないので、いったい何を描いているのか、検討がつかない。さらに、乳首が異様に立っている仏像もあった。奈良の興福寺の金剛力士像などは、乳輪が異様にでかくて 、セックスの時萎えるなこれ、などと思ったものだけど、それでもさすがに乳首は立っていなかった。どうして仏像の乳首を立たせる必要があったのだろう。知りたい。そして、この仏像は美しい。
*日本に帰国後、インターネットで調べてみたところ、以下のようなサイトがありました。
■タイの仏像(タイ語で書かれているので、読めません)
■東南アジアの仏像(日本語)
たとえば、ぼくが釈迦如来かどうかわからなかった仏像は、このページの上段に掲載されている形の仏像で、一歩引いている形の仏像は、同じページの真ん中より下ぐらいにあります。それらの仏像が一体どのような系統に属するのかは、まだ調べていないので分かりません。
帰り際に、中央の建物に入ると、ガネーシャ特集をやっていた。フロアー全体がガネーシャで埋め尽くされている。そう言えば、さっき通った仏教通りには、仏教だけでなくてシヴァやガネーシャ、ヴィシュヌ神に関する書物やポスターもたくさん売っていた。一時間近くうろうろする。
閉館ぎりぎりまで博物館を逍遥し、その後カオサンに戻る。マッサージを一時間程してもらい、荷物を受け取り、ファランポーン駅まで歩く。昨日歩いた道なので、道順は覚えている。今日は、結局一度もトゥクトゥクに乗らなかった。歩くと、いろいろなことを考えることができる。明日からも、出来るだけ歩くことにしよう。
チャイナタウンで夕食をとり、八時にファランポーン駅に到着。駅の掲示を見ると、電車の遅れはないようだ。売店で水とお菓子を買い、電車を待つ。八時半に構内に入り、電車を見つけて乗り込む。
八時四十五分、定刻通り電車が出発する。出発するとすぐに車掌が寝台を組み立てに来る。ぼくは上の台なので、寝台になると外が見れなくなる。仕方がないので『日本的霊性』と『姑獲鳥の夏』の続きを読む。『日本的霊性』は、思ったよりも過激で、「万葉集」などの平安文化の日本的宗教性を完全に否定している。「万葉集」を、「ただのなげきでしかない」「淳朴」だと断言する。さらに「思想において、情熱において、意気において、宗教的あこがれ・霊性的おののきにおいて、学ぶべきものは何もない」と身も蓋もない。なんだか心臓に悪い。『姑獲鳥の夏』に切り替える。昨日、三分の一程度まで読んだ。物語の中で、京極堂の語る存在や記憶、時間、そして幽霊に関する説は、真新しさはないもののとても面白い。そんな彼が量子力学について語る場面がある。
「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」
ぼくは、このセリフが気になって仕方がない。もちろん、この一文でもって量子力学を理解したとは思っていないし、理解できるわけもない。そもそも、この一文は京極堂が物語の語り手である関口に、ある事実を示唆するために極論的に言った台詞なので、どこまで真実なのか分からない。けれども、どうも気になる。

昨日あまり眠っていないせいか、やたらと眠い。明日はいよいよラオス入国。ようやく本当の旅行が始まる。今日はもう眠ろう。