
02年04月21日(日)
古本屋で田山花袋「東京の三十年」を購入。岩波文庫、初版本で1000円。
花袋さんは、ぼく個人的な所感としては、あの怒濤の明治文壇史の中で、どうにもぱっとしない作品を書き続けたなかなか貴重な無個性人(好きな人がいたら申し訳ないです)という印象しかなくて、この「東京の三十年」も文体は相変わらずいやらしくて面白みがありませんが、当時の東京と文壇の様子が詳しく描かれていて、内容はなかなか面白かったです。
読みやすい文章も手伝って、どんどんと読み進むし。
時は明治十四五年からの三十年間、所は東京、十一歳の花袋少年の過ごした幼年時代から始まる東京の三十年の様子が、彼の身辺を中心に語られています。
凄いですよ、明治文人総出演。この時代の人々が、西洋の書物を如何に求めて、日本の文学を如何に愛していたかがひしひしと伝わってきます。
日本が、世界が、未曾有の大混乱に陥っているさなか、如何に彼らが文学の事を追及しようとしていたか。
そして、如何に彼らが喧嘩ばかりしていたか。
しかし、この花袋のおじさん、女性への欲望で煩悶する描写が、妙にいやらしいのです。
別におっぱいがどうのとか股間がどうのとかちんちんがどうとか書いてあるわけではないのですが、なんかね、心の中で考えるいやらしさというか。
一生懸命スケベを隠そうとしているスケベな人っているじゃないですか。ばればれなのに。
その娘は後に琴を習いに番町まで行った。私は度々その後をつけた。納戸町の通を浄瑠璃坂の方へ、それから堀端へ出て、市谷見付を入って、三番町のある琴の師匠の家へと娘は入っていった。私は往きにあとをつけて、帰りに又その姿を見たいために、今はなくなったが、市谷の見付内の土手の涼しい木の陰に詩集などを手にしながら、その帰るのを待った。水色の蝙蝠傘、それを見ると、私はすぐそこからかけ下りて行った。白茶の繻子の帯、その帯の間から見ると白い柔らかな肘、若いころの情痴のさまが思いやらるるではないか。
で、結論と致しましては、ぼくは花袋君に関しては、いまいちというかほとんど好きにはなれませんが、明治文学にはとても強い興味を持っている、ということです。
「ラブということはもう私たちはおしまいですね。春も過ぎましたね。」
島崎藤村君が言いました。
花袋さんは、ぼく個人的な所感としては、あの怒濤の明治文壇史の中で、どうにもぱっとしない作品を書き続けたなかなか貴重な無個性人(好きな人がいたら申し訳ないです)という印象しかなくて、この「東京の三十年」も文体は相変わらずいやらしくて面白みがありませんが、当時の東京と文壇の様子が詳しく描かれていて、内容はなかなか面白かったです。
読みやすい文章も手伝って、どんどんと読み進むし。
時は明治十四五年からの三十年間、所は東京、十一歳の花袋少年の過ごした幼年時代から始まる東京の三十年の様子が、彼の身辺を中心に語られています。
凄いですよ、明治文人総出演。この時代の人々が、西洋の書物を如何に求めて、日本の文学を如何に愛していたかがひしひしと伝わってきます。
日本が、世界が、未曾有の大混乱に陥っているさなか、如何に彼らが文学の事を追及しようとしていたか。
そして、如何に彼らが喧嘩ばかりしていたか。
しかし、この花袋のおじさん、女性への欲望で煩悶する描写が、妙にいやらしいのです。
別におっぱいがどうのとか股間がどうのとかちんちんがどうとか書いてあるわけではないのですが、なんかね、心の中で考えるいやらしさというか。
一生懸命スケベを隠そうとしているスケベな人っているじゃないですか。ばればれなのに。
その娘は後に琴を習いに番町まで行った。私は度々その後をつけた。納戸町の通を浄瑠璃坂の方へ、それから堀端へ出て、市谷見付を入って、三番町のある琴の師匠の家へと娘は入っていった。私は往きにあとをつけて、帰りに又その姿を見たいために、今はなくなったが、市谷の見付内の土手の涼しい木の陰に詩集などを手にしながら、その帰るのを待った。水色の蝙蝠傘、それを見ると、私はすぐそこからかけ下りて行った。白茶の繻子の帯、その帯の間から見ると白い柔らかな肘、若いころの情痴のさまが思いやらるるではないか。
で、結論と致しましては、ぼくは花袋君に関しては、いまいちというかほとんど好きにはなれませんが、明治文学にはとても強い興味を持っている、ということです。
「ラブということはもう私たちはおしまいですね。春も過ぎましたね。」
島崎藤村君が言いました。
02年04月20日(土)
ふとテレビをつけたら、いきなり役所広司が「鬼平犯科帳」を読みながら料理を作っていました。
「うまいが一番〜池波正太郎の食世界〜」
おいおいなんですかこの番組は。
いつの間にこんなものが始まっていたのですか。
勘弁していただきたい。
そういうわけで、これからは必観です。
ちなみに今週は、「独活」でしたが、あまりうまそうにはみえませんでした。
友人に聞いたところ、相当昔から放映されているとのこと。迂闊でした。
「うまいが一番〜池波正太郎の食世界〜」
おいおいなんですかこの番組は。
いつの間にこんなものが始まっていたのですか。
勘弁していただきたい。
そういうわけで、これからは必観です。
ちなみに今週は、「独活」でしたが、あまりうまそうにはみえませんでした。
友人に聞いたところ、相当昔から放映されているとのこと。迂闊でした。
02年04月19日(金)
ウィル・セルフは、僕の中でかなり大きな存在なので、もう少し説明をしてしまうと
1961年ロンドン生まれ、大学教授の父と、ユダヤ系アメリカ人の母のもと、ドストエフスキーやらスタンダールやらカフカに囲まれた、「極度に文学的」で「究極に自由放任主義」の家庭環境に育ち、12才でマリファナ、17才でヘロインを覚えて、ありとあらゆる麻薬に溺れる。
オクスフォード大学エクスターカレッジ哲学専攻に入学後、パンクバンドを結成。
麻薬に溺れた大学生活を終了した後は、ヨーロッパやアジアを放浪、漫画家としてデビュー。
慢性アルコール中毒、麻薬中毒を克服後、「The Quantity Theory of Insanity」で小説家としてデビュー。
なんかね、こうやって書くと村上龍みたいになってしまって嫌なのですけど。
いえ、村上龍が嫌いというわけではありませんが。
「イギリス新鋭作家短編選」に掲載されているウィル・セルフの写真を見ると、とてもスマートでおしゃれな若者なのですが、数年前にNHKで放映したBBCのニーチェの特集に出演していたウィル・セルフは、はげ上がっていてただのおやじでした。
それから、僕はBomb The Bassのファンなのですが、ある日CDのクレジットを何気なく読んでいたら、ある曲のVoiceとしてウィル・セルフが参加していました。低めの、とても渋い声で素敵でした。
もう一つだけ追加すると、OnpeeChangのセカンドアルバムのジャケットは、実はウィル・セルフの「 Tough, Tough Toys for Tough, Tough Boys 」のパクり、ではなくてサンプリングでして、イギリス文学好きとかが一人ぐらい「やるじゃん」とか言ってくれるのではないかと思っていたのですが、誰も気付いてくれませんでした。
1961年ロンドン生まれ、大学教授の父と、ユダヤ系アメリカ人の母のもと、ドストエフスキーやらスタンダールやらカフカに囲まれた、「極度に文学的」で「究極に自由放任主義」の家庭環境に育ち、12才でマリファナ、17才でヘロインを覚えて、ありとあらゆる麻薬に溺れる。
オクスフォード大学エクスターカレッジ哲学専攻に入学後、パンクバンドを結成。
麻薬に溺れた大学生活を終了した後は、ヨーロッパやアジアを放浪、漫画家としてデビュー。
慢性アルコール中毒、麻薬中毒を克服後、「The Quantity Theory of Insanity」で小説家としてデビュー。
なんかね、こうやって書くと村上龍みたいになってしまって嫌なのですけど。
いえ、村上龍が嫌いというわけではありませんが。
「イギリス新鋭作家短編選」に掲載されているウィル・セルフの写真を見ると、とてもスマートでおしゃれな若者なのですが、数年前にNHKで放映したBBCのニーチェの特集に出演していたウィル・セルフは、はげ上がっていてただのおやじでした。
それから、僕はBomb The Bassのファンなのですが、ある日CDのクレジットを何気なく読んでいたら、ある曲のVoiceとしてウィル・セルフが参加していました。低めの、とても渋い声で素敵でした。
もう一つだけ追加すると、OnpeeChangのセカンドアルバムのジャケットは、実はウィル・セルフの「 Tough, Tough Toys for Tough, Tough Boys 」のパクり、ではなくてサンプリングでして、イギリス文学好きとかが一人ぐらい「やるじゃん」とか言ってくれるのではないかと思っていたのですが、誰も気付いてくれませんでした。