ふと気がつくと、季節はすっかり秋、ひとりで街を歩いていると、吹く風も孤独に感じます。晩秋というやつですね。そういえば、誰かの小説で、『晩秋』という作品があったけど、あれは誰の作品だったかしら。シュティフター?彼が書いたのは『晩夏』だ。堀辰雄・・・も『晩夏』という短篇は書いているけれど、『晩秋』は書いていない。だれだっけ。北園克衛の詩のタイトルだったかな。うーん、なんだっけ。忘れた。などということを考えながら、そっと散歩をしました。
そして家に帰って北園克衛の詩集を読み返したら、『晩秋』という作品はありませんでしたが、彼の詩はやはりとんでもなくかっこよかった。北園さんの一番好きな詩は前に引用しているので、今度はヴェルレーヌを大好きな詩を引用してみましょう。
鈍い角度の天上から
月光の鉛の色が降っていた。
とんがり屋根のてっぺんから
もくもくと黒いけむりが切れ切れに
5の字の形に立っていた。
空は灰色に曇ってた。北風が
チェロの音色で泣いていた。
遠いところで寒がりの内気な牝猫が
泣いていた、妙にひ弱な声立てて。
僕はと言えば、歩いてた。
ガス灯の青い炎のまばたきが見おろす下を
大プラトンを、フィディアスを、
サラミナを、マラソンを夢想しながら。ヴェルレーヌ『パリ・スケッチ』
自転車で走っているときに見える風景と、散歩をしているときに見える風景って、どうしてあんなにも異なるのだろう。
「Segwayでアメリカ大陸横断」という記事を読みました。写真などをみるとわくわくします。オフィシャルサイトでルートをみると、ワシントン-アイダホ-ワイオミング-コロラド-カンザス-ミズーリ-イリノイ-インディアナ-ミシガン-オハイオ-ペンシルバニア-ニューヨーク-ワシントンと北部を横断してます。一日の平均走行距離60マイル(約97km)で三ヶ月ですって。一日200km走っても一月以上かかるのかー。ちゃりで横断するにしても、やはり二ヶ月以上は考えておいた方がよさそうですね。くっそー、行きてーなアメリカ。っていうかアメリカちゃりで走りてー。夢ばかり広がるモラトリアーム。
そういえば、先月号のEsquireの特集は『ディープ・サウス』でした。非常によろしい特集でしたね。William Egglestonの写真がめちゃかっこよかった。このWilliam Wgglestonさんは、『Faulkner's Mississippi』というウィリアム・フォークナーの作品の世界を撮った写真集を出しているのですけれど、すっげー欲しい。
先日購入したRex Pickettの『Sideways』という小説(表紙がちょーかっこいい)は、売れない作家と結婚間近かの俳優のふたりによる、ワイン・テイスティングの十日間の旅を描いたロードノベルです。これはロスからカルフォルニアへの自動車での旅なので、距離的には短いのですが、このロードノベルを読んでアメリカ走破の欲望を抑えましょう。ちなみにこの小説、映画『アバウト・シュミット』の監督アレクサンダー・ペインが映画化しているみたい。
もしぼくがアメリカを横断するとしたら、間違いなく南部をルートに選びます。そして旅行を始めて三日で身ぐるみをはがされるのです。それが夢です。
自転車に乗り始めて数ヵ月、はまっているのはサイクリングだけではありません。同時に知ったのがロードレースの素晴らしさです。こんなにも面白い世界があったとは、人生まだまだ知らないことがたくさんあるものです。中古のロードレースのビデオを買いまくって観まくっているのですが、数百人の選手が一斉に壮大な景色の中を自転車で走っている姿を観ていると、自然とよだれが垂れて意識が遠のきます。何時間観ていても飽きません。あの素晴らしさは、実際に観てもらう他に説明する術がありません。
それで、世界最大のロードレースと言えば、やはりツール・ド・フランスということになりますが、先日、そのツール・ド・フランスの百年の歴史を書いた『丸ごと100年ツール・ド・フランス』と『ツール100話』という本を読みました。前者はツールの100年を包括的に、後者は、戦争でレースが中断した1940年から1946年をのぞいた全89レースについてのエピソードが書かれているのですが、これが最高におもしろい。たとえば、
- 第一回の優勝者であるモーリス・ガラン、第二回のレースでは、途中で疲れて列車に乗り、出場停止。
- 初期のツールで活躍した名選手ウジェーニュ・クリストフは、走行中に泥まみれになり「アザラシ」と呼ばれ、髭を剃ったら「カバ」と呼ばれ、さらに威厳がなくなったとして「クリクリ」と呼ばれる。
- 第四回大会の優勝者であるルネ・ポッティエ、レースの途中でカフェによりワインを一杯注文、飲み終えた後にレースに戻り、ステージ優勝。その半年後、普段は自分の自転車を吊下げておくフックにロープをかけて首つり自殺。
- 第七回大会の優勝者であるフランソワ・ファベール、ツールの期間中にカツレツを168枚食べる。二年後のツールでは、義弟と16人前のカキを食べて、食中毒になり、レースをリタイア。
- 第十七回大会優勝者であるアンリ・ペリシエ、翌年の大会ではレースをボイコット。理由は、暑くてシャツを脱いだら審判に怒られたから。ボイコット中は、カフェでコーヒー。
- 第十九回から二年連続で優勝したオッタヴィオ・ボッテッキアは、その二年後に道端で頭に重傷を負って倒れているところを発見される。数十年後に、ある農夫が死に際して懺悔をする。曰く、ボッテッキアが自分の畑でブドウを食べていたので、石を投げつけて殺したとのこと。
- 第三十八回大会、マイヨ・ジョーヌを着たヴィム・ファン・エストは、オービスク峠でコースを曲がりきれずにそのまま崖から転落。そのまま700メートルの崖下に転落したと思われたが、幸運にも岩のでっぱりに着地し、助かる。驚いて崖の上からのぞきこんだチームメイト曰く、「おまえはまるで崖の途中に咲いたキンポウゲの花みたいだったぜ」。
などなど。
来年は、日本のテレビで観ることのできるロードレースはすべて観てやろうと、今から意気込んでいるわけであります。
映画監督の矢崎さんの誕生日をお祝いをするために、山梨にある矢崎さんの実家へお泊まりに行きました。せっかくの遠出です、自転車で行かないわけにはいきません。
朝の六時に、自宅を出発して、目的地までは、片道160キロ。ひたすらに甲州街道を走ります。車も人もほとんど通らない大垂水峠をひいひい言いながら上って、相模湖で戌井さんと合流です。
下の写真は戌井さんのピスト車です。とてもかっこいい。固定ギアで長距離ツーリング、一緒に走るぼくの方まで気合いが入ります。
天気がとても良くて、走る道々がとても気持ちよい。いくら進んでもひたすらに昇り坂なのが少々気にはなりますが、紅葉を楽しみながら走り続けます。途中で朝食をとろうと思ったのですが、早朝ということもあってか、10km以上走ってもお食事処がありません。仕方がないので、唯一開いていた、というか開ける準備をしていたホウトウ屋さんで無理矢理にホウトウをいただきました。間違えてカレーほうとうなどというジャンクなものを注文してしまい、戌井さんに「旅情もくそもあったもんじゃありませんよ」と叱責されました。
大月を越えて、さらにひたすら西進します。途中、戌井さんをみると、髪の毛から体まで、シャワーを浴びたみたいにびしょびしょに濡れています。「いつのまにシャワーを浴びたのですか」と聞くと、「汗です、ばか野郎」とのこと。この人、脱水症状で死ぬのではないかしらと思いつつ、昼すぎぐらいに笹子に到着、いよいよ本日最大の難関、笹子峠を昇ります。
最初は峠を避けてトンネルを通ると言っていた戌井さんも、土地の雰囲気の良さにひかれたのか、峠をのぼることにしました。とはいえ、標高1000mを越える峠をピストでのぼるのは相当に大変なことです。ある意味、苦行です。心の中では、こいつきちがいじゃねえのとか思っていましたが、口には出しませんでした。
峠をおりたところで待ち合わせることにして、お互いのペースで峠をのぼります。人はほとんどいません。紅葉に彩られた山の細道を、ただただのぼり続けます。無心にペダルを回します。ああ、本当に楽しい。坂をのぼることがこんなに楽しいなんて、ぜんぜん知らなかった。このままいつまでものぼり続けたい。
しばらくすると、トンネルが現れました。旧笹子トンネルです。じつはぼく、トンネル恐怖症でありまして、トンネルに入ると、意識が遠のいてふらふらしてしまうのです。今では通る人の少ないこの笹子のトンネルには、電灯がついていないので、中は真っ暗です。電灯のあるトンネルでも意識を失いそうになるのに、そんなところに入っていって大丈夫かしら。戌井さんを待とうかとも思ったのですが、彼はピストですから、今ごろ峠の中腹でぶったおれているに違いありません。下手すると死んでいるかもしれません。そんな人のことを待っていても仕方がないので、とりあえずトンネルの中へ進みます。
けど、やっぱりやめておけばよかった。トンネルの中は、自転車のライトの光さえも飲み込んでしまうような暗闇で、足元すら見えません。がたがたとダートな感触に転ばないように、遠のきそうになる意識をどうにか保ちながら、数百メートルのトンネルを走ります。実際にはもっと短いのかもしれないけれど、とても長く感じました。
ようやくトンネルを抜けて、今度は下りです。のぼりは暑くて上着を脱ぎましたが、くだりは寒過ぎて手袋をはめました。死ぬほど楽しい。大声でサントワマミーを歌いながらくだり坂をかっ飛ばします。
そんなこんなで峠を越え、戌井さんと合流。ここから先はのぼりも少なく、緩やかな道のりになります。勝沼あたりでワインでも飲みましょうなどと言っていたのですが、ワインを飲めるところがまったくありませんでした。それでしかたなく中途半端な温泉に入って汗を流して、中途半端な定食屋さんでごはんを食べて、笛吹川に沿って南進、夕方五時すぎに矢崎さん宅に到着しました。
矢崎さんの家では、食い切れないほどの馬刺をごちそうになり、奥さんの手作り料理までごちそうになってしまい、お誕生日のお祝いにきたはずが、すっかりもてなされてしまいました。お酒を飲んでたらふく食べて、一日の疲れを癒すべくぐっすりと眠り、我が家以上に寛いでおやすみなさい。矢崎さん、お誕生日おめでとうございます。これからも鉄割共々よろしくお願いします。