八ケ岳の天狗岳に登りました。初の雪山登山です。
あまりにも天気と場所が素晴らしすぎて、死ぬにはとても良い日だと思いましたが、死ぬにはまだまだまだ早過ぎるので、また今日のような死ぬのにとても良い日が来るまで、死ぬのはやめておこうと思いました。
人間は、先にもいったように、天地の心のなんらの障礙なくて自然に循環し、自然に運転してゆくのに対して、反省と意識というものを起こしてきた。神ながらの動きをちょっと停めたとでも言うか、そういうものを人間がこしらえたのであるから、人間は一種の謀叛児である。この謀叛気は動物にない、もちろん物質界にもない。謀叛は「我」の意識から出るのである。この「我」の意識というのは人間だけにあるのであって、そうしてこれが矛盾の世界、悩みの世界なのであるから、人間である限り、これをなくするという訳にはゆかないのである。なくすれば人間はなくなるということになる。人間が天地のほかに出るということになり、いわゆる無、無存在になるというのだから、それは一種の夢だにも見ることのできない世界なのである。
それで人間はこのままの世界を肯定する、すなわち「我」を立てるが、その肯定、その「我」の真正中から、いわゆる無我無心の世界にはいらなければならぬのである。
(鈴木大拙著『無心ということ』から「第五講 無心の生活—矛盾のままの無心」の一部を引用)
「山中無暦日」という言葉を初めて聞いたときに、漠然と想像したのは、人間がどれだけ穢土に世界を作り上げようとも、瑣末な注意を意味あり気に述べ立てて哲学を生み出そうとも、時間を規定してありもしない記憶に意味を付与しようとも、それらを語る人間のいない山中は、そのままの状態でただあるがまま、世界も哲学も時間もそこには存在しない、つまり今こうしてぼくがパソコンの前でキーボードを叩いていても、それとは全く関係せずに「山の中」は在るわけで、そこに人はいないのに、物は動くし音も鳴っている、年月などという区切りはなくとも、山の中はただあるがままに在る、とそのようなことなのかしらと勝手に思い込んでいたのですが、いざその言葉の語源を調べてみると
偶々松樹の下に来たり
枕を高くして石頭に眠る
山中暦日無し
寒尽くるも年を知らず
つまり、たまたま山の中を歩いていて松の木の下に来た人が、こりゃいい気持ちと石を枕にして眠り、山の中には暦もくそもありはしねえ、冬が終わって暖かくなっても、今がいつなのかなんてわかりゃしない、ということのようです。たとえ暦日が無い山中であっても、それを語る人間という存在がそこに入った時点で暦日が誕生してしまうわけで、ましてや「山の中では暦日は関係ないね」などとほざく輩がいるような山の中はそれだけで魅力半減、確かこれはこれでとても良い詩なのでしょうが、最初にこの言葉を聞いて想像した山中と、実際の詩で語られる山中のイメージがあまりにも乖離していて、がっかりしました。
このようなことを、興醒めと言います。
本日は鉄割アルバトロスケットの公演本番の日なので、メンバーのほとんどは家にいません。そこで内倉君のベッドに彼の愛馬の首を仕込んでドッキリさせてやろうと東松原へ赴いたのですが、マッポがたくさんいたので計画を中止しました。
夜、公演の打ち上げに参加しました。メンバーのひとりの素敵な恋人の方から、あなたはスナフキンに似ていますねと言われて嬉しくて飛び跳ねていたところ、それを横目でみていた中島君の弟さんから、奥村君があんたのことをちびしゃくれと言っていましたよとか、あんたは今年になっていったいどのように成長したのかとか、あんたを攻撃するのはやめた、もう大人だから、あんたはガキだけどとか、戌井が外人に夢中で相手をしてくれないどうしてくれるとか、おまえ今年に入って背伸びた?とか、おまえ死ねばとかさんざんひどいことを言われました。下手に言い返すと、彼の生命を奪ってしまいそうなので、沈黙を守りました。そこで奸計を練って、のみしろを払わないで逃げてきました。帰宅してから、最近の自分は金に汚くてよくないと反省をしました。このままでは、心まで貧乏になってしまいます。