

自宅から益子までサイクリング。高校生の頃に通っていた通学路を走ったのですが、昔は気づかなかった道祖神やら神社やらがたくさんあって、すごく楽しかった。神社の説明書きを読むと、建造されたのは700年代。そんな昔にここに人がいたのか。びっくり。益子の山の上にある西明寺にも行ってみました。夕方だったこともあって、人影はなく、とても静かな境内。坂道を登ってきたので汗だくではありましたが、とても気持ちが良かった。もしぼくがこの土地で青春を送っていなかったら、もっと素直にここを好きになれたのだけど。残念です。閻魔堂をのぞいてみると、閻魔さんが笑っています。何十年後かにお会いするとは思いますが、その折にはおてやわらかにお願いします。

お盆の帰省です。ロングライドの練習がてら、実家までちゃりで帰ってみました。
昼の十二時に自宅を出て、和光を経由して荒川を越え、17号線を下って東大宮まで行き、125号線にぶつかるまで北進北進、日光街道に出て利根川を越えました。少しずつ空気が変ってきます。
思ったよりもつまらない日光街道をひたすらに下って、途中の蕎麦屋でひとやすみ。店にあったさいとうたかをの『鬼平犯科帳
』を読んでいたらあっという間に一時間が過ぎてしまいました。やばいやばい、急がないと日が暮れてしまいます。再び日光街道を走りますが、やっぱり面白くないので小山の手前で右折して、裏道に入りました。とりあえず、北に進めば方向は間違っていないはずなので、適当な角を曲がって田舎道へ。
以前、ラオスに行ったとき、夕方に川で大声で歌をうたいながら体を洗っている少年を見ました。その情景がとてもかわいらしくて、ああ日本でも少し前までは川で体を洗うような子供がたくさんいたのだろうなあなどと思ったのですが、そんなことを思い出しながら田んぼに囲まれた畔道を走っていると、なんと川で体を洗っているおやじがいるではありませんか。思わず目を疑いましたが、間違いなく体を洗っているおやじです。歌はうたっていませんでしたけれど、その後ろ姿、あまりにも素敵で写真を撮りたかったのですが、見付かったら間違いなく殺されて食われるだろうし、なによりもあたりが薄暗くて携帯のカメラではおやじが写りませんでした。はあ、日本という国もまだまだ捨てたものではありませんね。
結局、九時間かけてようやく実家に到着。我が家の番犬レイは、お手もまともにできないようなおばかちん犬ですが、半年に一度しか帰省しないぼくの顔をちゃんと覚えていて、しっぽをふりながら泣きそうな声で迎えてくれます。ムーミンパペットアニメーションで、ヘムレンさんが「だれかが待ってくれている家に帰るのは楽しいものだ」と言っていますけれど、まことにしかり、だれかが待ってくれている家に帰るのは、本当に楽しいものです。
今月号の文學界の特集は『村上春樹ロングインタビュー「レイモンド・カーヴァー全集」を翻訳して』。村上春樹氏がレイモンド・カーヴァー
の全集の翻訳に着手して十四年、とうとうたったひとりで、カーヴァーのほぼすべての作品を翻訳してしまいました。年内、は無理だと思うけれど、来年中ぐらいにはこの全集を読破したい。
それにしても十四年。その間に村上春樹氏は、カーヴァーと出会い、彼の死に直面しました。氏とカーヴァーの関係は単なる作家と翻訳家以上のもので、ぼくたちはカーヴァーを読むと同時に、常にその背後にいる村上春樹を読んでいます。そういう意味でこの全集はふたりの共著と言っても良いのかもしれません。
僕はいま五十五歳だから、カーヴァーの最晩年でも、五つ年下なわけですね。こちらが年下だった時代の読み方と、年上になってからの読み方が微妙に違ってきます。昔はただ見事だなと感心していた作品も、今読むと「そうか、カーヴァーも精一杯がんばっていたんだ」と、心をふと打たれてしまうところがあります。昔にはわからなかった心の動きの瑞々しさが、今なら見えてくるというところもあります。そういう意味では彼の場合、完成された作品でも、決して閉じてはいないんですね。だから若々しさが、そのままのかたちで残されている。同じように個人的に愛好する作家でも、たとえばフィッツジェラルドなんかだと、ある意味では最初から固定されてしまった存在なんですね。ずっと昔の、歴史上の人だし。でもカーヴァーの場合は、僕の目の前で実際に動いてた人だから、余計にそういう時間差の感覚みたいなのが強くなるのかなあ「村上春樹、レイモンド・カーヴァーについて語る」より
THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER
〈1〉頼むから静かにしてくれ
〈2〉愛について語るときに我々の語ること
〈3〉大聖堂
〈4〉ファイアズ(炎)
〈5〉水と水とが出会うところ/ウルトラマリン
〈6〉象・滝への新しい小径
〈7〉英雄を謳うまい
〈8〉必要になったら電話をかけて