

雨上がりの朝。空気が気持ちいい。
学生の頃は良く読んでいた村上龍の小説ですが、ふと気付けばもう何年も新作を読んでいません。それ以前の作品の中で特に好きだったのは、『69』と『昭和歌謡大全集
』の二作なのですが、その両作品とも映画化が決定していたのですね。全然知りませんでした。特に『昭和歌謡大全集』はもうすぐ公開とのこと、ちょっとだけ観てみたい。確か最後、核兵器かなんかで町を吹っ飛ばすんじゃありませんでしたっけ?
カール・セーガン著『人はなぜエセ科学に騙されるのか』の上巻読了、めちゃくちゃおもしろい。簡単に言えば、『TRICK』の上田教授の『どんとこい超常現象』みたいなもので、巷間に流布するいわゆる「宇宙人による誘拐、交霊術、テレパシー、超能力」などの似非科学を、さまざま実例を挙げて徹底的に検証します。似非科学は厳密に検証されることを好みませんから、これはたまったものではありませんよ。どうする似非科学。どうする超常現象。
セーガン氏が書の中でなんども強調するのは、人間がいかに間違いやすい生き物であるか、根拠も証拠もないでたらめを、実証も論証も検証もせずに信じ込み、歴史的にどれだけの過ちを犯してきたかということで、あらゆる似非科学はほとんどが人々の勘違いであるか、あるいはそれによって利益を得ることのできる一部の人々の謀略によって生み出されたものであると言います。ここまで言っていいのかしらと思うような過激な意見も多々あり、読んでいて気持ち良いやらはらはらするやら。
セーガン氏の主張のすべてを無条件に肯定するつもりはありませんが、それでも強く共感します。人が何か(宇宙人による誘拐、心霊現象、UMA、超能力、etc)を信じるのに、根拠なんて必要ありません。必要なのは、それを信じたいか信じたくないかという「気持ち」だけです(それは時には「霊感」などという便利な言葉で表現されます)。科学は反証されることによって展開し、超常現象と呼ばれる似非科学は反証されないことによって持続します。下巻を読むのがとても楽しみ。

さて、今月も月末となりまして、例のごとく金欠です。お給料日まで少し節約の生活を心がけましょうと思いながらも、古本屋さんで高坂正顕著『西田幾多郎と和辻哲郎(絶版)』を購入しました。西田幾多郎、明治3(1870)年生まれ。和辻哲郎、明治22(1889)年生まれ。明治を代表する哲学者(『善の研究』明治44年)と、大正を代表する思想家(『古寺巡礼
』大正8年)の関係を、明治33年(1900)年生まれの高坂正顕が明治と大正という時代を比較しつつ描きます。
高坂氏は和辻氏の個人主義を象徴するものとして、以下の言葉を挙げています(この言葉が自己の信念を持っていないことを意味するのではない、と断ってもいます)。
私は私の信条を持っていない。信仰個条の意味でも、また政治的立場の意味でも、総じて信条なるものを奉じていない。たといそれが絶大な権威によってであるにしても、他から信条を課せられるということは、私は欲しない。
京都学派に対する興味は増すばかり。一緒に、西田幾多郎に関する論文が収録されている同氏の著作集第八巻と、雑誌「太陽」の特集「禅のかたち」も購入。買いに読みが追いつかず。

SWISS WATERは毎日飲むには少々高価なので、少し安めのULIVETOにしてみました。走った後に飲むと、なんでもおいしいのよね。
岩波から出ている『日本近代思想案内』を購入。最初の数章を読む、面白い。明治の初頭、西洋の文化を積極的に取り込もうとした当時の啓蒙思想家たちが洋書に向かったとき、「個」という概念がなかった彼らの前に現れた「individual」や「individuality」という言葉は、独特の新鮮さと戸惑いを与えたようで、最初は「分タレヌ事」と訳され、西周が「人々」「個々人々」、中村正直が「独自一箇」「各自一己」「人民各箇」、福沢諭吉が「独一個人の気象」と翻訳し、少しずつその概念を明確にしていったそうです。ううむ、これはめちゃ興味があるぞ。
異なる概念と異なる言語を有する他者・他民族同士の間での翻訳という問題については以前から興味があって、それはこの間お亡くなりになったドナルド・デヴィドソンのradical interpretationなんかを勉強したほうが良いのかもしれませんが、とりあえず、あらゆる概念を西洋と異にする開国直後の日本という文化が、西洋の言語と概念をどのように翻訳し、解釈し、咀嚼し、導入してきたのか、それを知りたいと思い、丸山真男・加藤周一共著『
夜、今週の土曜日の武蔵大学の学園祭で簡単な演目を行うというので、稽古場へ。その後、居酒屋へ。戌井さんは『8人の女』を観て眠り、内倉君は『まぼろし』がとてもつまらなかったらしく、本当にこの野郎どもとは趣味が合わないことをあらためて実感、仕方がないのでクンニの話などをしたところ、話が合いまくり、さらにうんこの話をしたところ、大盛りあがりましたので、めでたしめでたし。
帰宅後、『X-MEN』と『X-MEN2』を連続で観賞。ううむ、まさしく猫目小僧だ。このような映画を、現在のアメリカの子どもたちは、どのような気持ちで観ているのだろう。