
03年06月05日(木)
昼、やんごとなき理由で人妻に会う。ぼくと彼女はえろい関係ではないが、彼女自身は相当にえろい女性であり、旦那以外とのセックスに抵抗はないと公言して憚らない。ぼくは自分の恋人が何をしていようと気にしないけれど、ウワキだけは嫌だ。彼女のような女性を妻に持った夫の気持ちは如何様なものなのか、他人事ながら、ちょっと複雑。
お金に余裕が出来たので、池袋の古本屋を巡って本を買う。文庫や新書ばかり買ったので、数十冊で一万円程度。今日買った本のうち、半分はページを開かれることもなく本棚の奥の方に埋もれてしまうだろう。残りの半分は、最初の数ページだけ読んで本棚の奥の方に埋もれてしまうだろう。さらに残りの半分は、途中まで読んで本棚の奥の方に埋もれてしまうだろう。結局、数十冊の本のうち、最後まで読み通すのは一冊か、よくても二冊だけ。その二冊に出会うために、一万円分の古本を買わなくてはいけない。
リブロで登山の本を立ち読み。読んでいるうちに、なぜかうんざりしてきた。良く考えてみたら、ぼくは山を登りたいわけではない。山を歩きたいのだ。登山をしたいわけではない。トレッキングをしたいのだ。そっか、トレッキングだ。いやいや、でも「登山」と呼ばれるものにも興味があるぞ。なんだか自分でも分からなくなってきた。どこまでがトレッキングでどこからが登山?
夜、パトリス・ルコント監督『フェリックスとローラ』を観る。名作ではないかもしれないけれど、とても良い映画だった。シャルロット・ゲンズブールのたるい口元が最高。遊園地で働きたくなった。ぼくは『恋人までの距離』とか、『オネーギン』とか、『大いなる遺産』とか、この間観たばかりの『愛のエチュード』とか、いわゆる「一目ぼれ映画」に弱い。とりあえず一目ぼれしてりゃオッケーみたいな。
お金に余裕が出来たので、池袋の古本屋を巡って本を買う。文庫や新書ばかり買ったので、数十冊で一万円程度。今日買った本のうち、半分はページを開かれることもなく本棚の奥の方に埋もれてしまうだろう。残りの半分は、最初の数ページだけ読んで本棚の奥の方に埋もれてしまうだろう。さらに残りの半分は、途中まで読んで本棚の奥の方に埋もれてしまうだろう。結局、数十冊の本のうち、最後まで読み通すのは一冊か、よくても二冊だけ。その二冊に出会うために、一万円分の古本を買わなくてはいけない。
リブロで登山の本を立ち読み。読んでいるうちに、なぜかうんざりしてきた。良く考えてみたら、ぼくは山を登りたいわけではない。山を歩きたいのだ。登山をしたいわけではない。トレッキングをしたいのだ。そっか、トレッキングだ。いやいや、でも「登山」と呼ばれるものにも興味があるぞ。なんだか自分でも分からなくなってきた。どこまでがトレッキングでどこからが登山?
夜、パトリス・ルコント監督『フェリックスとローラ』を観る。名作ではないかもしれないけれど、とても良い映画だった。シャルロット・ゲンズブールのたるい口元が最高。遊園地で働きたくなった。ぼくは『恋人までの距離』とか、『オネーギン』とか、『大いなる遺産』とか、この間観たばかりの『愛のエチュード』とか、いわゆる「一目ぼれ映画」に弱い。とりあえず一目ぼれしてりゃオッケーみたいな。
03年06月04日(水)
朝起きたら腕に内出血したような痣が出来ている。なんだこれは、ぼく呪われたのか誰かに、と少し恐ろしくなったが、よくよく考えてみると、どうやら昨日の夜、夏山登山に向けて体力をつけるために行った腕立て伏せが原因らしい。たかだか五十回の腕立て伏せで内出血とは、ぼくの身体は既に老化が始まっているのだろうか。やっべー。
買いそびれていた『The Frontier of American Comics - アメリカンコミックス最前線
』を購入。『本とコンピュータ』に掲載された記事と、書き下ろしの記事で構成されていて、ページ数は多くないものの、内容はかなり濃い。オルタナティブ系のアメコミについて知りたくて買ったのだが、小野耕世氏の記事に、思いがけずピーター・ケアリーの名前を発見。まさかここで彼の名前を見るとは思っていなかったのでびっくり。記事の最初にほんの少し登場するだけだが、新作などにも言及していて、ファンとしてはそれだけでも嬉しい。ピーター・ケアリー氏の十一歳の息子であるチャーリーは、『菊次郎の夏』を観て日本文化に興味を持ち、『天才バカボン』の英訳本を持っているらしい。『菊次郎の夏』を観て日本に興味を持つって、なんだかすごいぞ。
夜、知人と会ってちょいとおシャレたところで食事をする。汚い格好の自分が恨めしい。でもおごってもらっちゃった。へへ。
買いそびれていた『The Frontier of American Comics - アメリカンコミックス最前線
夜、知人と会ってちょいとおシャレたところで食事をする。汚い格好の自分が恨めしい。でもおごってもらっちゃった。へへ。
03年06月03日(火)
なんだか食生活が不摂生になっております。養生しなくては。
昼、『ボーリング・フォー・コロンバイン』を観たNさんから電話がきた。かなりの衝撃を受けたらしいNさんは、ぼくが今一番行きたい国がアメリカと中国であることを聞いて、 可笑しそうだった。現在、世界で一番嫌われているであろうアメリカと、(SARSを抜きにしても)世界で一番煙たがられているであろう中国。どちらの国も政治的には好きではないけれど、そのような国だからこそ行ってみたい。どちらかには行くぞ、絶対。今年中に。
夕方、カフェでベトナムコーヒーを飲みながらまったり。ダグラス・クープランド『神は日本を憎んでる』を読む。小説自体は面白かったけれど、書かれている日本像があまりにもガイジン的でがっかり。若者の書き方も陳腐すぎる。今の日本は、この小説で書かれている百倍ぐらい面白いはず。この作品がアメリカでどのように評価されたのかは知らないが、日本人の作家の方がもっと面白いニッポンを書くことができると思う。日本文化がブームの今こそ、日本の若手小説家が傑作を引提げて、アメリカに乗り込むチャンスなのではないかしら。「歴史を日本にどう適用できるかという点から言えば、もう既に終わってるのさ」。
ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』を読み始める。読み終えるには軽く一年はかかりそう。ぼくは今、歩くということ、走るということ、見るということ、読むということ、それらの行為はそれぞれに、異なる思考を形成すると思っている。この本を読むことが、それらの事を考える手助けになるかどうかはわからないけれど、とりあえず、巻頭に掲載されているセルトーの写真がオスギに似ているのが気になる。