03年03月03日(月)

 デカルト曰く、我々は夢に見る幻影を実在のものとして夢に見る。ならば実在としてのこの世界の実体が、夢に見る幻影と異なるものであると、どうして断言できようか。

 荘周曰く、我夢の中で胡蝶となりて百年の空を遊舞す、目覚めて問う、我夢で胡蝶なるか、胡蝶夢で我なるか。

 江戸川乱歩曰く、現実(うつしよ)は夢、夜の夢こそ真実。

 特技というものをほとんど持たないぼくではありますが、唯一自慢できる特技は、「どこでも眠ることができる」ということで、三秒で寝てしまうのび太君にはかないませんが、それでも五分あればどんな所でも眠ることができます。踏まれないという保証があれば、渋谷のスクランブル交差点でも眠る自信があります。

 一年を通して日がな暁を覚えず、仕事の昼休みに寝て、電車の中で寝て、喫茶店で寝て、ベンチで寝て、あらゆる場所で、一日に何度も眠ります。五分しか寝ないこともあれば、一時間以上寝ることもあります。そしてその時間の長短に関わらず、必ず夢を見ます。夢の時間軸と現実のそれは同期していないのか、五分しか寝ていないときでも、二時間ぐらいの夢を見ることがあります。

 そして、五回に一度ぐらいの割合で明晰夢(夢であることを自覚する夢)をみます。夢の中で、これは夢であるとはっきりと気付くのです。

 夢の中でそれが夢だと気付いたら、皆さんはどうするでしょう。ぼくはまず最初に、おっぱいを揉んでやろうと思いました。しかし不思議なことに、いざ揉もうとしても、揉むべきおっぱいが出てこないのです。中島君とか、奥村君とかばかりがうじゃうじゃ出てきて、女性が全く出てこないのです。ぼくの夢の中なのですから、思い通りになっても良さそうなものですが、いくら念じても女性が出てこないのです。やっと出来てきたかと思うと、すげーぶっさいくだったり。一度、遠くを裸の女性が走っていたことがあるのですが、追っかけていったら突然ぼくの目の前に柵が現れて、前に進むことが出来なくなりました。明晰夢を見ても、何も自由にできないのです。

 ぼくが書きたいのはそんなことではなくて、デカルトも荘子も、夢の中で現実と思っていたものが実は夢であった、それならばこの現実が夢であってもおかしくないと説いたということで、彼らにとっては夢もうつつも共に区別のない現実であったのかもしれませんが、その理屈は夢の中でこれは夢だと気付いてしまうぼくには通用しないのです。

 デカルトは、夢と現実の区別をつけることはできないが、いずれの世界もそれを思惟しているのは自分という意識であるという理念から、絶対的に考えるわたし、つまり「我思う、故に我あり」という哲学原理を生み出しました。しかしそれとは逆に、ぼくはこの現実の世界の美しさの実在を信じることはできても、自分自身が世界に生きているという実感を持つことができません。ルソーの言葉を借りて言えば、「この美しい自然の全てが、かりそめにでも、『存在しない』などと考えることは私には到底できない」のです。そしてその美しい世界に生きていながら、生の実感をもつことができないぼくは、時折まるで夢の中をさまよっているような錯覚に陥ることがあるのです。そして、その錯覚はとても気持ち良いのです。

恋人の胡蝶の木の下に立ち、
八月の新月が家の裏手からのぼるとき、
もし神々が微笑んでくれるなら、
きみは他人の見た夢を
夢に見ることができるだろう。
(中国古謡より)
03年03月02日(日)

 今の街に住むようになってはや数年が経ちましたが、出不精の故にいつまで経っても土地に不慣れで、いまだに適当に歩くと訪れたことのない場所にたどりつきます。本日も夕刻過ぎに適当に歩いていたところ、見たことのない小さな商店街に出ました。

 夕日を浴びた商店街は、まるでどこかの片田舎のような様相を呈し、我が家から歩いて三十分であるにも関わらず、それなりの旅情を味わうことができ、目に付いた小さな小料理屋に足を踏み入れたところ、こじんまりとした店内に女性がひとり座り、本を読んでおりました。

 これは失礼とそそくさと店を出て、今の女性はお客なのか店番なのかと気になりはしたものの、それよりも気になったのは彼女がいったいなんの本を読んでいたのかということで、それだけを確かめにもう一度店に戻ろうかと思いましたが、それよりも、心の中で彼女の読んでいた本を空想して楽しむことにしました。

 ぼーとしている女性の姿と、本を読んでいる女性の姿が大好きです。一番好きなのはぼーっとしながら読書をしている女性の姿で、そのような姿をみるとすぐに惚れてしまいます。大好きな『恋人までのディスタンス』という映画の中で、特に好きなのは冒頭の、イーサン・ホークが電車の中で本を読んでいるジュリー・デルピーと出会うシーン。イーサン・ホークはジュリー・デルピーの美しさそのものに魅かれていたけれど、ぼくは「本を読んでいるジュリー・デルピー」の美しさに魅かれました。

 帰り道、珍しくビールを買って歩きながら飲みました。夕と夜の狭間、ビールを片手に、先程の女性が読んでいた本のタイトルを想像しながら。

03年03月01日(土)

 ここのところ毎日チェックしている唯一のサイトToday in Literatureが面白いので、いろいろと引用をしたいと思っているのですが、11日分までのアーカイブしか参照できないのです。2月10日の記事もとても面白かったのですが、三国志にうつつを抜かしている間に、やはり参照できなくなってしまいました。エドワード・リアさんに関する記事だったのですが。

え

 1846年の2月10日、エドワード・リアのノンセンス本が出版されました。この本は、後に続く四冊の「ノンセンスの絵本」の最初の一冊であり、この本によって彼はルイス・キャロルやヒラリー・ベロックなど、イギリスナンセンス小説の黄金の半世紀における先駆となりました。

え

 リアは、もともとは動物の絵を描く独学の優れた画家でした。二十代で、ダービー伯爵の動物園の鳥の絵を書くことを依頼され、邸宅に住み込みで仕事に従事しました。その四年間の滞在の間、リアはノンセンスな五行詩に挿し絵をそえて、伯爵の孫を楽しませました。そして同時に、息の詰まるようなビクトリア建築に監禁されているかのような、生活への間断のない不安を募らせ続けました。

え

"Nothing I long for half so much as to giggle heartily and hop on one leg down the great gallery -- but I dare not." --Edward Lear

え

 ルイス・キャロルからジョン・レノンまで、後世のさまざまな芸術家に影響を与えたこのエドワード・リアという方。その名前を知らないひとでも、彼の絵は見た事があるのではないでしょうか。検索の鉄人の関裕司さんが始められた「プロジェクト ノンセンス」では、有志の方々の手により、彼の作品が翻訳され、リア本人の挿し絵と共に公開されています。

え

 1837年にイギリスを去った後、リアは続く五十年間の多くをイタリアやギリシャ、インド、エジプトなどを転々と過ごし、その間に放浪に関する旅行記を七冊出版しました。リアに関して書かれている多くのことは、癲癇や喘息、鬱病、混乱性適応障害に苦しむ孤独なひとりもの(二十番目の子供として生まれ、ほとんど親のいない状態で育てられ、性的虐待をうけ、抑圧された同性愛への欲望に苦しみ、などなど)としての彼に重点が置かれ、叔父のように優しい風変わり者という面にはそれほど言及されていません。

え

 彼の書いた詩の中には、彼自身に関するある種自虐的な作品も収められています。最後の十年に書かれた"How Pleasant to Know Mr Lear,"は、'how unpleasant to be Mr Lear,'(Mr.リアであることのやるせなさ)の裏返しの意味なのかもしれません。

え

. . . When he walks in a waterproof white,
The children run after him so!
Calling out, 'He's come out in his night-
Gown, that crazy old Englishman, oh!'
He weeps by the side of the ocean,
He weeps on the top of the hill;
He purchases pancakes and lotion,
And chocolate shrimps from the mill.
He reads but he cannot speak Spanish,
He cannot abide ginger-beer:
Ere the days of his pilgrimage vanish,
How pleasant to know Mr Lear!

え

 個人的な意見ではありますが、ユーモアに隠された悲哀ほどサムイものはありません。これを読むぼくたちは、この詩の裏側にある悲しさを探ったり、へたな感傷を見つけたりしないで、ただ読んで感じた通りに笑えば良いのです。本当におもしろいですから。

 「ノンセンスの絵本」は、こちらでも読めるし、上にも書きましたが「プロジェクト ノンセンス」では有志による日本語訳(これがまた素敵なの)を読むことも出来ます。

 僭越ながら拙訳をひとつ。

すんごいおひげのおじいさん
いわく
「思ったとおりになりそうろう
二羽のふくろう、一羽のめんどり
四羽のひばりに一羽のすずめ
わしのおひげで巣作りだ!」

すんごいおひげ

There was an Old Man with a beard,
Who said, 'It is just as I feared!
Two Owls and a Hen,
Four Larks and a Wren,
Have all built their nests in my beard!'

 この詩の別の方々の訳はこちらで読むことができます。くどいようですけど、本当に面白いので。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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