
所属するヒップホップグループの本格活動のために、お友達が東京に引っ越してきました。
この一週間というもの、果たして引っ越しはうまく行くのだろうか、ちゃんと生活できるのだろうかと、ぼくのほうがどきどきしておりました。
しかし思った以上に彼と彼女はしっかりしていて、引っ越しも無事に終了、おいしい鍋を頂いておなかがぷにゅぷにゅになり、例のごとく酔っぱらっておならばかりをしておりました。お恥ずかしい。
それにしても、引っ越しの手伝いに来たメンバーのほとんどが鉄割であることを考えると、彼の友人関係の狭さが伺い知れまする。もっと世間に目を向けなくてはいけません。ファイト!内倉!
ところで、引っ越しの手伝いに来ていたはずの勉蔵君は、皆といてもうつむき加減で、ちょっと目を離すと横になっていたり、ぶつぶつとなにかを呟いていたり、帰ったのかと思ったらポン酢を買って戻ってきたり、なんだか情緒がとても不安定な様子ですが、大丈夫でしょうか、彼。もともと気は違っておりましたが、最近、よりいっそうおかしな感じでございます。
それでも、勉蔵君は握力が強いとか、仕事ができるとか、結構もてるとか、部屋がきれいとか、無印良品に詳しいとか、映画を観る眼が確かだとか、パソコンがすごいとか、メガネをとると男前だとか、話題の内容が彼の方に向くと笑顔で話に入ってきていたので、まあ、まだ大丈夫ですかね。いざとなったら彼のノートパソコンを二つ折りにでもすれば目も覚めることでしょう。
次いでわたくしも引っ越したい。
最近、16時から16時半ぐらいの間に、こっそりとお仕事場を抜け出して、しばし路上でゆうがたのとろりとした時の夢を見ております。
写真だと良く分からないと思いますが、夕焼けの具合がとてもよろしくて、地面も、木々も、人も、僕自身も、辺り一面がオレンジ色に染まっております。ああ、気持ちいい。
尾崎放哉は「たつた一人になり切つて夕空」などと詠んでおりますが、この句の素晴らしさを、しみじみと感じます。
それにしても、夕日に身をゆだねながら思うのは、あの西日を拝みながら一心に極楽浄土を思い描いていた妙好人のことで、極楽浄土を想念すれば往生できると信じていた彼ら彼女らが、一体どれだけの想像力を働かせて夕日の彼方西方十万億土の阿弥陀如来に想いをはせたのか。より美しい極楽浄土を夢想すれば、死に際して阿弥陀如来が来迎してくれる信じていた彼らが、何年何十年と極楽浄土と彼岸を想い続け、生涯を通して南無阿弥陀仏を唱えていただろうと想像すると、こうしてのほほんと夕日に身をまかせている自分の幸福に、罪悪感を感じると同時に、一生をかけて彼らが思い描いた極楽浄土の、その想像力に心を魅かれてしまいます。
今日も夕陽となり部屋に座つてゐる - 尾崎放哉
このような「国民は騙されている!」的なお話って、本当にどうでも良くて、ムーとかって基本的にユーモアの雑誌なのだと思うのですが、あれを真面目に読んでいる方とか、そういう人しかこんな話題に興味を持たないだろうと思っていたのですが、結構びっくりするぐらい普通の人とか友人とかがこのような話題に反応しております。中には本当に真剣に「あれは月に行っていない!」とか力説する人とかもいて。アポロが月に行っていようと行っていまいと、ぼくちんどちらでもじぇんじぇんノープロブレムでーす、とか言ってリアクションを誤魔化しております。
基本的にジョークとしてのこの種の話題は嫌いではないのですが、肯定派はさした論証もせずに肯定するし、否定派は何の根拠もなく否定するし、そんなことを考えている暇があったらうんこでもしていたほうがましなのですが、最近気付いたことには、幽霊の存在とかを肯定している人は、月着陸に疑念を抱きがちである、ということで、それがどうしてなのかそこらへんの因果関係はよく分かりませんが、政府とか権力とかの陰謀説などは支持しがちなのですね、そういう人。あくまでもぼくの友人に関していえば、ですけど。
などといいながら、こんなサイトをチェックしたり。
こんな風にひとつひとつを論証していっても、疑惑を持っている人はまた別の疑惑を言い出すのでしょうから、あまり意味がないのです。先の記事にも書いてある通り、月着陸が真実であるのなら、無視するのが一番でしょう。
こんな話よりも、もっと楽しいお話をしたいものです。書いておいて何ですが。