

今日はお酒を飲んで良い気分で帰宅して、今はリッキー・リー・ジョーンズを聴きながらゆったりとした気持ちでこの文を書いています。今日のお酒飲みはいつもよりも人数が少なかったので、殊更に楽しかったなあ。お酒を飲むときは、三人か四人、多くても五人ぐらいがちょうどいいですね。
今朝、起床して外が明るかったので窓を開けたら雪が降っていました。家を出て、少し歩くと、まだ誰も人は歩いていないと思われる積雪の上に、一筋の足跡をみつけました。足跡の大きさと歩幅、力の入れ具合、間違いなく猫の足跡です。これが犬であれば、足跡はもっと乱れてるだろうし、この都会では、それ以外の動物であることは考えにくい。猫を飼ったことのある人であれば一目でわかる足跡です。早朝の、まだ雪も降り止まないこの時間に、この寒がりの足跡の主はいったいどこへいったのだろう。この辺り一帯ののら猫たちは、いったいどうやって寒さをしのいでいるのでしょう。考えると、切なくなります。
ぼくの大好きな短篇小説に、堀辰雄の『雪の上の足跡』があります。冬の信濃での、学生とその主の会話形式の短篇です。雪の中を帰ってきた学生が、一筋の動物の足跡を見つけたことを主に報告し、そこから会話はその土地の昔話、チェーホフ、聖書、釈迢空、フランシス・トムソンの話、凡兆の句、そして立原道造の想い出へと次々と展開していきます。大好きなこの短篇小説のことを考えながら、春の雪の中を歩きました。どうか、寒がっている猫がぼくのまえに現れませんようにと、祈りつつ。

夕方から雪が降るかもしれないような気がしないでもないように思われるといっても過言ではないという中途半端な天気予報をきいて、電車で仕事に行きました。自転車に乗っていて困ることのひとつに、一日の読書の時間が減ってしまうということがあります。通勤のときの読書は、一日の読書時間のうちの結構な割合を占めるものですが、自転車で通勤をするとそれがまるまるなくなるわけで、夜に読書をしようと思っても、体が疲れているのですぐに眠ってしまいます。今週はずっと天気が悪いみたいなので、たまの通勤の読書を楽しみましょう。そういうわけで、今日は古本屋さんで購入したばかりの大佛次郎さんの『猫のいる日々』を持って家をでました。
ジャン・リシュバンだったろうか、自分の恋した数々の女の名前だけ並べて洒落た詩を書いた詩人がフランスにある。
たま、ふう、小とん、頓兵衛、アバレ、黒と並べたのでは詩にもなるまいが、僕は避け難い自分の臨終の数時間の静かな時を、自分の一生に飼った猫のことを順に思い出して明るいものにしたいと企てている。
自分の描いた駄作の数々を思って苦しむよりも、この方がどれだけ幸福だろう。
寝坊をしてお釈迦様の臨終にも間に会わなかったくらい冷たいエゴイスムに美しくこもっている猫どものことだから、無論、僕が来世へ向かっても出迎えに来るなんてこともあるまいが、集まったらこれは壮観なものだ。
考えて見たまえ、彼らの整列している間を僕はヒットラーのように勇ましく閲兵して歩く。
シャム猫、ペルシャ猫、とら猫、野良猫、いや、考えるだけでもちょっと楽しい。
猫が寝坊をしてお釈迦様の臨終に間に合わなかったという話は、いかにも猫然としていて大佛さんのお気に入りだったらしく、この随筆の中でも何度か出てきます。
ほかの動物の全部がお釈迦様の臨終を囲んで泣いたと云うのに猫だけはどこかで日向ぼっこをしていたのか虫を追って遊んでいて考えなかったのか出て来なかったと云って避難されている。
お釈迦様の臨終と云うような重大な瞬間に居合わせなかったことを勝手に人間が猫の落度としたのである。
としてもこの怠けっぷりは可憐で美しい。
またエゴイスティックな小動物が決して偽善家ではないと云う証拠にもなるように思われる。
知っていても猫はアンリ・ルッソウが好んで描いたような青い熱帯の森の涼しい草の中に柔らかく前肢をまるめて折って座り、ひとりで静かに大きな蝶の夢でも見ていた方が仏の御心にかなっていると信じていたのではないか?
一字一句まで同感です。臨終の際にそばでわんわん泣かれるよりも、ゆるやかに大きな蝶の夢を見ていてもらったほうが、お釈迦様としてはうれしかったはずだ!っていうか、蝶の夢を見ている猫がかわいくて仕方がありません。
まだ半分ぐらいしか読み終わっていませんが、この猫随筆の傑作には、紹介したいエピソードが満載です。
天気がよかったので、久しぶりに石神井公園を散歩しました。
平日の昼間の公園散歩は、本当に気持ちがいいです。人も、空気も、時間も、とてもゆるやか。都心でもなく、かといって郊外でもない中途半端な場所にあるこの公園の雰囲気が、とても心地よい。
休日は家族づれや恋人たちであふれているこの公園も、平日はほとんどおじいちゃんたちしかいません。将棋をしているおじいちゃんや、釣をしているおじいちゃん、ベンチに座ってひなたぼっこをしているおじいちゃんなどなどなど。ひとりのおじいちゃんが、ぼくに向かって池を指さして「みてみな。鯉が一ヶ所に集まってるだろう。あれは寒いからなんだよ。おれたちと一緒だよ」と言ってきました。「いやあ、そんなことないですよ、まだまだお若くて」と、わけのわからない返事をしてしまいました。
今日の散歩の目的のひとつは、猫に会うことです。いますいます、みんなひなたぼっこをしています。町ののら猫と違って、公園ののらはエサをもらうことに慣れているので、人が近づいても全然逃げようとしません。かわいいったらありゃしません。一番右端のねこは、鳴声を発することができないらしく、撫でると「こほっ、こほっ」と咳のような声で返事をしました。かわいいったらありゃしません。
家から歩いてすぐのところに、こんな良い場所があるのですから、引っ越しもなかなかできないわけです。