
02年07月31日(水)
テレビをつけっぱなしにてぼーっとしていたら、NHKで『祖母・幸田文への旅』という番組がやっていました。
幸田文さんは、その晩年に、全国各地の「崩れ」を巡って旅をし、そこで感じたことを『崩れ』というエッセーにまとめました。文さんがこの作品を書いたとき、すでに「年齢七十二歳、体重五十二キロ」であり、その旅路は簡単なものではありませんでした。そして四半世紀が過ぎた現在、孫である青木奈緒さんが再び文さんの旅した崩れの現場を旅しています。
番組は、文さんの娘である青木玉さんと孫の青木奈緒さんへのインタービューを中心に進行するのですが、このお二人、地球外生命体みたいでとても良かったです。玉さんなんか、最初ロボットかと思ってしまいました。文さんの生前のフィルムも少し流れて、ぼくは文さんの話しているところを初めて聞いたのですが、想像していた通りちゃきちゃきの江戸っ子という話し方で、聞いていてとても気持ちが良くなりました。
修復を終えた奈良の三重塔を訪れた文さんが関係者と話している映像には、完成した塔に感動したあまり落ち着きがないのか、声高になった文さんが「(重量感が)変わりましたね。そしてはっきり今度は勾配が見えるようになりましたね」と言っている場面が記録されているのですが、「変わりましたね。そしてはっきり今度は」の「そして」と言っているのがとても耳ごこち良いのです。普通、口語で「そして」とは言わないでしょう。言うかな。言うかもしれないけど、接続詞には「それに」とか、「あと」とか、言いませんか?この「それに」という接続詞の使い方が、とても素敵。江戸っ子っていいね、本当に。お孫さんである奈緒さんも、のほほんとした感じなのに、「そうさねえ」などと自然に言っていて、こんな嫁さんをもらったらぼくも江戸っ子になれるのかしら、などと思いました。
文さんは、木々を巡る旅の途中で訪れた安倍峠で大谷崩れに出会い、「崩れ」に強く惹かれます。
文さんが、雨が降ると崩れを起こす阿倍川と山のことを、「もてあましものなのですか?」と聞くと、関係者の方は「もてあましもの」という言葉を避けて、「人の力は自然の力の比じゃないし、その点がどうも仕様のないことです」と答えます。
『木』という随筆集に収められた『ひのき』というエッセーには、「アテ」という、使用することのできない欠陥した木材のことが書かれています。文さんは、八月の「ごうごうと相当ショッキングに音をたてている」ひのきを見に訪れます。そしてそこで、木材業の人に樹齢三百年ほどの二本立のひのきを見せられます。その二本は、「一本はまっすぐ、一本はやや傾斜し、自然の絵というか、見惚れさせる風趣」を持っていました。しかし、木材業の方は言います。「まっすぐなほうは申分ない、傾斜したほうは、有難くは頂けない」と。
木材業の方は続けて言います。この二本はある時期まではライバル同士だったのだろうが、何らかの理由で、いっぽんがもういっぽんに空間を譲る状態になり、傾斜したのだろう、二本立にはこういうのがよくある、そして、傾斜した方のひのきは、材に挽こうとしても抵抗が強く、使い物にならない。そのような木材を「アテ」と呼ぶ、と。
文さんは、傾斜したひのきを見て思います。
ところで、幸田文さんといえば、言わずと知れた幸田露伴さんの実の娘さんです。露伴さんの回想記である『ちぎれ雲』は、大好きな随筆のひとつなのですが、先に触れた『木』に収められている『藤』という作品にも、とても素敵なエピソードが書かれています。
ある日、文さんは、露伴さんに「町に育つおさないものには、縁日の植木をみせておくのも、草木へ関心をもたせる、かぼそいながらの一手段だ」と言われて、娘の玉さんを縁日に連れていきます。出かけに露伴さんは、「娘の好む木でも花でも買ってやれ」と言って、文さんにがま口を渡します。縁日に行くと、幼い玉さんは無邪気に、文さんの身長ほどもある、高価な藤の鉢植えをねだります。とてもじゃないががま口のお金で買える代物ではなかったので、文さんはそれを諦めさせて、結局玉さんは山椒の木を買います。
家に帰ると、書斎から出てきて話を聞いた露伴さんは、みるみる不機嫌になります。玉さんの藤の選択は間違っていないというのです。「市で一番の花を選んだとは、花を見るたしかな目を持っていたからのこと、なぜその確かな目に応じてやらなかったのか、藤は当然買ってやるべきものだったのに」とマジギレです。文さんが反論すると、露伴さんは理路整然とさらに百倍ぐらい言い返します。ちょっと面白いので引用すると
谷崎潤一郎は、幸田露伴が理解されるには100年はかかるだろうと言っていたと言います。ぼくは、ぜんぜん理解できていないことを承知の上で、少しでも心に良い養いをつけるために、露伴さんを一生読み続けたいと思っています。
それから、ぼくはとても長い間アヤさんのことを「こうだふみ」と読んでいました。気の遠くなるくらい長い間。

これの秋咲くものならぬこそ幸なれ。風冷えて鐘の音も清み渡る江村の秋の夕など、雲漏る薄き日ざしに此花の咲くものならんには、我必ずや其蔭に倒れ伏して死もすべし。虻の声は天地の活気を語り、風の温く軟きが袂軽き衣を吹き皺めて、人々の魂魄を快き睡りの郷に誘はんとする時にだも、此花を見れば我が心は天にもつかず地にもつかぬ空に漂ひて、物を思ふにも無く思はぬにも無き境に遊ぶなり。
幸田露伴『花のいろいろ』の中『紫藤』の項より
幸田文さんは、その晩年に、全国各地の「崩れ」を巡って旅をし、そこで感じたことを『崩れ』というエッセーにまとめました。文さんがこの作品を書いたとき、すでに「年齢七十二歳、体重五十二キロ」であり、その旅路は簡単なものではありませんでした。そして四半世紀が過ぎた現在、孫である青木奈緒さんが再び文さんの旅した崩れの現場を旅しています。
番組は、文さんの娘である青木玉さんと孫の青木奈緒さんへのインタービューを中心に進行するのですが、このお二人、地球外生命体みたいでとても良かったです。玉さんなんか、最初ロボットかと思ってしまいました。文さんの生前のフィルムも少し流れて、ぼくは文さんの話しているところを初めて聞いたのですが、想像していた通りちゃきちゃきの江戸っ子という話し方で、聞いていてとても気持ちが良くなりました。
修復を終えた奈良の三重塔を訪れた文さんが関係者と話している映像には、完成した塔に感動したあまり落ち着きがないのか、声高になった文さんが「(重量感が)変わりましたね。そしてはっきり今度は勾配が見えるようになりましたね」と言っている場面が記録されているのですが、「変わりましたね。そしてはっきり今度は」の「そして」と言っているのがとても耳ごこち良いのです。普通、口語で「そして」とは言わないでしょう。言うかな。言うかもしれないけど、接続詞には「それに」とか、「あと」とか、言いませんか?この「それに」という接続詞の使い方が、とても素敵。江戸っ子っていいね、本当に。お孫さんである奈緒さんも、のほほんとした感じなのに、「そうさねえ」などと自然に言っていて、こんな嫁さんをもらったらぼくも江戸っ子になれるのかしら、などと思いました。
文さんは、木々を巡る旅の途中で訪れた安倍峠で大谷崩れに出会い、「崩れ」に強く惹かれます。
文さんが、雨が降ると崩れを起こす阿倍川と山のことを、「もてあましものなのですか?」と聞くと、関係者の方は「もてあましもの」という言葉を避けて、「人の力は自然の力の比じゃないし、その点がどうも仕様のないことです」と答えます。
私は無遠慮にもてあましもといったけれど、県の人は笑うばかりで、その言葉を避けて言わなかった。言わないだけにかえって、先祖代々からの長い努力が費やされたのだろうと、推測せずにいられなかった。人も辛かったろうが、人ばかりが切なかったわけでもあるまい。川だって可哀想だ。好んで暴れるわけではないのに、災害が残って、人に嫌われ疎じられ、もてあまされる。川は無心だから、人にどう嫌われても痛痒はあるまいが、同じ無心の木でも石でも、愛されるのと嫌われるのとでは、生きかたに段のついた違いがでる。安倍川は人を困らせる川といえようが、私には可哀想な川だと思えてならなかった。文さんが「崩れ」に惹かれたのは、その姿があまりにも寂寞として物悲しかったからでした。文さんは、「崩れ」に惹かれる気持ちを、こんな感じに書いています。
あの山崩からきた愁いと寂しさは、忘れようとして忘れられず、あの石の河原に細く流れる流水のかなしさは、思い捨てようとして捨て切れず・・・人によっては、この『崩れ』という作品を、文さんの作品の中で異色なものとして考える方もいますが、ぼくはそうは思いません。文さんの書いた作品に一貫して共通する、弱いものに対する優しさが、『崩れ』には書かれています。「崩れ」という、猛々しいイメージのある言葉の中に、文さんの悲しみとやさしさが溢れているのです。
山の崩れを川の荒れをいとおしくさえ思いはじめていた...
『木』という随筆集に収められた『ひのき』というエッセーには、「アテ」という、使用することのできない欠陥した木材のことが書かれています。文さんは、八月の「ごうごうと相当ショッキングに音をたてている」ひのきを見に訪れます。そしてそこで、木材業の人に樹齢三百年ほどの二本立のひのきを見せられます。その二本は、「一本はまっすぐ、一本はやや傾斜し、自然の絵というか、見惚れさせる風趣」を持っていました。しかし、木材業の方は言います。「まっすぐなほうは申分ない、傾斜したほうは、有難くは頂けない」と。
木材業の方は続けて言います。この二本はある時期まではライバル同士だったのだろうが、何らかの理由で、いっぽんがもういっぽんに空間を譲る状態になり、傾斜したのだろう、二本立にはこういうのがよくある、そして、傾斜した方のひのきは、材に挽こうとしても抵抗が強く、使い物にならない。そのような木材を「アテ」と呼ぶ、と。
文さんは、傾斜したひのきを見て思います。
そのひのきは、生涯の傾斜を背負って、はるかな高い梢にいただいた細葉の黒い茂みを、ゆるく風にゆらせていた。そのゆるい揺れでも、傾斜の躯幹のどこかには忍耐が要求され、バランスを崩すまいとつとめているのだろう。木はものを言わずに生きている。かしいで生きていても、なにもいわない。立派だと思った。が、せつなかった。文さんには、懸命に生きようとするばかりに、日照に当たろうと躯幹を傾けて成長したひのきが、「よくないもの、悪いものとして、なにか最低の等級にも入れられない、それ以下のものとされているように」聞こえたのです。『崩れ』は、ここで書かれている「アテ」に対するものと同じ感情の上に書かれているのです。
ところで、幸田文さんといえば、言わずと知れた幸田露伴さんの実の娘さんです。露伴さんの回想記である『ちぎれ雲』は、大好きな随筆のひとつなのですが、先に触れた『木』に収められている『藤』という作品にも、とても素敵なエピソードが書かれています。
ある日、文さんは、露伴さんに「町に育つおさないものには、縁日の植木をみせておくのも、草木へ関心をもたせる、かぼそいながらの一手段だ」と言われて、娘の玉さんを縁日に連れていきます。出かけに露伴さんは、「娘の好む木でも花でも買ってやれ」と言って、文さんにがま口を渡します。縁日に行くと、幼い玉さんは無邪気に、文さんの身長ほどもある、高価な藤の鉢植えをねだります。とてもじゃないががま口のお金で買える代物ではなかったので、文さんはそれを諦めさせて、結局玉さんは山椒の木を買います。
家に帰ると、書斎から出てきて話を聞いた露伴さんは、みるみる不機嫌になります。玉さんの藤の選択は間違っていないというのです。「市で一番の花を選んだとは、花を見るたしかな目を持っていたからのこと、なぜその確かな目に応じてやらなかったのか、藤は当然買ってやるべきものだったのに」とマジギレです。文さんが反論すると、露伴さんは理路整然とさらに百倍ぐらい言い返します。ちょっと面白いので引用すると
好む草なり木なりを買ってやれ、といいつけたのは自分だ、だからわざと自分用のガマ口を渡してやった、子は藤を選んだ、だのになぜ買ってやらないのか、金が足りないのなら、がま口ごと手金にうてばそれで済むものを、おまえは親のいいつけも、子のせっかくの選択も無にして、平気でいる。なんと浅はかな心か、しかも、藤がたかいのバカ値のというが、いったい何を物差しにして、価値を決めているのか、多少値の張る買物であったにせよ、その藤を子の心の養いにしてやろうと、なぜ思わないのか、その藤をきっかけに、どの花をもいとおしむことを教えれば、それはこの子一生の心のうるおい、女一代の目の楽しみにもなろう、もしまたもっと深い機縁があれば、子供は藤から蔦へ、蔦からもみじへ、松へ杉へと関心の目をのばさないとはかぎらない、そうなればそれはもう、その子が財産をもったも同じこと、これ以上の価値はない、子育ての最中にいる親が誰しも思うことは、どうしたら子のからだに、心に、いい養いをつけることができるのか、とそればかり思うものだ、金銭を先に云々して、子の心の栄養を考えない処置には、あきれてものもいえない露伴さん、とても良いことを言っているのですが、こんなぐちぐちと言われたら、とりあえず蹴るでしょう。
谷崎潤一郎は、幸田露伴が理解されるには100年はかかるだろうと言っていたと言います。ぼくは、ぜんぜん理解できていないことを承知の上で、少しでも心に良い養いをつけるために、露伴さんを一生読み続けたいと思っています。
それから、ぼくはとても長い間アヤさんのことを「こうだふみ」と読んでいました。気の遠くなるくらい長い間。

これの秋咲くものならぬこそ幸なれ。風冷えて鐘の音も清み渡る江村の秋の夕など、雲漏る薄き日ざしに此花の咲くものならんには、我必ずや其蔭に倒れ伏して死もすべし。虻の声は天地の活気を語り、風の温く軟きが袂軽き衣を吹き皺めて、人々の魂魄を快き睡りの郷に誘はんとする時にだも、此花を見れば我が心は天にもつかず地にもつかぬ空に漂ひて、物を思ふにも無く思はぬにも無き境に遊ぶなり。
幸田露伴『花のいろいろ』の中『紫藤』の項より
02年07月30日(火)
昨日の日記でも書いた通り、ここ数年、Webで日記を公開する人が急激に増えています。
最近よく耳にする「ウェブログ」という言葉は、もともとは「ウェブ上にある興味深いコンテンツへのリンクとその批評を記した、定期更新されているリストのこと(HotWired)」を意味していましたが、最近ではWebで公開されている日記全体の総称として使われたりしています。
ウェブログに関しては、HotWiredでも何度か取り上げられているので、下の記事を参考にしてください。
■人気急上昇中の「ウェブログ」とは
■ウェブ上で日記を公開する『ウェブログ』の可能性
■正統派ジャーナリズムが「ウェブログ」を認知?
■ウェブログってそんなにスゴいの?──ついに大学院の研究対象に
■「ナップスター革命」に匹敵する「ウェブログ革命」
これらの記事を読んでもわかる通り、ウェブログはインターネットの新しい表現の形として、日々その数を増やし続けています。また、誰でも簡単にウェブログを公開できるツールやサイトも、同様に増え続けています。ヤフーのカテゴリを探るとこんなにたくさん。
海外のおかしなサイトや音楽のアルバムを紹介している「Splash!」というウェブマガジンでは、ここ数ヶ月、そのように増え続けているウェブログの中から、面白いサイトやウェブログに関するニュースを紹介しています。
たとえば、最近紹介されていた「Blog Hot or Not」(ちなみにBlogというのはWebLogの略)というサイトは、自分のウェブログを登録して他人に採点をしてもらおう!という趣旨のもので、このサイトにアクセスすると、フレームの下側に登録されたウェブログが表示され、それを読んだ読者はフレームの上側で採点をします。
採点をすると、左側にそのサイトの平均点数が表示され、下のフレームには次のウェブログが表示されます。こまめに更新しているものや、情報性の高いもの、あるいは生活がユーモアなものなどはやはり点数が高いみたいですね。
ちなみに、上のフレームには、表示されているウェブログのキーワードが羅列してあり、ウェブログを読む際の目安になります。
HotWiredで紹介されたものや、Blog Hot or Notで紹介されていたもので個人的に興味を惹いたウェブログは....
■b00mb0x
僕がはじめて読んだ日は、チェ・ゲバラの「The motorcycle diaries」という本について書いてあったのですが、普段は音楽ネタが中心みたい。この「The motorcycle diaries」ってすごく面白そうなのですけど。
■Little Orange Crow
サンフランシスコ図書館で開催されているボルヘスの「The Time Machine」という展示会のことに言及していて、読んでいてとても面白いかった。っていうかうらやましかった。このサイトは「Splash!」でも取り上げていましたが、過去ログとかを読んでもとても面白かったです。
■urban-dyke.com
トップページに自分とガールフレンドの写真を載せているレズの方の恋愛日記。
■0format
デザインがとても僕好みでして。
■Why I Hate Life
タイトルからもわかる通り、ヘイト系のウェブログです。どーにもこーにも。
■Librarian.net
図書館員の方の書いている専門的なウェブログ。全然読んでいないのですが、なんとなく。
それにしても、上のウェブログを見ただけでも、みなさんすごくないですか。デザインもしっかりしているし、見ているとちゃんと更新もしているみたいだし。日本でも、これからウェブログの波はばんばん押し寄せてくると思うので、ちょっぴり楽しみです。

最近よく耳にする「ウェブログ」という言葉は、もともとは「ウェブ上にある興味深いコンテンツへのリンクとその批評を記した、定期更新されているリストのこと(HotWired)」を意味していましたが、最近ではWebで公開されている日記全体の総称として使われたりしています。
ウェブログに関しては、HotWiredでも何度か取り上げられているので、下の記事を参考にしてください。
■人気急上昇中の「ウェブログ」とは
■ウェブ上で日記を公開する『ウェブログ』の可能性
■正統派ジャーナリズムが「ウェブログ」を認知?
■ウェブログってそんなにスゴいの?──ついに大学院の研究対象に
■「ナップスター革命」に匹敵する「ウェブログ革命」
これらの記事を読んでもわかる通り、ウェブログはインターネットの新しい表現の形として、日々その数を増やし続けています。また、誰でも簡単にウェブログを公開できるツールやサイトも、同様に増え続けています。ヤフーのカテゴリを探るとこんなにたくさん。
海外のおかしなサイトや音楽のアルバムを紹介している「Splash!」というウェブマガジンでは、ここ数ヶ月、そのように増え続けているウェブログの中から、面白いサイトやウェブログに関するニュースを紹介しています。
たとえば、最近紹介されていた「Blog Hot or Not」(ちなみにBlogというのはWebLogの略)というサイトは、自分のウェブログを登録して他人に採点をしてもらおう!という趣旨のもので、このサイトにアクセスすると、フレームの下側に登録されたウェブログが表示され、それを読んだ読者はフレームの上側で採点をします。
採点をすると、左側にそのサイトの平均点数が表示され、下のフレームには次のウェブログが表示されます。こまめに更新しているものや、情報性の高いもの、あるいは生活がユーモアなものなどはやはり点数が高いみたいですね。
ちなみに、上のフレームには、表示されているウェブログのキーワードが羅列してあり、ウェブログを読む際の目安になります。
HotWiredで紹介されたものや、Blog Hot or Notで紹介されていたもので個人的に興味を惹いたウェブログは....
■b00mb0x
僕がはじめて読んだ日は、チェ・ゲバラの「The motorcycle diaries」という本について書いてあったのですが、普段は音楽ネタが中心みたい。この「The motorcycle diaries」ってすごく面白そうなのですけど。
■Little Orange Crow
サンフランシスコ図書館で開催されているボルヘスの「The Time Machine」という展示会のことに言及していて、読んでいてとても面白いかった。っていうかうらやましかった。このサイトは「Splash!」でも取り上げていましたが、過去ログとかを読んでもとても面白かったです。
■urban-dyke.com
トップページに自分とガールフレンドの写真を載せているレズの方の恋愛日記。
■0format
デザインがとても僕好みでして。
■Why I Hate Life
タイトルからもわかる通り、ヘイト系のウェブログです。どーにもこーにも。
■Librarian.net
図書館員の方の書いている専門的なウェブログ。全然読んでいないのですが、なんとなく。
それにしても、上のウェブログを見ただけでも、みなさんすごくないですか。デザインもしっかりしているし、見ているとちゃんと更新もしているみたいだし。日本でも、これからウェブログの波はばんばん押し寄せてくると思うので、ちょっぴり楽しみです。

02年07月29日(月)
本屋をぶらぶらして雑誌を物色していたところ、『40's!』という雑誌が創刊しているのを見つけました。
「『普通』が見えてくる日記マガジン」という副題のついたこの雑誌は、40代前後の一般の人々(この雑誌では市井の人々という言い方をしていますが)の2002年3月の日記だけで構成されています。
日記を書いている方々の職業は、大学教授からそば職人までさまざまです。それぞれの日記の頭には、年齢や家族構成、職業、年収、尊敬する人など、執筆した人のプロフィールが簡単に書かれています。書いてある内容は当然のことながら人それぞれ異なり、休日に「なぜ、フランスはルイジアナをアメリカに売ったのか?」という息子のレポートを手伝っている大学教授もいれば、連休を「地獄」と表現するギタリストもいるし、毎日何もしないで思索に勤しんでいる無職の人もいれば、テレビを観ても映画を観て文句ばかり書いている人もいます。
単なる個人の日記の寄せ集めと言ってしまえばそれまでなのですが、これが読み始めるとなかなか面白い。「平凡な人生なんて存在しない」という言葉がありますが、まさにその通り。日記によっては読んでいるだけでむかついてくるものもありますが、逆に癒されてしまうものもあります。
たとえば、地域の生活保護の担当をしているある女性は、90歳の男性の家に訪問したときのことを書いています。以前にも訪れたことのある家であるにもかかわらず、この90歳の男性は生活保護担当の女性が家に上がることを執拗に拒みます。女性は、部屋が汚いからいやなのか、あるいは知人が訪ねてきているのか、と考えますが、どうもそうではなさそうです。自分のことを忘れているのかと思い、「生活保護の担当です」と言うと、90歳の男性は困った顔をして言いました。
「友人は皆70代で死んでしまった。皆遊び過ぎたのだ。真面目にやって来た私は思いのほか長生きした。ここいらで好きなことをしてもいいと思う。だが・・・」彼は残念そうに言う。「もう女性を満足させてあげられない」
ぼくはもともと日記文学が大好きでして、古いものだと『紫式部日記』から、近代のものであれば永井荷風の『断腸亭日記』や夏目漱石の『漱石日記』、正岡子規の『仰臥漫録』、海外のものであれば『アナイス・ニンの日記』、ヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』、最近のものであれば坪内祐三の『三茶日記』や、昔ガロで連載していた松沢呉一の日記など、お気に入りの日記作品をあげるときりがありません。最近では、武田泰淳の妻である武田百合子の『富士日記』なんかを読み始めました。
雑誌『太陽』の1978年1月号はそのような日記文学の特集でして、どうしても手に入れたいのですが、どこにも売っていません。もし発見した方がいたら、御一報いただければ幸いです。
僕がこれらの日記文学に惹かれるのは、尊敬する人や、興味のある人、あるいは逆に大嫌いな人の生活を垣間見るという楽しみと、良い生活のお手本を読みたいという純粋な欲求によるものです。
たとえば、夏目漱石がロンドン留学中の1901年3月14日に書いた
あるいは、アナイス・ニンが1932年6月に書いた
このような日記文学を読むのは、そこに日記を書いた著者に対する(肯定的にしても否定的にしても)興味、手本とすべき生活への興味があるからです。興味もなにもない人が書いた日記を読みたいとは思いません。少なくとも今まではそうでした。しかし、『40's』を読んで感じたおもしろさは、そのような「著者への興味」によるものではありません。執筆者の名前は公表されていますが、それが誰なのかはわからないし、その人が実際に存在するのかどうかすらはっきりしないのですから。それでは、いったいどうしてこんなにおもしろく感じるのか?
ひとつには、同時代に生きる他人の生活に対する興味ということがあると思います。歴史的人物のような雲の上の人に対する興味とは別の、あくまでも自分と同じ時代に同じような生活をしている人に対する興味。
ぼくがこの『40's』を読みながら考えたのは、『記録を残さなかった男の歴史ーある靴職人の世界1798-1876』という本のことです。
この本は著者であるアラン・コルバンが、彼自身まったく興味を示さない歴史的に無名な人物をアトランダムに選んで、その彼の人生を調べるという、前代未聞の歴史書です。
全く無名の人物の人生を調べるわけですから、その調査は難航を極め、最終的には空白の部分がかなり残ります(高橋源一郎はこの空白について、「この真の空白以上に豊かな主人公を我々は想像できないのである」と言っています)。この本に関しては、書きたいことが山ほどあるのでまた改めて取り上げたいと思いますが、とりあえずここで書いておきたいのは、この本が前代未聞だった理由が、「歴史的に無名な人物を語る」というテーマによるものということです。この本が出る以前、また出た当時は、学問にしても芸術にしても、歴史的に無名な人物を語るということはあり得ませんでした。アラン・コルバンは、そのような歴史的に目に見える形で意味のある人物や出来事だけを取り上げてきた歴史学に対して、警鐘を鳴らそうとしたのです。
歴史的に無名な人物が記録を残さなかったのは、記録を残すだけの行動を行わなかったからです。もし彼が、歴史的に意味のある行動を行っていれば、歴史は彼の記録を残したでしょう。そして、僕たちも彼の記録を目にし、あるいは彼の書いた日記を読んだかもしれません。
しかし、ここ数年のインターネットの普及により、ぼくたちは「歴史的に意味のある」人々の日記から、「自分たちの生活に共通する」人々の書いた日記を読み始めています。世界中では、日記を公開している人が数えきれないほど存在します。それは最初から公開することを目的として書かれた日記であり、自分と同時代に生きる人々に向けられた日記です。そしてそれらの日記は、日を追うごとにその数を増やし続けています。
「人は本来的に語ることを欲する」と言いますが、今からほんの十年前ですら、一般の人々には世界に向けて語る術を持っていませんでした。現代では、歴史に名を残すような人物でもなくても、少しのパソコンの技術さえあれば、誰でも自分を語ることができるようになりました。そして、ぼくも含めて現代に生きる人々は、そのようにして公開された日記を楽しく読んでいます。みなさんも、友達がWebで公開している日記を読んでいるのではないでしょうか?っていうか、ぼくが今書いているこれも、その種の日記のひとつですし。
もちろん、Webで日記を書いたからといって、それが歴史に記録を残すことにはつながりません。しかし、(普通という言葉はあまり好きではありませんが、他に言い様がないので)普通の人々が自分と同じような普通の人々の日記を読む、または公開するという行為は、これまでの歴史上ではなかった出来事です。人々は、英雄でなくても、偉人でなくても、自分を語り、他人を読むという術を手に入れたのです。
『40's』を読みながら、普通の人の書いた普通の日々の日記が、今後文学や歴史にどのような意味を与えるのか、あるいは与えないのか、そんなことを考えてしまいました。アラン・コルバンが取り上げた靴職人も、現代に生きていたら、もしかしたら日記を公開していたかもしれませんね。

「『普通』が見えてくる日記マガジン」という副題のついたこの雑誌は、40代前後の一般の人々(この雑誌では市井の人々という言い方をしていますが)の2002年3月の日記だけで構成されています。
日記を書いている方々の職業は、大学教授からそば職人までさまざまです。それぞれの日記の頭には、年齢や家族構成、職業、年収、尊敬する人など、執筆した人のプロフィールが簡単に書かれています。書いてある内容は当然のことながら人それぞれ異なり、休日に「なぜ、フランスはルイジアナをアメリカに売ったのか?」という息子のレポートを手伝っている大学教授もいれば、連休を「地獄」と表現するギタリストもいるし、毎日何もしないで思索に勤しんでいる無職の人もいれば、テレビを観ても映画を観て文句ばかり書いている人もいます。
単なる個人の日記の寄せ集めと言ってしまえばそれまでなのですが、これが読み始めるとなかなか面白い。「平凡な人生なんて存在しない」という言葉がありますが、まさにその通り。日記によっては読んでいるだけでむかついてくるものもありますが、逆に癒されてしまうものもあります。
たとえば、地域の生活保護の担当をしているある女性は、90歳の男性の家に訪問したときのことを書いています。以前にも訪れたことのある家であるにもかかわらず、この90歳の男性は生活保護担当の女性が家に上がることを執拗に拒みます。女性は、部屋が汚いからいやなのか、あるいは知人が訪ねてきているのか、と考えますが、どうもそうではなさそうです。自分のことを忘れているのかと思い、「生活保護の担当です」と言うと、90歳の男性は困った顔をして言いました。
「友人は皆70代で死んでしまった。皆遊び過ぎたのだ。真面目にやって来た私は思いのほか長生きした。ここいらで好きなことをしてもいいと思う。だが・・・」彼は残念そうに言う。「もう女性を満足させてあげられない」
ぼくはもともと日記文学が大好きでして、古いものだと『紫式部日記』から、近代のものであれば永井荷風の『断腸亭日記』や夏目漱石の『漱石日記』、正岡子規の『仰臥漫録』、海外のものであれば『アナイス・ニンの日記』、ヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』、最近のものであれば坪内祐三の『三茶日記』や、昔ガロで連載していた松沢呉一の日記など、お気に入りの日記作品をあげるときりがありません。最近では、武田泰淳の妻である武田百合子の『富士日記』なんかを読み始めました。
雑誌『太陽』の1978年1月号はそのような日記文学の特集でして、どうしても手に入れたいのですが、どこにも売っていません。もし発見した方がいたら、御一報いただければ幸いです。
僕がこれらの日記文学に惹かれるのは、尊敬する人や、興味のある人、あるいは逆に大嫌いな人の生活を垣間見るという楽しみと、良い生活のお手本を読みたいという純粋な欲求によるものです。
たとえば、夏目漱石がロンドン留学中の1901年3月14日に書いた
穢い町を通ったら、目暗がオルガンを弾て黒い伊太利人がバイオリンを鼓していると、その傍に四歳ばかりの女の子が真赤な着物を着て真赤な頭巾を蒙って音楽に合わせて踊っていた。などいう日記を読むと、まるで自分がロンドンの片隅でそのような情景に出会っているように感じてしまいます。
あるいは、アナイス・ニンが1932年6月に書いた
シュルレアリストの自由な即興は意識の作りだす人工的な秩序や均整を打破する。混沌(khaos)には豊饒さがあるのだ。一瞬ごとに五つか六つある魂のうち一つを選ばねばならないとき、「誠実」であることは何とむずかしいのだろう。どの魂にしたがい、どの魂に合わせて誠実になればいいのか?などという日記を読むと、まるで自分が1930年代のシュールリアリズム運動の真っただ中にいるような、自分がヤリマンのバイセクシャルになったような気がして嬉しくなってしまいます。
このような日記文学を読むのは、そこに日記を書いた著者に対する(肯定的にしても否定的にしても)興味、手本とすべき生活への興味があるからです。興味もなにもない人が書いた日記を読みたいとは思いません。少なくとも今まではそうでした。しかし、『40's』を読んで感じたおもしろさは、そのような「著者への興味」によるものではありません。執筆者の名前は公表されていますが、それが誰なのかはわからないし、その人が実際に存在するのかどうかすらはっきりしないのですから。それでは、いったいどうしてこんなにおもしろく感じるのか?
ひとつには、同時代に生きる他人の生活に対する興味ということがあると思います。歴史的人物のような雲の上の人に対する興味とは別の、あくまでも自分と同じ時代に同じような生活をしている人に対する興味。
ぼくがこの『40's』を読みながら考えたのは、『記録を残さなかった男の歴史ーある靴職人の世界1798-1876』という本のことです。
この本は著者であるアラン・コルバンが、彼自身まったく興味を示さない歴史的に無名な人物をアトランダムに選んで、その彼の人生を調べるという、前代未聞の歴史書です。
全く無名の人物の人生を調べるわけですから、その調査は難航を極め、最終的には空白の部分がかなり残ります(高橋源一郎はこの空白について、「この真の空白以上に豊かな主人公を我々は想像できないのである」と言っています)。この本に関しては、書きたいことが山ほどあるのでまた改めて取り上げたいと思いますが、とりあえずここで書いておきたいのは、この本が前代未聞だった理由が、「歴史的に無名な人物を語る」というテーマによるものということです。この本が出る以前、また出た当時は、学問にしても芸術にしても、歴史的に無名な人物を語るということはあり得ませんでした。アラン・コルバンは、そのような歴史的に目に見える形で意味のある人物や出来事だけを取り上げてきた歴史学に対して、警鐘を鳴らそうとしたのです。
歴史的に無名な人物が記録を残さなかったのは、記録を残すだけの行動を行わなかったからです。もし彼が、歴史的に意味のある行動を行っていれば、歴史は彼の記録を残したでしょう。そして、僕たちも彼の記録を目にし、あるいは彼の書いた日記を読んだかもしれません。
しかし、ここ数年のインターネットの普及により、ぼくたちは「歴史的に意味のある」人々の日記から、「自分たちの生活に共通する」人々の書いた日記を読み始めています。世界中では、日記を公開している人が数えきれないほど存在します。それは最初から公開することを目的として書かれた日記であり、自分と同時代に生きる人々に向けられた日記です。そしてそれらの日記は、日を追うごとにその数を増やし続けています。
「人は本来的に語ることを欲する」と言いますが、今からほんの十年前ですら、一般の人々には世界に向けて語る術を持っていませんでした。現代では、歴史に名を残すような人物でもなくても、少しのパソコンの技術さえあれば、誰でも自分を語ることができるようになりました。そして、ぼくも含めて現代に生きる人々は、そのようにして公開された日記を楽しく読んでいます。みなさんも、友達がWebで公開している日記を読んでいるのではないでしょうか?っていうか、ぼくが今書いているこれも、その種の日記のひとつですし。
もちろん、Webで日記を書いたからといって、それが歴史に記録を残すことにはつながりません。しかし、(普通という言葉はあまり好きではありませんが、他に言い様がないので)普通の人々が自分と同じような普通の人々の日記を読む、または公開するという行為は、これまでの歴史上ではなかった出来事です。人々は、英雄でなくても、偉人でなくても、自分を語り、他人を読むという術を手に入れたのです。
『40's』を読みながら、普通の人の書いた普通の日々の日記が、今後文学や歴史にどのような意味を与えるのか、あるいは与えないのか、そんなことを考えてしまいました。アラン・コルバンが取り上げた靴職人も、現代に生きていたら、もしかしたら日記を公開していたかもしれませんね。
