ここのところ毎日チェックしている唯一のサイトToday in Literatureが面白いので、いろいろと引用をしたいと思っているのですが、11日分までのアーカイブしか参照できないのです。2月10日の記事もとても面白かったのですが、三国志にうつつを抜かしている間に、やはり参照できなくなってしまいました。エドワード・リアさんに関する記事だったのですが。
1846年の2月10日、エドワード・リアのノンセンス本が出版されました。この本は、後に続く四冊の「ノンセンスの絵本」の最初の一冊であり、この本によって彼はルイス・キャロルやヒラリー・ベロックなど、イギリスナンセンス小説の黄金の半世紀における先駆となりました。
リアは、もともとは動物の絵を描く独学の優れた画家でした。二十代で、ダービー伯爵の動物園の鳥の絵を書くことを依頼され、邸宅に住み込みで仕事に従事しました。その四年間の滞在の間、リアはノンセンスな五行詩に挿し絵をそえて、伯爵の孫を楽しませました。そして同時に、息の詰まるようなビクトリア建築に監禁されているかのような、生活への間断のない不安を募らせ続けました。
"Nothing I long for half so much as to giggle heartily and hop on one leg down the great gallery -- but I dare not." --Edward Lear
ルイス・キャロルからジョン・レノンまで、後世のさまざまな芸術家に影響を与えたこのエドワード・リアという方。その名前を知らないひとでも、彼の絵は見た事があるのではないでしょうか。検索の鉄人の関裕司さんが始められた「プロジェクト ノンセンス」では、有志の方々の手により、彼の作品が翻訳され、リア本人の挿し絵と共に公開されています。
1837年にイギリスを去った後、リアは続く五十年間の多くをイタリアやギリシャ、インド、エジプトなどを転々と過ごし、その間に放浪に関する旅行記を七冊出版しました。リアに関して書かれている多くのことは、癲癇や喘息、鬱病、混乱性適応障害に苦しむ孤独なひとりもの(二十番目の子供として生まれ、ほとんど親のいない状態で育てられ、性的虐待をうけ、抑圧された同性愛への欲望に苦しみ、などなど)としての彼に重点が置かれ、叔父のように優しい風変わり者という面にはそれほど言及されていません。
彼の書いた詩の中には、彼自身に関するある種自虐的な作品も収められています。最後の十年に書かれた"How Pleasant to Know Mr Lear,"は、'how unpleasant to be Mr Lear,'(Mr.リアであることのやるせなさ)の裏返しの意味なのかもしれません。
. . . When he walks in a waterproof white,
The children run after him so!
Calling out, 'He's come out in his night-
Gown, that crazy old Englishman, oh!'
He weeps by the side of the ocean,
He weeps on the top of the hill;
He purchases pancakes and lotion,
And chocolate shrimps from the mill.
He reads but he cannot speak Spanish,
He cannot abide ginger-beer:
Ere the days of his pilgrimage vanish,
How pleasant to know Mr Lear!
個人的な意見ではありますが、ユーモアに隠された悲哀ほどサムイものはありません。これを読むぼくたちは、この詩の裏側にある悲しさを探ったり、へたな感傷を見つけたりしないで、ただ読んで感じた通りに笑えば良いのです。本当におもしろいですから。
「ノンセンスの絵本」は、こちらでも読めるし、上にも書きましたが「プロジェクト ノンセンス」では有志による日本語訳(これがまた素敵なの)を読むことも出来ます。
僭越ながら拙訳をひとつ。
すんごいおひげのおじいさん
いわく
「思ったとおりになりそうろう
二羽のふくろう、一羽のめんどり
四羽のひばりに一羽のすずめ
わしのおひげで巣作りだ!」
There was an Old Man with a beard,
Who said, 'It is just as I feared!
Two Owls and a Hen,
Four Larks and a Wren,
Have all built their nests in my beard!'
この詩の別の方々の訳はこちらで読むことができます。くどいようですけど、本当に面白いので。
今の街に住むようになってはや数年が経ちましたが、出不精の故にいつまで経っても土地に不慣れで、いまだに適当に歩くと訪れたことのない場所にたどりつきます。本日も夕刻過ぎに適当に歩いていたところ、見たことのない小さな商店街に出ました。
夕日を浴びた商店街は、まるでどこかの片田舎のような様相を呈し、我が家から歩いて三十分であるにも関わらず、それなりの旅情を味わうことができ、目に付いた小さな小料理屋に足を踏み入れたところ、こじんまりとした店内に女性がひとり座り、本を読んでおりました。
これは失礼とそそくさと店を出て、今の女性はお客なのか店番なのかと気になりはしたものの、それよりも気になったのは彼女がいったいなんの本を読んでいたのかということで、それだけを確かめにもう一度店に戻ろうかと思いましたが、それよりも、心の中で彼女の読んでいた本を空想して楽しむことにしました。
ぼーとしている女性の姿と、本を読んでいる女性の姿が大好きです。一番好きなのはぼーっとしながら読書をしている女性の姿で、そのような姿をみるとすぐに惚れてしまいます。大好きな『恋人までのディスタンス』という映画の中で、特に好きなのは冒頭の、イーサン・ホークが電車の中で本を読んでいるジュリー・デルピーと出会うシーン。イーサン・ホークはジュリー・デルピーの美しさそのものに魅かれていたけれど、ぼくは「本を読んでいるジュリー・デルピー」の美しさに魅かれました。
帰り道、珍しくビールを買って歩きながら飲みました。夕と夜の狭間、ビールを片手に、先程の女性が読んでいた本のタイトルを想像しながら。
デカルト曰く、我々は夢に見る幻影を実在のものとして夢に見る。ならば実在としてのこの世界の実体が、夢に見る幻影と異なるものであると、どうして断言できようか。
荘周曰く、我夢の中で胡蝶となりて百年の空を遊舞す、目覚めて問う、我夢で胡蝶なるか、胡蝶夢で我なるか。
江戸川乱歩曰く、現実(うつしよ)は夢、夜の夢こそ真実。
特技というものをほとんど持たないぼくではありますが、唯一自慢できる特技は、「どこでも眠ることができる」ということで、三秒で寝てしまうのび太君にはかないませんが、それでも五分あればどんな所でも眠ることができます。踏まれないという保証があれば、渋谷のスクランブル交差点でも眠る自信があります。
一年を通して日がな暁を覚えず、仕事の昼休みに寝て、電車の中で寝て、喫茶店で寝て、ベンチで寝て、あらゆる場所で、一日に何度も眠ります。五分しか寝ないこともあれば、一時間以上寝ることもあります。そしてその時間の長短に関わらず、必ず夢を見ます。夢の時間軸と現実のそれは同期していないのか、五分しか寝ていないときでも、二時間ぐらいの夢を見ることがあります。
そして、五回に一度ぐらいの割合で明晰夢(夢であることを自覚する夢)をみます。夢の中で、これは夢であるとはっきりと気付くのです。
夢の中でそれが夢だと気付いたら、皆さんはどうするでしょう。ぼくはまず最初に、おっぱいを揉んでやろうと思いました。しかし不思議なことに、いざ揉もうとしても、揉むべきおっぱいが出てこないのです。中島君とか、奥村君とかばかりがうじゃうじゃ出てきて、女性が全く出てこないのです。ぼくの夢の中なのですから、思い通りになっても良さそうなものですが、いくら念じても女性が出てこないのです。やっと出来てきたかと思うと、すげーぶっさいくだったり。一度、遠くを裸の女性が走っていたことがあるのですが、追っかけていったら突然ぼくの目の前に柵が現れて、前に進むことが出来なくなりました。明晰夢を見ても、何も自由にできないのです。
ぼくが書きたいのはそんなことではなくて、デカルトも荘子も、夢の中で現実と思っていたものが実は夢であった、それならばこの現実が夢であってもおかしくないと説いたということで、彼らにとっては夢もうつつも共に区別のない現実であったのかもしれませんが、その理屈は夢の中でこれは夢だと気付いてしまうぼくには通用しないのです。
デカルトは、夢と現実の区別をつけることはできないが、いずれの世界もそれを思惟しているのは自分という意識であるという理念から、絶対的に考えるわたし、つまり「我思う、故に我あり」という哲学原理を生み出しました。しかしそれとは逆に、ぼくはこの現実の世界の美しさの実在を信じることはできても、自分自身が世界に生きているという実感を持つことができません。ルソーの言葉を借りて言えば、「この美しい自然の全てが、かりそめにでも、『存在しない』などと考えることは私には到底できない」のです。そしてその美しい世界に生きていながら、生の実感をもつことができないぼくは、時折まるで夢の中をさまよっているような錯覚に陥ることがあるのです。そして、その錯覚はとても気持ち良いのです。
恋人の胡蝶の木の下に立ち、
八月の新月が家の裏手からのぼるとき、
もし神々が微笑んでくれるなら、
きみは他人の見た夢を
夢に見ることができるだろう。
(中国古謡より)
音楽とは無縁の生活に終わりを告げるために、友人宅にて月一で開催されている片瀬那奈を聞く会に参加してきました。初めての体験なので、どきどきです。
部屋に入るとそこには男が三人、ワインを飲みながら静かに片瀬那奈の新しいアルバムを聞いておりました。こんにちはと挨拶をすると、三人同時に「しっ!」と口の前に人さし指を立てました。
CDを聞き終えると次はDVD観賞です。片瀬那奈の足が映るたびに三人は大はしゃぎ。仕舞には踊り始める始末。それまでの静けさが嘘のよう。
「もうまじ最高、那奈っち」と思わず窓から飛び出しそうになる男。
「いやほんと一発はめたいっす、こうやってくわえて」と興奮する男。
「なんつーかもう足なめられたら社長になっちゃうって感じ?」とふんまんやるかたない男。
この会に参加したことにより、ぼくの人生は価値を得ました。
『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を観ました。
いやー、すごかった。とても面白かった。面白かったけど、それ以上にCGがすごかった。あんなすごい戦闘シーン、今まで観たことありません。お話も面白かったのですが、とにかく戦闘シーンがすごすぎて、見終えた直後はそのことばかり頭に残りました。
『二つの塔』の一番のクライマックスは、一万を越えるウルク・ハイと、300人足らずの人間の、ヘルム渓谷での戦闘シーンになると思うのですが、言うまでもありませんが実際に一万人以上のエキストラを使用しているわけではなく、特にウルク・ハイのほとんどはCGで処理されているそうです。
■映画『ロード・オブ・ザ・リング』を埋め尽くすデジタル俳優たち
なんだかすごいことになってますね。CGで作られたキャラクターが決められた動きをしているわけではなく、それぞれがきちんと自分の頭で考えて行動しているんですって。
「戦闘の行方を操作するのは可能だが、そのようなことは今までしていない」とリージェラス氏は言う。「最初に戦闘シーンのテストを実施したとき、(コンピュータで作られた)銀色の戦士を1000人、金色の戦士を1000人用意した。シミュレーションを開始したら、画面奥の方で数人の戦士が丘に向かって逃げていく姿が見えた」
それにしても、今のぼくには何をみても三国志にしか思えないようで、全編を通してぼくの目に映っていたのは、ホビットでもエルフでもウルク・ハイでもゴラムでもなく、劉備と関羽と張飛でありまして、セオデン王がサルマンの軍団から逃れるために、民を連れてヘルム渓谷に向かうシーンなんて、長坂波の戦いにしか見えませんでした。アルゴルンとギムリが城の入り口で敵をばったばったと倒しているシーンでは、「名乗れ!名乗り上げろ!燕人張飛ここにありって言え!」と心のなかで叫んでおりました。ぼく、三国志の中で、長坂波の戦いが一番好きなのです。
それで思ったのですが、ここはひとつ三国志を三部作ぐらいで映画化してみてはいかがでしょうか。さすがに人間をCGで動かすのは難しいかもしれませんが、あと三年もすればできそうです。うわーすげーみてー。三部作じゃ無理か。五部作ぐらい?
『ロード・オブ・ザ・リング』に始まったことでありませんが、この手のお話の大体は、味方はこれでもかというぐらい美男美女、あるいは愛嬌のあるキャラクターばかりで、敵となるともう笑ってしまうぐらいグロテスクで卑怯で陰鬱なやつらばかりなのが愉快です。『ロード・オブ・ザ・リング』は特に、ギャグとしか思えないぐらいの悪役づらがたくさん出てきますし。正義か悪か、黒か白か、陰か陽か、有罪か無罪か、すべてを二元的に考えないと気が済まないのですね、あの方々は。でも面白いからいいの。
■裏マニュアルでGO!
ーそば屋の流儀の通信簿 変な「こだわり」要注意
とてもお利口さんで模範的なそばへのこだわりを語ってくれております。全然裏マニュアルじゃないのですけど。
妙に敷居が高く、こだわりすぎの店主には、意味不明の小道具を使ってひるませる。文具好きな山陽さんはたまたま持っていた分度器を卓上でもてあそんで「この客は何者?」という顔をさせた。以来、分度器は秘密兵器。さりげなく取り出すのがこつだ。
意味がわからないし。
ところで、そばの食い方に関しては、やはり池波正太郎さんのそれは相当おつなものでして、例えばちょいとした感じでこんなことをおっしゃります。
そばを食べるときに、食べにくかったら、まず真ん中から取っていけばいい。そうすればうまくどんどん取れるんだよ。端のほうから取ろうとするからグジャグジャになってなかなか取れない。そばというのは本当は、そういうふうに盛ってあるものなんだよ。そういうふうになっていないそば屋は駄目なんだよ。
素敵でしょ。
作法などというものは、結局は趣味によるところの数多に存在するものでありまして、畢竟正解などというものはなく、選んだ作法によって人それぞれの品というものが定まります。ですからそれは、人から押し付けられるものでも、人に押しつけるものでもなく、あくまでも個人が各々の趣味によって選択しなくてはいけないものなのであります。
そのようなことを考えながら、身についていない作法を気取り、ひとり黙々とそばをいただきました。ごっそさん。
去年の六月ぐらいの少し古い話なのですが、スターバックスの広告が9.11を彷彿とさせるという理由で回収になったそうです。(fromインサイター)
■Collapse into Cool(Rumors of War)
同じサイトには、こんな記事も出ております。これも去年ちょぴっと話題になりましたね。
上のふたつの記事を紹介しているUrban Legends Reference Pagesというサイトは、いわゆる都市伝説(Urban Legends)を紹介しているサイトで、巷間に伝わる都市伝説をカテゴライズして、さらにそれぞれの伝説をClaim、Status、Example、Variations、Origins、と詳細に説明してくれています。一度読み始めるととまりませんよ、これ。カテゴリだけで42もあるし。
ちなみに「Japan」で検索をしてみたところ、三十数件ほど引っ掛かかりました。日本のデパートで、クリスマスのデコレーションに、笑顔のサンタクロースが十字架にかけられている絵が飾られていた、とか、自動販売機で女子高生の使用済みパンティが売っていたとか(これは本当の話なんだって)、最近の日本の流行はシースルーのすけすけスカートだとか、Sonyは「Standard Oil of New York」の略だとか、日本で新しく発売された水素ビールを飲んでカラオケをすると、声が高くなって青い炎を吐きながら歌うことができるなどは、都市伝説として取り上げることが理解できるのですが、「スシは全部生魚(刺身)である」って都市伝説として語るにはいかがなものでしょう。
都市伝説というよりも、事件として興味深いものもあって、たとえば以下の記事。
■Japanese woman dies in Minnesota while engaged in a search for money buried by a fictional character from the film Fargo.
(日本人女性、映画「ファーゴ」の登場人物が埋めた身代金を探索中にミネソタで死亡)
これ、事実なんですって。映画「ファーゴ」でスティーブ・ブシェミ演じる誘拐犯が雪の中に埋めた大金を探しに来た日本人女性のお話。興味深い話(不謹慎?)だったので、拙訳してみました。
2001年11月、ノース・ダコタ州ビスマルクで、コニシタカコ(Konishi Takako)という28才の日本人女性が、埋立て地にあるトラック・ストップでさまよっているところを発見された。コニシさんは、11月9日にミネソタ州ミネアポリスに到着し、バスでビズマークまでやってきて、翌日、彼女が道に迷って困っているのだろうと思って声をかけてきた男性に助けられた。男性は(彼女の英語力の問題で)コニシさんとうまく会話ができなかったため、彼女をビズマークの警察署へ連れていった。彼女はそこで、警察官に高速道路の横に木がある手書きの大ざっぱな地図を見せた。それは白のタイプ用紙に書かれており、どうやら彼女は映画『ファーゴ』の登場人物が埋めた大金を探索しているらしかった。
(中略)
ビズマーク警察は、映画『ファーゴ』がフィクションであり、ノースダコタ州のどこを探しても、雪の中に埋められた埋蔵金を発見することはできない、ということを説明したが、無駄だった。彼女はなんらの法も侵しておらず、正規のビザを持ち、十分な資金を所有したので、引き止めることも、報告書を書く理由も見つからなかった。コニシさんが身振りでファーゴへ行きたいことを示したので(おそらくは、映画の登場人物によって埋められたあるはずのない大金の探索を続けるために)、警察はバスの停車場まで彼女を送った。彼女はバスに乗ってファーゴへ向かい、そこでタクシーをひろって、星を見るためにミネソタ州デトロイトレークスに行った(獅子座流星群が見たかったのかもしれない)。
数日後、あるハンターがデトロイトレークの松の木立で、偶然コニシさんの死体を発見した。検屍官は死の直接的な原因を特定することはできなかったが、彼女が鎮静剤を服用していたことと、野ざらしの状態であったことが死因ではないかと思われた。後に、彼女がビズマークから家族に送った手紙に自殺をほのめかす記述が発見されると(彼女はビズマークを去る前に、所有物のほとんどを処分していた)、彼女の死は自殺であると断定された。
コニシさんはなぜ、存在しない財宝を求めてビズマークに来たのか。そして自殺したのか。謎だけが残る。
これって日本でも記事になったのかしら。初めて聞いたよ。なんだか、切ない事件であります。彼女がファーゴに行った本当の目的は、なんだったのだろう。
日本で定番の都市伝説で、旅行先で行方不明になった娘(恋人、妻)が、数年後に見せ物小屋で発見されたというのがあるのですが、このサイトにもやっぱりありました。下の記事では、進行旅行で行った先のパリで、あるブティックの試着室に入ったまま行方不明。数年後に発見されるのですが・・・・。もちろん、これは完全な都市伝説ですよ。
誘拐された女性は、やっぱり日本人なんですね。海外で広まったのであれば、広まって行く過程でその国の女性に変わってしまってもおかしくないように思うのですが。
で、ぼくが個人的に一番面白かったのはこれなんですけど
ジョン・スタインベックの『The Grapes of Wrath』のタイトルが、日本では『The Angry Raisins』になっている、というもので、日本語の『怒れる葡萄』という邦訳はなかなか正しいと思うのですが、それを逆翻訳すると『The Angry Raisins』として伝わって、これはアメリカ人にしてみれば『おこったほしぶどうくん』みたいなニュアンスになってしまうといういわゆる「語翻訳」話で、明治の初めに日本に来たワーグマンが「to be or not to be that is the question」を「あります、ありません、あれはなんですか」と訳したという話と同じようなものです。
けれどもこの記事が面白いのは、そのような「誤翻訳」のおもしろさに焦点を当てているわけではなくて、このような話がどのような過程を経て少しずつ変化して行くのかを解説しているところにあります。興味のある方はぜひ読んでみてください。
どうでも良いのですが、一番最初のスターバックスのタゾ・シトラスティがとてもおいしそう。これって日本のスターバックスにありませんよね?
『裸足の1500マイル』を観ました。
舞台は1931年のオーストラリア。当時、オーストラリアでは先 住民アボリジニの混血児たちを家族から隔離し、 白人社会に適応させようとする"隔離同化政策”がとられていた。 その政策の対象となり、強制的に収容所に連れ去られた少女3人 は、母の待つ故郷へ帰るため、2400キロに及ぶ行路を歩き始めた。
オーストラリアに限らず、コロンブスの新大陸発見によって切り開かれた植民地文化は、この種の同化政策をあらゆる非ヨーロッパ人に対して行ってきました。野蛮な彼らを救わなくてはいけない、絶対的正義であるキリスト教に啓蒙しなくてはいけない、という阿呆な使命感のもと、異なる文化を持つ民族に対して、文化と道徳と強要を押し付けてきたのです。ほんっと阿呆でしょ、白人。絶対的価値観の存在を本気で信じているのね、彼らは。あ、なんかぼく、適当な偏見を書きそう。このような歴史的見解の正しいところは、この映画に言及するすべてのサイトで書かれていると思うのでそちらをどうぞ。
白人による同化政策の犠牲になったのは、アボリジニだけではありません。「同化隔離政策」という言葉でぼくが連想するのは、アボリジニと同様に土地を侵略されたインディアンたちで、彼らの背負う悲劇の歴史を思うと、胸に強い痛みを感じます。コロンブスのアメリカ大陸発見に始まった植民地政策っていうか侵略に対抗するインディアンの運動は、三世紀に渡って続きますが、1890年のウーンデッド・ニー虐殺事件で事実上の終わりを迎えます。そして、土地を奪われたインディアンが次に強制されたのは、「白人の生き方」を強いられる同化政策でした。子供は親と引き離され、女性は子供を埋めないように手術をされ、アニミズムに基づく彼らの汎神論は否定され、キリスト教と英語を強要される。彼らの文化は野蛮と切り捨てられ、迫害者にとっての文明的な生活を送るように強制される。そのような過酷な時代を、インディアンたちは経てきたのです。
『日常礼讃—フェルメールの時代のオランダ風俗画』の著者であるツヴェタン・トドロフは、このような民族的差異を無視したアメリカナイゼーションのことを、「自己固有の価値観と一般的な価値を同一視し、私と宇宙を同一視し、要するに、世界はひとつなのだと確信している自己中心主義」と言っています。いやはやまったく同感ではありますが、ここでツヴェタンがアメリカナイゼーション(アメリカ同化政策)として言っていることは、決して他人事ではなく、よくよく考えてみれば、「世界は(自分の有する価値観に準じて)ひとつなのだと確信している自己中心主義」な人というのは、身の回りにたくさん存在しませんか?そしてそのように考えたとき、自分自身はどうでしょうか。
ぼくたちが信じている価値観の絶対性は、それが些細なものであろうとも、人の差異を無視し、他人と他人という関係の意味を無効にしてしまう危険性を孕んでいます。恐ろしいのは、あまりにも膨大な意味の中に生きている人は、その意味の存在にすら気付かないということで、例えば「世界はひとつなのだと確信している自己中心主義」者は、『裸足の1500マイル』を観て感動しても、自分が「自己中心主義」であるということに気付かないものです。だから人は過ちを繰り返すし、歴史は反省をしない。もちろん、そのような自己中心主義者たちの中に、ぼく自信も含まれていることは、悲しいけれど否定しません。
この種の問題は本当に難しいものでして、明確なポリシーや答えを持っているわけではないのでこの辺でやめておきますが、人が人と接するときに持つべきなのは、優越を計る定規ではなく、敬意であるべきなのではないか、とそんなことを思ってしまったり。
話は突然変わりますが、スパイク・リーによって黒人映画が誕生したのであれば、インディアン(ネイティヴ・アメリカン)映画はシャーマン・アレクシーとクリス・エアによって誕生したといえるかもしれません。1998年のサンダンス映画祭で複数の賞を受賞した『スモーク・シグナル』は、シャーマン・アレクシー原作のロードムービーで、ネイティブ・アメリカンのスタッフ・キャストによる初めての映画です。驚くべきことに、この映画の前には、ネイティブ・アメリカンによって制作された作品は存在しませんでした。母なる大地を奪われたインディアンの末裔が、ようやくその才能を発揮し始めたのです。
『スモーク・シグナル』のストーリーは以下の通り。
ワシントン州スポーカン族のインディアン保留地。ヴィクターは、何年もめに家を出ていった父親がはるか南のアリゾナ州で死んだという知らせを受けた。遺灰をとりにいくのも大陸を横断するほど金がない。家を捨てた親父に対する穏やかならない感情もある。そこへ、どこからともなく幼なじみのトマスが現われ、金を貸すから一緒に連れてってくれといいだした。友達とも呼べない仲なのに、それにストーリーテラーのくせしてつまらない話ばかりしてだれもがうんざりしているトマスなんかと一緒に旅だって?
この映画の原作となったシャーマン・アレクシーの『ローン・レンジャーとトント、天国で殴り合う』は大好きな小説のひとつで、ぼくはインディアンではないけれど、げらげら笑って読みました。リザベーションに閉じこめられたインディアンの末裔たちの、なんともいえず滑稽で悲しい日常を描いた短編集で、ここ数年で読んだ小説のなかでも、かなり上位に位置する面白さです。(この小説に関しては、後ほどもっと詳しく書きたいと思っています)
『裸足の1500マイル』の中で、十四才のモリーは、妹である八歳のデイジー、従姉妹である十才のグレイシーと共に、ジープによって収容所に隔離され、そこから2400キロを歩いて母親のいる故郷へ帰ります。三人の少女ほどの距離ではありませんが、『スモーク・シグナル』のトマスとヴィクターも映画の中で歩きます。そしてストーリーテラーであるトマスは、歩きながら次のように語ります。
どこまで歩く?
どれくらい歩けば目的地につく?ずっと歩いてる。
コロンブス以来、先祖は浜から追い立てられた
カスター将軍のせいで土地に住めなくなった
僕らは歩き続け、トルーマンは原爆実験
それでも歩き続ける。
原爆の閃光の中でも道は見える
インディアンも、アボリジニも、歩いて歩いて歩いて迫害者たちに抵抗を続けます。歩いて、歩いて、歩いて。『裸足の1500マイル』が素晴らしいのは、年端もいかない少女たちが、車という白人文化によって奪われた自由を、歩くという彼らの文化によって取り戻そうとするところにあるのではないでしょうか。(ちなみにアボリジニは本来、一ヶ所に定住することのない狩猟民族でした)。
政治的に正しく言えば、黒人はアフリカン・アメリカンだし、インディアンはネイティブ・アメリカンになるのだと思うのですが、黒人はやっぱり黒人の方がかっこいいし、インディアンもインディアンのほうがかっこいいので、上の文章ではそのように使いました。シャーマン・アレクシーも自分のことはインディアンと呼んで欲しいと言っているし。敬意をもってそう呼ばせて頂きます。ですから、ぼくのこともカントリーサイド・ジャパニーズではなくて栃木野郎と呼んで下さい。そのほうがかっこいい。
テレビがブッ壊れてしまいました。
テレビのない生活なんてよゆーだと思っていたのですが、いざ壊れてみると、番組が観れない、DVDが観れない、ビデオが観れない、ゲームが出来ない、とぼくの生活のほとんどの活動が制限されてしまい、思った以上に困迫し、他にすることもなく、漫然と天井を眺めたりしていても時間がもったいないので、本棚から何冊か本を取りだし、少し早めにふとんに入りました。
まず最初はモンテーニュの『エセー』。去年、全六巻をまとめて買ったものの、まだぱらぱらとしか読んでおらず、それでも時折ページを開くと、まだ見ぬ未知の世界と対峙するような、恐怖にも似た感覚を覚えます。ぼくはこの作品を、一生をかけて読むつもりで購入したので、読みを急がずゆっくりと。途中でギブアップ。次の本へ。
われわれはわれわれの思想を一般的な問題で、すなわち宇宙の原因とか運行とかの、われわれなしでも立派に進行する問題で邪魔している。「空虚について」より
アンソニー・ストーの『孤独』。古本屋で買った、改版する前の版です。歴史上の天才たちが、「孤独」というものをどのように扱ったかを論じています。読み始めると、思った以上に面白い。ストーは言います。「人間は生まれつき人間的なものにも非人間的なものにも興味をもつ存在であり、この二面性が人間性の根源となっていることを、私は論じたいと思う」。これは是非とも新訳で読んでみたい。そういうわけで中断。次の本へ。
かつてあなたは、僕が小説に取り組んでいる間、僕のそばに座っていたいと言った。聞いておくれ、もしあなたがそうするならば、僕はまったく書けなくなるだろう。(カフカが恋人へ送った手紙より)
音楽なんかをかけてみる。アンディ・パートリッジとハロルド・バッドがコラボレートして作ったアルバム『Through the Hill』。うーん、懐かしい。
次の本へと移りましょう。結局一号しかでなかった『positive』。第一号の特集は、『ポストモダン小説、ピンチョン以後の作家たち』。この本をもっていることは、ぼくの自慢のひとつです。収録された「ピンチョン以後の作家たち」の作品群の中で、ぼくが特に好きなのはピーター・ケアリーの『デブ連歴史に登場』。なんど読んでも最高。マーク・レイナーの作品も収録されているのですが、今読んでみるとちょっぴり恥ずかしくなってしまうのはぼくだけでしょうか。恥ずかしくなったので次の本へ。
雨が降ってきたようです。外から、とても良い雨音が聞えます。
さて、松山巌の『日光』です。この本を手にするだけで、ぼくのからだの震えはとまらなくなります。好きな作品や人に関して何かを語ろうとする時に、ぼくの口から出てくる興ざめな言葉には、我ながら怒りを覚えます。その作品・人が好きであれば好きであるほどむかつきます。ですからぼくは松山巌さんのことを人に話すことはほとんどないのですが、この『日光』という小説を初めて読んだとき、ぼくは残りの人生で他の小説を面白いと感じることはあるのだろうか、と不安になるくらい感動をしました。内容に関しては言わずもがな、ページを開くと、とても良い紙質に、少し紺の入った文字色に完璧な文字幅、行幅の文字列が並んでいて、どきどきしてしまいます。語る術を持たないぼくは、この小説についてなにも語ることができません。
時計を見ると十二時を過ぎ。寝るにはまだまだ早すぎます。どきどきした心臓を落ちつけるために、岩波文庫版『完訳 千一夜物語』を開きます。全十三巻のこのシリーズ、『エセー』と同様に成仏する前に読み終える予定でございます。本日も、シャハラザードの語りに身を任せ、夢の世界へと旅立ちます。
ううむ。テレビのない生活も、なかなか楽しい。音楽をこんなにゆっくりと聞くのも久しぶりだし。テレビを直すのは、しばらくやめておこうかしら。
BOX 東中野が2003年4月25日をもって閉館するんですって。
http://www.mmjp.or.jp/BOX/
それほど頻繁に足を運んでいたわけではありませんが、時折おうっというような映画を上映してくれて、とても重宝していたので、残念極まりないです。
閉鎖する前に、映画を観に行こうっと。
寝る前に少しだけと思って始めた読書が止まらなくなるのはよくあることなのですが、時として、読みながらとても強く思うことがあり、さらにその思いを誰かに伝えたいなどという欲望に駆られることがあります。
そのような感情に任せて何かを書けば、それは気恥ずかしさを残すだけの結果となることはこれまでの経験からわかっているので、思いをどうにか飲み込もうとするのですが、気持ちはどんどん高ぶるばかり。とにかく誰かと話したい、否、誰かに話を聞いて欲しい。
先程から読み始めたフォークナーの短編集。読み始めた理由は、たまたま目に止まったから。これまで何度となく読んできたはずの短編集。それが、今まで読んできたものと全く異なる物語のように感じるのはどうしてなのだろう。
ここで思ったことを感情に任せて吐露することは賢明ではありません。ですからこのへんでやめておきます。ですが感情を少しでも抑えるために最後に一言。フォークナーよりも後の時代に生まれて、本当に良かった。彼のおかげで、明日を楽しく過ごすことができそうです。えへへ。
どうにかこうにか本番も終了いたしまして、ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。心の底から感謝しております。
生来の人見知りの故、本番終了後も顔見せなどに行く勇気がなく、せっかく来てくださった多くの知人友人の皆さまに直接お礼を言えなかったことが心残りであります。お友だちの皆さん、愛しています。
そんな中、唯一お会いできたのが編集の仕事をなさっているKさんで、久しぶりにお話できて嬉しかったです。本番が終わったばかりだったので、へんなテンションでごめんなさい。それから、今度お酒を飲みましょうという誘いが嘘臭くてごめんなさい。けれども本当にお話を聞きたいので、来週にでもお会いしましょうよう。って、Kさんがこれを読んでいるのかどうか不明なので、後でメールしましょう。
Kさんと一緒に来てくださった同僚の方に教えていただいたのですが、以前の日記に書いたこの方、織田信福さん。土佐の自由民権運動の過激な方なんだって。ふええ。そういわれてみると、土佐の自由民権運動の過激な感じがします。教えてくれてありがとう。って、あの方がこれを読んでいるのかどうか不明なので、今度お会いしたときにでもお礼を言いましょう。っていうか、一緒にお酒を飲みましょう。
音響をやってくださったこども君(本名不明)のノートパソコンを勝手にいじって音楽をかけていたら、とてもすてきな曲がたくさん入っていました。正直、ダブにはうんざりだったので、こども君のすてきな選曲に感動して、やっぱ栃木はいいところだと思いました。こども君、二言ぐらいしかお話できませんでしたけど、今度音楽のお話を聞かせてください。そんでお疲れさまでした。
毎度毎度、受付などをやってくださるお手伝いの皆さん、今回もありがとうございました。Oさんが久しぶりに参加してくれて、とても嬉しかったです。けれども、ほとんどお話できなかったのは、本番前の楽屋があまりにも盛り上がりすぎて楽しかったからで、Oさん、これを読んでいないのは確実なのであとで電話しますが、今度玄米でも食いながらゆっくりお話しましょう。近況を聞かせてください。
あと、奥村君の股間がびっくりするぐらい立派にもっこりしていたので、あなたは何かつめているのでしょうと問いただしたのは、セクハラ(sexual harassment、性的ないやがらせ)の極みだったと反省しております。決して悪気があったわけではなく、あまりにも立派だったので、動揺していたわけでありまして、とにかく失礼いたしました。以後気を付けます。
本番が終わって時間ができたので、本を読みまくってやる!
ゲーム中心の怠惰な生活が祟ってすっかり太ってしまったので、夜が暇な時には可能な限りマラソンをすることにしているのですが、本日も石神井池のまわりを走っていたところ、数日前には咲いていなかった桜が、二分ほどではありますが咲いておりました。ようやく春がきたようです。
痩せるためのマラソンではありますが、初桜を前にして走ってなんかいられません。近くのコンビニでビールを一本だけ買って、プチお花見をしました。ベンチに座り、ひとり桜を愛でる。ふと、中原中也の詞を思い出したり。
トタンがセンベイを食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです
(『春の日の夕暮れ』)
あっ、誰かに手紙を書きたくなってきた。
今年は、戌井さんと藤原さんと内倉君と並木さんが石神井公園に花見に来てくれるということなので、今からとても楽しみです。
世事に疎いぼくでも、さすがにここ数ヶ月の世界の動向に関しては無視を決め込むこともできず、この戦争を七歳の甥にどのように説明をしようかなどと、浅はかなりにも考えたりしているのですが、今日Sankei.co.jpをみていたら、『ドン・キホーテ』の登場人物サンチョ・パンサのこんな言葉を引用しているコラムがありました。
警鐘を鳴らす奴(やつ)は、いつも安全なところにいる
そんでそのコラムは、武力行使反対のフランスやロシアが戦後の復興計画に口を出していることに言及したりして、最後をこんなふうに締めくくったり。
そうなのである、反戦にしろ、平和にしろ、かっこいいことをいう奴は大概安全なところにいる。
ちょっとそこのあんた、なんかむかつかない?これってどうなのかしら。安全なところにいたらかっこいいこと言っちゃいけないってこと?反戦を貫くならみんな人間の盾になりやがれってこと?つーかやたらと偉そうじゃない?一歩離れたところにいるからこそ見えることもあるわけでしょうに。
武力行使に賛成する人にも反対する人にも、いずれも正当な言い分はあるのでしょうが、こういう何かわかったようなこと言う奴って大嫌い。ちょーむーかーつーくーばーかばーか、うんこ詰まって死んじまえ!
春の日和に誘われて、奥多摩方面の電車に乗りそうになる誘惑に抗しつつ、どうにかこうにか乗り込んだ列車は、休日の午前中にもかかわらずがらがらでした。みんなお花見に行ってしまったのかしら。いちばん後ろの車両に行くと、八人掛けのイスの両側に三人ずつ、お相撲さんが座っています。あら素敵。とても良い感じに肥えている。ああまさしくファット。よく見るとファットはみんな若くて、どうも見習いお相撲さんっぽい。ああ、我慢できません。ファットたちの座っている座席の一番左端、どうにか一人分ぐらい開いているイスに座ってみました。
ファットのみなさん、ファットだけあって全員が居眠りしております。ううむ、ファット。居眠りしながら内股を掻いたりして、まさしくファット。ぼくはスモールなので、こうしてファットに紛れても彼らの仲間には見えないでしょうが、もしかしたら彼らのマネージャーなんかに見えたりするのかしら、と考えたら嬉しくなってしまいました。うわ!ファットの左手が触れたよ。ぷよぷよしてるよ。嬉しくてにやにやしていたら、いつの間にかぼくも眠ってしまい、素敵なファッツに囲まれた夢を見ました。
しばらくして目を覚ますと、ファッツはいなくなっていました。あれは夢だったのかしらと思っていると、目の前でぶさいくな女子小学生が踊りながらアイドルの歌らしきものを歌っています。なんだこのぶすと思って聞いていると、歌も上手いし踊りも上手で、ぶさいくなこと意外はなかなか素敵な子でした。しかしなぜ電車の中で歌うのかしら、それはやはりぶさいくだからなのかしら、などと思いながら、再びうたた寝。
再度目を覚ますと、一時間以上経過しておりました。ずいぶん長いこと眠ったのだなと思って周りを見ると、向かいの座席にヤンキーさんが三人座っていて、ぼくに思いっきりメンチきっています。あれ、ぼく何かしたかしら。寝惚けて三人のことぶん殴ったりしたのかしら。うわーこえー。三人とも見事なぐらいそり込み入ってるし。これ写真撮りてー、天然記念物だろうこれは、などと思いながらもメンチきられちゃってます。こわい、こわいよ。もしかしたら、ぼくのそり込みを見て、同類と勘違いしちゃったのかしら。これは違うのです、天然そり込みなのです、と弁解をしようと思っていたら、停車駅で三人は降りてしまいました。降りるときも降りてからも、ずーっとぼくにメンチきっています。何年ぶりだろう、メンチきられるのなんて。早く電車発車して。
そんなこんなで、ようやく実家に到着。
去年に定年退職をした父は、日々の暮らしを持て余しているのか、久しぶりに実家に帰ったところ、不思議な竹細工の手工芸品がところせましと並べられており、これはなにかと尋ねたところ、「うけ」だ、という答えが返ってきました。「うけ」とはなにかと尋ねると、父は半笑いで「そんなこともしらないのか、川でどじょうを捕まえるもののだ」と得意げで、さらに詳しく聞いたところ、どこぞで見かけた「うけ」を見様見まねで作り始めたところ、一度はまるとやめられないのはやはり血筋なのか、製作が止まらなくなったとこのこと。軽く数えただけでも三十個以上あり、いったい何匹どじょうを捕まえる気だと聞くと、どじょうなどは捕まえない、これはインテリアなのだとのお答え。店先などに「うけ」を置くと、お客様を捕まえることができるらしい。「おまえの劇団も客がこないのだったらこれを受付に置け」などという申し出は丁重にお断りしたのですが、我が父ながら手先の器用さは相当なもので、電気の通っていないものなら何でも作れると豪語するだけあって、うけの出来もなかなかのもの、近所の方々にも配ってみたところ、あながちお世辞とも思えない称賛を受けたらしく、ご満悦の様子でした。
夜、スパイク・リーの『ラストゲーム』の吹き替え版を借りてきて父と観ました。父はうけを作りながら観ておりました。映画は相当に面白かったのですが、父と息子の絆の映画を実父と観るのはやはり気恥ずかしく、観終えた後、微妙な気まずさが漂いました。
そんな父も、明日から新しいお仕事が始めるそうです。一年間の休養で十分に充電した様子なので、ばりばりと働いていただきたいものです。不肖の息子は東京でのんべんだらりんと。